お兄ちゃんの顔「…引越しをしたんです。18歳になったら独立しろって、昔から両親に言われてましたし。」 「俺、そんなのなんにも聞いてない! 第一まだ兄ちゃん17じゃんか!」 「うるさいな。多少早まっただけだ。………おまえまさか、そんなくだらないことで祥先生をぶっ飛ばしたのか!」 「くだらなくない! ここには住んでないみたいだけど…どうして恋人でもないのに、先生の部屋の鍵なんか後生大事に持ち歩いてんだよ!」 それまでおとなしかった隼人が、突然大きな声を出す。直哉は顔をしかめた。 「それは関係ないだろうが。おまえにいちいち報告しなきゃいけないってことでもないだろう。」 「だって…兄ちゃんなのに、居る場所がわかんないなんて、そんなのアリかよ!」 「ちょっと待って。引越ししたって、お家の方に知らせてないの?」 「…親父は知ってます。契約の時にハンコもらいましたから。」 「じゃあなんで、俺には教えてくれないんだよ!」 隼人が吠え立てる。 「…俺は一人になれる空間が欲しいんだ。」 直哉は隼人から少し目を逸らした。それで祥太郎には、それだけが真実ではないことが分かった。 確かに隼人は直哉にべったりすぎて、息苦しくもなるだろう。だが、隼人の気持も分かる。 都内に数箇所あるという直哉の両親の持ち家。高校から一番近いというマンションは、もっぱら直哉専用で、隼人は直哉と一緒に住めることを楽しみに高校進学したという。 いざ越してきてみたらそこがもぬけの殻では、憤りたくもなるはずだ。 「直哉君、転居したら、学校へは届を出した?」 「いえ、まだ…。」 「そんなの、真っ先に調べたよ!」 きかん気の強そうな隼人のことだ。事務局でも相当騒ぎを起こしたに違いない。 「ちゃんと届を出さないと駄目だよ。僕たちも困っちゃうよ。緊急の時に君の居場所が分からないんじゃ。」 「先生には…お教えしてもいいです。でも…。」 直哉は隼人をちらりと見上げた。 「こいつに押しかけられるのは…ぜってーやだ。」 「なんでだようっ! 兄ちゃんのいじわるっ!」 「あ…、レベル低…。」 なんだかんだ言っても、結局は兄弟喧嘩の延長だ。 思わず額に手を当てた祥太郎を、直哉が恨めし気に、隼人が睨み付けるように見た。 「と…とにかく、直哉君はちゃんと届を出して、隼人君はもう少し距離を置いて上げて…。」 「るせー! 兄ちゃんに命令するな!」 「隼人!」 祥太郎の目の前を、ひゅっと何かが横切った。あっという間もなく、それ─直哉の大きな拳固─は、隼人の頭を強襲していた。 祥太郎は思わず目を見開いた。直哉がそんなに簡単に弟を殴り付けてしまうことが信じられなかった。 「ちょっと…! 何してるの、乱暴な…!」 思わず庇うように腰を浮かせると、直哉は顔を顰めた。 「なにをって、こいつ祥先生につかみ掛かろうとしてたんですよ。口で言っても分からないんです、こいつは。」 「だからって、そんなにポコポコ殴っていいってもんじゃないでしょ! 暴力反対!」 実際にはポコポコなどという生易しいものではなかったが。 「隼人君は直哉君のことが大好きなんだよ。だから気になるし、独占したいんだよ。 直哉君はお兄ちゃんなんだからもっと大きな心で…。」 「好きなら………何してもいいって言うんですか。」 「え…?」 思いがけず真剣な瞳に見据えられて、祥太郎は言葉を詰まらせた。 「そんな理屈が通るんなら…俺は先生にもっと酷いことをしている。」 背中に鈍い痛みが走った。身を乗り出した直哉の熱い視線を受けかねて反った背中が、ソファーの背に沈んだのだ。 祥太郎はやっとの思いでつばを飲み込んだ。