窓際の席




小さい頃、ウサギを飼っていた。
大好きだった真っ白いウサギ。
小さくて暖かくてふわふわで、ぎゅっと抱きしめるとじたばた暴れた。よく見たいから、耳を掴んで引っ張ると、俺の指に歯を立てた。ずっと触っていたくて、追い回したら逃げるようになった。
それでも大好きだからずっと弄んでいた。
気が付くとウサギは冷たくなっていた。



放課後の教室。西日の差し掛かる窓際の席。白い煙が棚引いて、荒い息遣いと啜り泣きが聞こえる。
俺はもう一口、煙草を吸った。
押さえつけた真っ白い腕が震えて、もう何度目になるかわからない哀願の言葉を吐いた。

「聞こえない。」

俺はそういうと、躊躇わず、その白い腕に煙草の火を押し付けた。
ちゅっと小さな音がして、肉のこげる嫌な匂いがする。
ひっと息を飲んだ白雪は、そのまま細い悲鳴を上げた。

がたんと、空の机が鳴る。押さえつけられた白雪が、苦痛のあまり足を蹴り上げたのだ。
小さくて真っ白い白雪は、意外に暴れん坊だ。

「おい、ちゃんと押さえてろよ。これじゃ綺麗な線にならないよ。」
「一巳、一巳、もうやめて! 痛いよ…!」

白雪の真っ白い顔が、更に真っ白になっている。
かわいそうに、血の気が引くほど痛くて熱いんだな。
ぞくぞくと背中が震える。俺がしているのは惨い事だとわかっている。かわいそうだと思うのも、俺の本当の気持ちだ。

だけど、白雪が泣き叫ぶと、どうしようもない暗い喜びが俺を満たしていく。

「遠慮すんなよ、白雪。お前の腕が真っ白すぎるのが悪いんだぜ。なにか刻み込まなきゃいけないような気分になる。」

俺は灰皿から、途中で消えた吸い差しを取り上げた。左手で火を点ける。
右手は机の上、開いた白雪の手のひらを机に縫い付けている。

「やだあっ、もう止めてよ! ものすごく痛いんだよ、…一巳!」
「俺の名前を呼ぶなよ。」

俺の事を友達だとしか言わないその口で。

短く灰の付いたままの煙草を丁寧に柔らかい肉に押し付ける。
涙交じりに悲鳴が聞こえて、渾身の力で押さえている腕が、それでも浮きそうになる。
ああ、やっぱり折れた煙草じゃだめだな。線が曲がっちゃった。

これじゃ、一巳の一の字は、二重の線にしないとな。

俺は白雪の腕の、黒くこげた後をそっと嘗めてみる。灰が付いていて苦い。
いきなり歯を立てたら、丸く焼けた周りに出来始めていた水泡が破れて、白雪がまた可愛い悲鳴を上げてくれた。

そう、こんな声が聞きたかった。



小学校から一緒の白雪は、その名の通り白雪姫みたいに真っ白で可愛かった。
あんなに真っ白なくせに、髪も瞳も、長い睫さえ真っ黒なのだ。まるで夜のぬばたまのように。

まるで、あの動かなくなっちゃったウサギみたいだ。
可愛がって抱きしめると暴れるところも、ちょっと強めにいたずらすると噛み付いてくるところも。
あんまり追いかけると逃げるようになるところまで、そっくりだった。

それでも白雪はウサギとは違う。真っ黒い瞳がすべてを裏切っている。
泣かせたらいいのかな。泣いて目が真っ赤になったら、本当にあの、俺だけの物だったウサギと同じになるのだろうか。
ためしにちょっときつく苛めてみた。
白雪の泣き顔は、ウサギなんかよりもっとずっと可愛かった。



ガタガタと机が大きな音を立てて動く。
俺は机に押し付けられている白雪を無表情に見下ろした。
何とか逃げ出そうと頑張ったんだろう。だけど到底敵いやしない。
小さくて可愛い白雪には、体の大きい同級生二人は荷が勝ちすぎる。

