枝豆




ビールのうまい季節になると、祥がいそいそやってくる。
抱えてくるのはいつでも枝豆。それも枝付きの奴だ。

「瓜生―、ビール飲もうよ。は〜、重かった。」

500ml入りの缶を10本も抱えると、なんだか罰ゲームを受けさせられているように見える祥。俺は慌ててビールの袋を奪い取る。
女の子みたいに見える祥は、こう見えて結構な酒豪だ。

「おまえなあ、俺んちにもビールぐらいあるって言ってんだろ。それか、迎えに行くから、重いもんよろよろもってくんな。」
「えー、いいよう、お迎えなんて。女の子じゃないんだから。押しかけちゃうんだから、せめてものお土産。」

女の子扱いしたい俺を知ってか知らずか、祥は平気でそんな事を言う。

靴を蹴り飛ばして上がれば、一直線にキッチンへ向かう。
祥は料理なんか何にも出来ないくせに、枝豆だけには一家言があるらしい。

「やっぱ枝豆は枝付きだよね。根っこに土が付いてるようなやつ。
しかも茹でたてじゃなくっちゃ、通とは言えないよね。」

いつのまに通になったのだろう。俺は苦笑して、四苦八苦しながら枝豆をむしり出した祥の傍らで、オードブルを作る。
祥にシンクとレンジを占領されてしまうから、たいした物は作れない。
チーズを切り、ハムを丸め、とっときのキャビアをそろそろ盛り付けていると、祥の悲鳴のような声が聞こえた。

「うわあっ、瓜生っ、どいてどいてどいてっ!」

ぐらぐら沸騰した鍋を抱えて祥が叫んでいる。
いくら祥のすることなら大抵のことは受容しちゃう俺も、鍋いっぱいの熱湯をぶっ掛けられるのはご免だ。
慌ててまな板ごと避難すると、祥は走るようにシンクに鍋を運んで、今度はざるざると叫ぶ。
乱暴に熱湯をあけた祥は、その場でダンスでもするように足を踏み替えている。
どうやらあまりのぞんざいなやりように、熱湯の飛沫でも浴びているらしい。

「祥! 乱暴にするなよ! 火傷するぞ!」
「平気だよ、このくらい。それに料理人は、火傷なんか恐れていられないんだよ!」

枝豆一つでなにが料理人だか。

俺ができあがったオードブルを運ぶ間にも、祥はなんだか叫んでいる。今度は塩か。

「赤穂の塩ないの?」
「ないよそんなもん。徳用食卓塩で我慢しろ。」

途端に、えー全然味が違うのにー!と抗議が上がる。
普段なら醤油のビンにウスターソースを詰めたって文句も出ないのに、どんなこだわりようだ。

「さあできた。ビールビール!」

ほかほか湯気の上がる枝豆を抱えて、祥は至極満足そうだ。
俺はちょっと苦笑いして、一番風の通る特等席を譲ってやる。祥は遠慮なくそこに納まって、ビールを1本抱えた。

「今年の夏も頑張って乗りきろー! おー!」

掛け声の一人乗りツッコミで、祥はたちまち缶を半分くらい干す。

「祥、ピッチ早いぞ。」
「大丈夫。僕がこのくらいじゃ酔わないの、瓜生良く知ってるじゃん。
この顔で赤面症だから、どこ行っても飲ましてもらえないんだよね。祥太郎先生はもうお止しになったほうが、って取り上げられちゃって、後はウーロン茶をあてがわれちゃうんだよね。
面倒くさいし、ビールも最初の1杯しか美味しくないからまあほっとくんだけど。」

祥はなんだか嬉しそうにそう言うと、今度はゆっくりビールをあおった。
甘党の祥は、ビールは飲んでもせいぜい500mlだ。俺はもう一度立ちあがって、祥用に取っといてある梅酒を出してくる。
甘い酒なら、祥はいくらでも飲む。