なんだか口の中がからからに渇いていた。 つい先ほどまでここにいた白雪も、今目の前にいる直哉も、その行動の原動力は好きという思いだろう。特に直哉には、直接その言葉を何度も向けられている。 直哉の言う通り、好きというだけでなんでも叶うなら、祥太郎でさえもっと違う行動をとれるはずだ。 「い…今はそういう話をしているんじゃないでしょ。」 「そういう話がしたいんです、俺は。」 ますます直哉の顔が近づいてきて、祥太郎は身を竦ませた。腰が滑って頭まで背もたれに埋まった。 祥太郎の前にはセンターテーブルがある。だからそんなに間近に迫られているはずはないのに、この圧迫感はなんだろう。 だが、二人の間の緊張は急に破られた。 「なんだよ! 何見つめ合っちゃってるんだよ、二人とも!」 隼人が大声でわめいた。二人の間に割り込んで、ぐっと勢いよく突き放す。 不安定な体勢だった直哉が思わずよろめき、祥太郎は息を詰まらせた。力任せに引き剥がされて、傷めた上半身全体が悲鳴を上げたみたいだった。 一瞬どう呼吸していいか分からなくなって、喉の奥から妙な声が漏れた。 「先生! …隼人っ!」 直哉の、殺意にも似た怒りが隼人に向けられる。祥太郎は思わず腰を上げていた。次に何が起きるか、たやすく予想できたのだ。その予想は、正確無比に的中した。 「ふぎっ!」 「ああっ!」 ごつっと言う重い音と共に、目から火花が散った。直哉が繰り出した拳が、隼人を庇った祥太郎の後頭部にまともに命中したのだ。 元々大きなたんこぶの出来ていたそこを力いっぱい殴られて、視界が真っ白になる。おまけに祥太郎が抱き着くのを嫌うように隼人がひらりと身を躱した。 ソファーとは言え、今の祥太郎がダイブするほどには柔らかくない。祥太郎はのたうった。泣きたくもないのに涙がにじみ出て、頭も背中も脇腹も全部痛い。 「お……ぐ、ぎ…。」 「先生! 先…。」 呼びかけた直哉の声が途中で途切れた。センターテーブルが不穏な音を立てたから、向うずねでもぶつけたのかもしれない。 「なんだよ、先生先生って…。」 立ち上がったらしい隼人の言葉を祥太郎は背中で聞いていた。酷く寂しげに聞こえる声だ。 祥太郎は何か声を掛けようとしたが、口がぱくぱくするばかりでうまく声が出ない。 大きな手が祥太郎の髪をかき分けた。直哉は隼人のことなんか歯牙にも掛けていないようだった。 「うわっ、でっかいたんこぶ!」 「兄ちゃん!」 「先生、これ冷やした方がいいですよ。今、何か持ってきます。」 「兄ちゃん! 兄ちゃんってばっ!」 直哉は怒りの矛先を別に向けるようにしたらしい。祥太郎はぼんやり思った。 直哉の完全無視の態度に、隼人は脅えているようだった。きっと拳骨で小突き回される方が、隼人にとっては痛くないのだ。直哉もそれを十分分かってやっているのだろう。 「きょ…兄弟喧嘩しないでって…。」 ようやく息が通るようになって、祥太郎は力無く呟いてみた。涙に滲む目を上げてみると、濡らしたタオルを手に戻ってきた直哉が見えた。 「こんな奴、弟じゃありません。」 祥太郎の頭を押さえる手はこの上なく優しいのに、吐き出される言葉はとことん冷たい。 「こんな、人に迷惑を掛けて、謝れもしない奴。」 「な、直哉君、それはあんまりじゃ…。」 そっと窺うと、隼人は呆然と立ち尽くしている。握り締められた拳が震えているように見えて、祥太郎は隼人がかわいそうになった。 隼人はまだ決定的に子供なのだ。図体ばかり大きく育ってしまったからといって、いきなり精神まで大人になれるわけでもない。子供が慕う相手を独占したいと思うのは当然だろう。 「隼人君…。」 