ミルクセーキ




生徒会室に入っていくと、咲良と瑞樹が頭を付き合わせてくすくすと笑っている場面に出っくわした。

何がそんなに嬉しいのか、よく観察すると、二人はMDウォークマンのイヤホンをかたっぽずつ譲り合って一つの音楽を聴いているのだった。
ステレオタイプのイヤホンをそんな風に聞いて楽しいかどうかはともかく、二人はとても恥ずかしそうな顔をしていた。

「ねえ、君たち、何をさっきからそんなに嬉しそうにしてるの?」

俺の祥先生が大きく首を傾げる。二人は声を殺して笑った。

「これねえ、雪紀さんに貸してもらったんだけど、意味深な歌なんですよ。」
「ちょっと咲良の心境みたいな?」
「なんだよう、瑞樹だってそうだろ?」
「俺たちはフツーだもん。こんな段階に行くにはまだまだレベル低すぎて…。」
「な、なんでっ。俺たちだっていつもは極フツーだってば。」

きゃっきゃと声を上げる二人に置いてけぼりを食らいそうになって、祥先生は淋しげに首を傾げる。
俺がそこへ割り込むと、二人の表情が一転した。

「聞かせてあげる。」

二人は示し合わせたような仕草で、イヤホンを差し出す。

「これ一個ずつ聞いてみて。先生、感想聞かせて。」

なんだか分からないままに、俺はイヤホンの片割れを受け取った。



こういう場合、反対の側を渡すものではないのだろうか。
俺の渡された方にはRと書いてある。
祥先生は俺の左に座っていて、渡されたイヤホンは当然Lだ。
祥先生が素直に表示の通り左耳にイヤホンを突っ込むのを見て、俺はちょっとどきどきしながら倣って右耳にそれを突っ込んだ。

祥先生のふっくらしたほっぺたが、擦り寄るように隣にくっついてくる。
俺は心持顔が偏るのを感じながら、流れてくる音楽に耳を傾けた。

急かすようなアップテンポの短い前奏の後、甲高くて中性的な声が流れ始める。
単調な歌い方ではあるが、それだけに切羽詰った感じがする。
すぐ傍の祥先生にばかり気を取られていた俺は、歌詞を聞いて思わずギョッとした。
繰り返されるフレーズ。ずっと熱の篭った声が、君のミルクセーキを飲みたい、癖になっちゃって…と訴えている。

ミルクセーキと言うのは、この場合やっぱり………アレか?

目の前の咲良と瑞樹がわくわくと、おもちゃを前にした子犬みたいにひとみを輝かせて見つめている。
俺は次第に眉間にしわが寄っていくのを止められない。
傍らの祥先生がゆっくりと首を傾げるのが分かった。

「ミルクセーキって、卵とミルクを混ぜて砂糖を入れるっていうアレでしょ?」

祥先生はゆっくりとイヤホンを抜いた。

「昔ねえ、『家族そろってオ●ナミンC!』っていうCMがあって、その中に『ママはオ●ナミンセーキ!』って、卵を混ぜてウイッて飲むシーンがあって、子供心にそれは不味そうだと思ったよ。」
「「そーゆーことを言っているんじゃありません!」」
「ん〜、だって感想を言いなさいって言ったじゃない。」

祥先生はイヤホンを差していた耳を指先でくすぐった。

「先生はこんな歌聴いてもなんとも思わない?」
「そ、そうだよ。これってラブソングでしょ!」
「ふ〜〜〜〜〜ん…。」

いかにも気のない返事の後、祥先生がくるりと俺を振り返った。
いろんなあれやこれやを想像して、なぜか怖い顔になりながら祥先生を見つめていた俺は、ちょっと焦って身を引いた。

「直哉君はどう思った? 今の歌を聞いて。」
「俺? 俺は…。」

俺はごくんとつばを飲みこんだ。

間近に迫る祥先生のほっぺたは、いつ見てもつるんと綺麗だ。
さっきの歌は、祥先生にはちっとも効き目がなかったようだ。
それなら、先生の鈍感さに任せて、俺の願望を口に出してもいいってことだろうか。
意味が通じないのなら、とりあえず契約には…至らないんだったよな。

「俺はそのうち、先生にミルクセーキ………飲んでもらうつもりでいます。」

キャ──────ッと黄色い声が響く。
咲良と瑞樹がそろって口を押さえ、頬を染めている。
祥先生はゆっくり瞬くと、もう一度首を傾げた。

「それで、先生からもご馳走してもらうのが………俺の目標です。」
「ミルクセーキって、直哉君の好きな味じゃないと思うけど…。甘いよ?」
「甘くないミルクセーキを頂くつもりですから。」

祥先生は少し口を尖らせて思案顔になった。それからゆっくり笑う。

「それじゃあ、僕、美味しいミルクセーキ、作れるようになっておくね。」
「………期待してます。」

俺はかみ締めるように言った。
本当に近い将来、互いのミルクセーキを分け合える関係に、俺はなりたい。

祥先生は何か思い出したように立ちあがった。

「それじゃ僕、そろそろ職員室に帰るね。また放送かけられちゃう。」

最近祥先生は生徒会室に入り浸りなのではないかと、注意されることがあるという。
先生を独占しておきたい気持ちは山々だが、それで祥先生が怒られてしまうのではあんまりだ。
俺は名残惜しく思いながら頷いた。咲良と瑞樹も同じように手を振っている。

「あ、それから…。」

祥先生がひょいと振り向いた。かがんで、俺の耳に口を寄せる。
ふわりと祥先生の香りが漂って、俺は無意識に体を硬くした。

「69だと、僕届かないかも、ミルクセーキ。」
「へっ?」

咲良にも瑞樹にも聞こえないささやき声。
意味深と言うよりは、あまりにも直接的な言葉がいつまでもくわんくわんと耳の中にこだまする。

俺の祥先生はけろりとした顔をして、じゃあねと手を振った。