「祥、学校の方はどうだ。もう先生業も2年目なら、だいぶ慣れたろ。」

本当は、すぐに音を上げると思っていたのに、当てが外れてつまらない。
祥が泣きついてきたら、いつでも優しく迎えてやる用意はできていたのに。

「えっ、あっ、うん、今年の方がちょっと大変…。色々あってさ。」

祥はなんでもない顔で、さりげなく(と本人だけが思っている仕草で)わき腹を押さえる。俺はその手をとっ捕まえた。

「なにが大変なんだ? そこどうかしたのか? 見せてみろよ。」
「ああっ、なんでもないようっ! ちょっと瓜生っ! くっくすぐったいってばっ!」

強引に押さえつけてシャツをめくろうとすると、裸足の足が伸びてきて俺の頬を押さえ上げる。
祥の足は女の子みたいにふにゃふにゃで、俺は普段ならしゃぶってもいいくらいに思っている。だが、さすがに真夏のローファーを穿いていた素足を顔面にくっつけられては面白くない。
俺は一旦祥から手を放すと、テーブルの上のざるを持ち上げた。

「見せないんなら、枝豆全部没収。」
「えええ〜っ! そんなあ! ちぇーわかったよう…。」

祥は恨めし気に睨むと、しぶしぶ自らシャツを引っ張り上げた。
相変わらず細くて生っちろい肌の脇腹に、広範囲に渡ってなんとなく痣がある。

「なんだこれ? 痣か?」
「うひゃひゃひゃひゃ、くすぐったいってば、瓜生!」

往生際悪く、タコ踊りのようにひょろひょろ逃げるのに業を煮やして、捲り上げたシャツを腕ごと祥の頭上で一括りに掴んでしまう。
途端にもぐもぐと抵抗が大きくなった。

「うわー、何すんの、放してよ瓜生〜!」
「でかい痣だな…。大人しくこれのわけを白状したら放してやるよ。」
「話す、話すから〜!」

よし、と開放してやると、すっかり皺になったシャツを引っ張りながら、祥はほっぺたを膨らませた。

「んもー! この年で巾着をやられるとは思わなかったよ…。」
「約束だからな、その痣、なんだよ。」
「んー…、ちょっとやんちゃな子がいてさ…。授業中に突き飛ばされちゃって。」
「生徒にやられたのか! それで打撲を?」
「ん、えーと…、…骨折…。」
「なにいっ!」

俺は思わず祥に詰め寄る。
俺が子供の頃から大事に守ってきた祥が、俺の知らないところでそんな怪我を負ってくるのは、俺にはどうしても許せない。

「ああっ、だから瓜生には内緒にしてたのに〜!」
「内緒にするなっ! どこの餓鬼だそいつっ! 俺がぶっ飛ばして…!」
「やめてよっ!」

思いがけず、力いっぱい拒絶されて、俺は言葉に詰まる。
祥は強い視線で俺を見上げて、喧嘩中の猫みたいに背中の毛を逆立てている。

「僕の生徒なんだからっ! 余計な事したら絶交だからねっ!」

本気の目が俺を睨んでいる。俺は思わず視線を逸らして、唇を噛んだ。

いつだって祥は、俺の知らないところで変わっていってしまう。
子供の頃なら苛められれば少なくとも俺には報告くらいはしてくれた。それが今は隠そうとするばかりか相手の子を庇うとは!

これじゃ本当に、俺の出る幕なんかないじゃないか。

俺は悔し紛れに、枝豆のざるを抱え込んだ。
祥の手の届かない位置に差し上げて、続けざまにガバガバと食ってやる。
途端に祥はガキの頃の顔に戻って、俺の手からざるを奪おうとする。
柔らかい体がのしかかってきて、俺は目眩がしそうだ。

「子供みたいな事しないでよ! 僕だって食べたいんだから。返せ枝豆!」
「うるせー! 人一倍子供みたいな顔してるくせに!」
「それとこれとは関係ないでしょ! んもー、この酔っ払いは!」

これっぽっちのビールで酔うか。
酔うとしたら、祥、お前にだ。

祥は子供の頃の仕草そのままに俺に乗り上げると、枝豆のざるを奪った。
こんなに俺は変わらず祥を想っているのに、どうして祥はどんどん俺から離れていってしまうのだろう。

「まったく…おまえはどんどん変わっていっちゃうな。」

思わず真顔で呟く俺に、祥はびっくりしたように目を見開いた。

「えー、僕、全然変わらないよう。」

もぐもぐと枝豆を頬張って、思い付いたようにそのさやを一つ掲げてみせる。

「いつだってこの枝豆みたいに、つるりぽんって、素っ裸の祥ちゃんを見せてあげるよ。」

俺は思わずビールを吹きそうになった。