「兄ちゃんのバカ! 俺よりそのチビの方が好きなんだろう! そいつとくっついてりゃいいじゃないか!」 「ああ。そうするよ。」 「ちょ…、隼人君、今のはうそうそ。大丈夫だから…。」 「嘘じゃない。」 祥太郎は、直哉の鋭い言葉に切り付けられるように反応する隼人を見ていられない。慌ててとりなそうと言葉を足すのに、その端から直哉は更に切り捨てていく。 ついに隼人の顔は真っ赤になってしまった。噛み締めた唇を開けば、言葉の代わりに涙が溢れ出しそうな顔だ。 いかにも忌々しそうに足を踏みかえる。それはまるで小さな子供が駄々をこねている姿そのものだった。 「も…もういいよ! 兄ちゃんなんか、兄ちゃんなんか…。」 それでも隼人は直哉を大嫌いとは言えないらしい。一度直哉から反らした視線を、八つ当たりのようにいまだにソファーで潰れている祥太郎に向けた。 「イ────────ッだっ!!!」 思い切り歯を剥くと、足音高く駆け出していく。玄関のドアが勢いよく閉じられた音が響いた。 「あ…、いーだ、だって…。」 全身から力が抜ける気がする。 あんなに幼い子を相手に、自分は何をやっているのだろう。こんな風に体を痛めてまで。 「直哉君…、僕のことはいいから、隼人君を追いかけてあげなよ…。」 「いいんです。あいつは俺が、いつもあいつを一番にしてやれないことをちゃんと分からないといけない。」 「そんなことを言って…。」 「先生だって、あいつがあのまんまじゃまずいことは分かるでしょう。俺はあいつを甘やかしすぎた。今突き放さないと、きっと取り返しの付かないことになる。」 後頭部に押し当てられていた濡れタオルが剥がされて、冷たい面に替えられる。祥太郎はその気持ちよさに小さく息を吐きながら、なんとなく直哉におとなしく従うのが癪だった。 直哉と隼人の二人は、勝手に乱入して勝手に騒いで、勝手に決裂していったのだ。 反発されるかな、と思いつつ、そっと言ってみる。 「そーゆー直哉君だって、かなり大人げないよ…。」 「いいんです。俺は祥先生よりガキだから、いろんな面で抑えが利かないんです。」 直哉はなぜか上機嫌にそう答えると、祥太郎の肩に両手を回した。 「あっ…。」 一瞬ぎゅっと力を込められて、背中がみしりと軋む。そうして祥太郎を拘束しておいて、直哉は器用に体をまわしていた。 抱え上げられた祥太郎の身体が次にふわりと降ろされたのは、硬く引き締まった直哉の膝の上だった。 「えっ、あの…。」 「いつまでもうつ伏せじゃ疲れるでしょう。」 目の前には直哉の純白のガクランが迫っている。ほんの少し目を上げると、見下ろしていた直哉と目が合った。 いつも険しくしかめられている直哉の目が、その時ばかりは穏やかな光を湛えていて、祥太郎は思わずドキリと胸を震わせる。 (これって、膝枕じゃないの…?) 直哉は、祥太郎の怪我の位置まできちんと把握しているらしく、横向きに寝かされた体は、ちゃんと痛くない面が下になっている。 「おとなしくしててくださいよ。こっちの方がタオルを当てやすいんです。 暴れると、落っことしますよ。」 優しい口調だが、目が笑ってない。この上硬い床に落っことされてはどんな目に会うかわからない。祥太郎は少し肩をすくめた。 それに、この膝の上はなんだかとても気持ちがいいのだ。 男の子らしい筋ばった固い足、しかも祥太郎の枕にするには高すぎて、とても体に合うとは言えない。それでも、このあったかさと、緊張した体を優しく摩る手とを放したくないと思えるのは、どうしてだろうか。 「先生、首筋から背中に掛けてがちがちですよ。」 柔らかく首筋から肩を撫でていた手が止まった。