「暴れんじゃねえよ、こいつ…っ!」

一人が白雪の頭を拳で殴った。
鈍い音が白雪の頭と机の上、2個所でして、白雪は唇を噛んで泣いている。
俺はそいつを無造作に張り倒した。
白雪を泣かすのは、俺だけでいい。

「暴れても無駄だって、いい加減わかんないかなあ、白雪。」

俺は白雪の頭を優しく摩ってやる。
何度も乱暴に掴んで振り回した髪だけど、今日はその手触りを楽しむだけにする。
白雪は俺の手の中に完全に納まっていればいい。

そう、白雪は俺だけの物だ。

俺の行けない高校に行くなんて許せない。

「お前が悪いんだぜ白雪。俺から逃げ出そうとするから…。
おまえが俺の傍から離れられないんだって事、こうして身に染み込ませてやらなきゃならなくなる。」

さっき張り倒した愚図がようやく立ち上がってきたので、俺は白雪の可愛い頭をやつに委ねる。
本当は一時だって誰かに譲りたくなんてないんだ。
首に鎖をつけて、引きずり回してやったらいいかな? 俺はうっとりと夢想する。

大型犬の首輪なら、白雪の細い首には十分だな。

もう一度白雪を押さえつけた愚図は、俺の機嫌を伺うように俺を見上げた。少し手が震えている。

本当はこいつらは、こんな場面に立ち会いたくないのに違いない。
こいつらは俺が白雪に構ってる間はご機嫌なのを知っている。
白雪がいなくなれば更に苛烈になった鬱憤晴らしが自分たちに降りかかる事も知っている。

だから俺には絶対逆らわない。
頼みもしないのに、生け贄のように白雪を捧げてくれる。

俺は新たな煙草に火を点けた。
そうして白雪の頭を柔らかく撫でながら囁く。

「俺だってけっこう辛いんだぜぇ、白雪?
こんなに煙草吸わなきゃならなくて、口の中がイガイガでさ。」

白雪の目の前に脅しつけるように積み上げてある煙草の箱。
全部使っても足りないかもしれない。

「どうして…っ、どうしてなんだよ、一巳!」

不意に白雪が叫んだ。
がっちり抑え込まれて、涙も鼻水も拭えなくても、白雪はこんなに可愛い。

「仲良しだったのに…、ずっと友達だったのに、どうして…っ。」

ほらまた、トモダチなんていうんだ。
可愛い顔をして、白雪は酷いね。

「馬鹿だね、白雪。俺はお前の事、トモダチだなんて思った事、唯の一度もないぜ。」

長く伸びてしまった灰を払って、俺は丁寧に白雪の腕にそれを押し付ける。
新たな悲鳴が響いて、俺の右手に白雪の爪が食い込んでくる。

こうでもしなきゃ、白雪は俺の手も握りやしないんだぜ?

鳴咽を上げ始めた白雪がかわいそうで、俺は数本の煙草に同時に火を点ける。
まだまだ完成には遠いこの印。急いで刻み込んであげる。

「そんなに泣くなよ、白雪。まだまだ終わらないんだからさ。
ほら、ここいっぱいに俺の名前を焼き付けてあげるよ。
二度と消せないようにね。」

爪で予定の線を白い腕に描く。
たとえ白雪が俺から逃げ出しても、誰からもこれが俺の物だとわかるように。
一生消えない印を刻み付けてあげる。

まとめて3本の煙草を、直線になるように気をつけて持つと、白雪の顔が引き攣った。

「ひっ、やっ、
いやああああぁぁぁぁぁぁぁぁ…。」

可愛い声だね白雪。
一の字はこれで終わりにしてあげる。
でも巳の字はきっともっと痛いよ。
決して俺を見てくれない白雪を追いかける俺の胸みたいに。

俺はくすくす笑いながら、消えた3本の煙草を投げ捨てた。