薄く目を開くと、何だか楽しそうな直哉の顔が目に入る。 愛撫にも似た手の動きが再び始まって、祥太郎はその気持のよさに、うっとりと目を閉じた。 「身体中痛いから、庇いまくって歩いてるもん。…がちがちにもなるよ。」 「しかし先生も器用ですよね。普通後ろに転倒して肋骨なんか折りませんよ。」 「最初に脇腹から教卓の角に突っ込んじゃったんだよ。それから教卓もろとも机をなぎ倒して、背中をぼこぼこにしちゃったんだ。」 「…ちょっと見せてください。」 いきなりシャツがめくり上げられる。続いて素肌に手が這ってきて、祥太郎は思わず息を呑んだ。 「ちょ…、ちょっと…!」 「凄いですよ、背中。極彩色になってる。これは痛いですね。後でマッサージしてあげますよ。」 直哉は祥太郎の頭上でくすりと笑みをこぼすと、あっけないくらい簡単にシャツを戻した。ピンピンと引っ張られて、皺を伸ばされたシャツの上を、直哉の大きな手がゆっくり這っていく。 暖かい手のひらが首筋から腕、指先までと血行を促すように滑らされると、強ばっていたからだの隅々にまで血が行き渡るようだ。 祥太郎は思わず小さくため息を吐いた。 「あ…、気持ちいい…。」 直哉の暖かい手に促されて血行が戻ると共に、緊張しきっていた手足が弛緩していくようだ。 あまりの気持ちよさに、瞼が重くなってくる。こんなところで眠ってはいけないと思いつつ、祥太郎は半ば眠り込んでいたようだ。 柔らかく背中を撫でてくれる手は飽きずに祥太郎の辛い部分を解してくれ、ずっと甘ったれていたいような気分にさせる。 「先生…、身体熱いですよ。ちょっと熱がありそうですね。」 「ん…、そう…?」 祥太郎はふにゃふにゃと返事をした。考えてみればここは生徒の膝の上で、教師たる自分はこんなにリラックスしている場合ではない。だが、いったん油断しきった身体は思うように動いてはくれない。 「…そういえば、薬飲まなくちゃいけなかったんだ…。」 「飲んでないんですか? どこにあるんです?」 「ん…、多分、その辺…。もういいよ、そんなの…。」 「良くはないでしょう。」 直哉はこんな甘い声をしていただろうか。祥太郎はうっとりその声に聞き惚れていた。 背中を摩ってくれていた手が離れて、ふわりと抱きすくめられる。あれっと思う間もなく、降ろされたのはソファーの柔らかい布地の上だ。 直哉が立ち上がり、遠ざかる気配がして、祥太郎は物足りなさにくすんと鼻を鳴らしてしまう。 薄目を開けると、すらりとした後ろ姿は祥太郎の荷物を探った後、キッチンへと入っていく。 (もう抱っこしてくれないのかな…。) 思わずそんなことを考えて、祥太郎は頬を赤らめた。教師が生徒に思うことではない。 余計なことを考えてしまったから、直哉が戻ってきた時も、祥太郎は気恥ずかしくて顔を上げられなかった。 「先生、薬飲んじゃいましょうよ。…先生。…寝ちゃったのかな…。」 直哉の手が祥太郎の汗ばんだ額を這って、張り付いた髪の毛を剥がしていく。 その手はそのまま頬を包み込み、そこを暖めるように止まった。指先が伸びて、からかうように睫をくすぐる。 (うわ…。) 祥太郎はどきどき言う胸を抑えかねていた。 頬が紅潮していくのを、直哉はどんな目で見ているのだろう。だが、今更どんな顔をして目を開けたらいいのか。 指先のくすぐったさにほんの少し顔を顰めると、直哉の指が躊躇うように引っ込められる。そうなってしまうと、またそれも物足りない。 「仕方が無いなあ。…俺の祥先生は…。」 軽く笑いを含んだ声。思いがけなく柔らかいその声は、祥太郎の耳に染み入ってくるようだ。 見つめられているのが恥ずかしくてたまらない。早く視線を逸らしてくれないだろうか。祥太郎は僅かに瞼を震わせた。 (……え?) 僅かにソファーから浮いた首筋に、暖かい手が忍び込んでくる。丁寧な抱擁に祥太郎の上半身は、ゆっくりと直哉の胸に抱え上げられていた。 (え? …なに?) ふわりと頬に何かが掛かる。祥太郎は薄く目を開けて、驚きに声をあげそうになった。 直哉の端正な顔立ちが、目の前に迫っている。 祥太郎の寝たふりなど、直哉には分かっていたのだろうか。ぴくりと震える体を逃さないようにしっかり抱きかかえ、直哉は祥太郎に頬を寄せた。 制止の声を上げようと、薄く開いた唇に、そのまま直哉のそれが覆い被さってくる。 「ふ…、ん…っ。」 少しぬるくなった水と、カチリと歯に当たる固形物が流し込まれてきて、祥太郎は小さく震えた。 直哉の利発そうな薄い唇は、こんなにも熱かったのだろうか。まるで触れられているところがひりひりと焼け付くようだ。 呼吸が苦しくなって、祥太郎は口腔内に満たされた水と、直哉の唾液を一緒に飲み下した。 手がいつのまにか拒むように、直哉の胸に当てられている。それでもなぜか力を込めて突っぱねることが出来ない。 祥太郎が薬を飲んだのを察したのか、直哉が少し動いた。からかうように、祥太郎の上下の唇をあま噛みし、最後にそれを、そろりと嘗め上げていく。 祥太郎は目を見開いていた。間近から見下ろす直哉は、ゆったりと顔をほころばせた。 あまり見覚えの無い直哉の笑顔。それもこんなに安らかで暖かいものは、きっと隼人さえ滅多に見られないのに違いない。祥太郎の胸の奥で、また心臓がトクンと大きく鳴った。 しかし、祥太郎の体調を気遣ってか、決して強すぎない抱擁に、なぜか全身がキリキリと痛む。 このまま覆い被さられて、もう一度あの優しい口付けを受け止めたら、祥太郎はもうひき返せないかもしれない。そうなってしまってもいいと誘惑するように思う自分がどこかにいる。 「先生…。」 祥太郎を赤ん坊のように抱きすくめて、顔を覗き込んでいた直哉が囁いた。その、少し掠れた声に、祥太郎は思わず身体を震わせてしまう。 背中に回されていた大きな手が、再びゆっくりと肌を撫でている。何かを促すようなその手の動きに、祥太郎は流されてしまいそうになる。 ゆっくりと呼吸をした。ともすると喘いでしまいそうな不安な胸は、それだけで祥太郎に少しは落ち着きをもたらしてくれる。それから祥太郎は意識してゆっくりと笑った。 「薬…飲ませてくれたんだ。」 声が震えないように。なるべく無邪気な笑顔に見えるように。祥太郎は震える指先を隠すように手を握って、ゆっくりと顔を傾けた。 大概のことなら、この仕草で何もかも切り抜けてきた。 祥太郎は直哉を守りたいのだ。直哉の若さに一緒になって暴走して、そうして傷ついてしまうのは、教師たる自分ばかりではないだろう。 せめてあと1年は、自分の想いを押し隠さなくてはならない。 「面倒見…いいんだねえ、本当に…。」 祥太郎の間近で、直哉が少しずつ顔色を失っていく。自分はちゃんと笑えているだろうか。いつも通り、鈍感で図太い、子供のような笑顔を作れているだろうか。 「直哉くんは…、本当に、お兄ちゃんなんだねえ…。」 柔らかく背中を撫でていた手が、完全に止まった。直哉は強く目を瞬くと、沈んだ瞳をした。 だから祥太郎はなおさらに笑わなくてはならなかった。罪悪感で胸は潰れそうだけれども、ゼロの関係に戻すためには、とぼけ通すしかないのだ。 「…………はい。」 やがて零れるように落ちてきた直哉の返事は、ますます祥太郎の胸をひしがせた。 |