夢の中




緊張しきった面持ちの隼人が、ぎこちない仕草でシャツを脱ぎ捨てた。
綺麗に筋肉の隆起した肩が滑らかに動いて、嫌でも俺にこれがどんな場面なのか思い知らす。
こんな薄暗がりの中でも、隼人の小麦色の肌は艶やかに光って、俺の貧弱な身体とは比べ物にならないくらいまぶしい。

俺は思わずうつむいた。一糸も纏わない自分の肌が見下ろせて、息が弾むくらい動悸がする。

「…すっげ真っ白。本当に雪みたい…で、…綺麗だ。」

言葉と一緒に暖かい手が肩の上に乗せられる。
俺の輪郭を確かめるように、そっとその手が撫で下ろされて、俺の身体を次第に抱き寄せる。

つむじの辺りに、触れるだけのようなキスが落とされて、俺は泣き出したいような気分になる。
こんなに優しくされるのは初めてのことかもしれない。

「俺は…隼人が思ってるほど綺麗じゃない。綺麗なのは…隼人のほうだよ。」

呟くように言うと、羽に触れるようだった隼人の腕が、急にぎゅっと俺をだきしめた。



隼人は俺の腕を引っ張って強引に導いたくせに、向かい合わせに座り込んだベッドの上で黙りこくってうつむいている。
やがて、思い切ったように伸ばされた腕が、俺の両の肩をしっかりと捕まえた。静かに見上げた顔は、真っ赤にほてっている。

「ちゃんといろいろ調べてきた。優しくするから…いいだろ。」

俺はもうすっかり覚悟を決めているのに、それでもまだ確認するかのような優しい言葉は、俺を戸惑わせる。
そうしてゆっくり俺を引き寄せて胸に抱きしめたくせに、暖かい唇を押し付けたのは、俺の額だった。

隼人の仕草は、何もかも俺の記憶と違う。
俺が初めて身体を開かされたとき、一巳は俺の髪を鷲づかみにしてシーツに押し付けて、逆らおうとすると拳で殴った。
こんなに暖かいキスは、返って俺に恐怖を覚えさせる。
俺にはこんなに優しくしてもらう価値があるのかどうか。この優しさに溺れてしまうと、あっという間に飽きられてしまうのではないか。

「ね…隼人、お願い、待って。」

声が掠れてしまうのは、過去の体験が鮮やかに思い起こされるからだ。
一巳はどれだけ泣いても哀願しても、決して俺の言うことを聞き入れてくれなかった。

俺が小さな声を上げると、隼人はビクリと震えて、慌てて俺から離れた。強くしかめられた顔が、なんだか泣き出しそうに見えて、俺はちょっとびっくりしてしまう。

「あ…あの、俺…さ。」
「頼むから…今さら嫌だなんて言うなよ。」
「…え?」

真夏の太陽みたいに朗らかな隼人には似つかわしくない小さな声に、俺は思わず鸚鵡返しに聞き返してしまう。
隼人は唇の内側を強く噛んだ顔をして、やにわに自分の持ってきたバッグに手を伸ばした。

「ずっと楽しみにしてたんだ。お前と、こうして夜を明かせること。でも、いざそういう雰囲気になると、やっぱり思い切りが付かなくてずっと後回しにしてきた。でも…!」

隼人はバックの中身をザラリとベッドの上に空けた。

隼人は意外と几帳面だ。ハンカチはいつもきちんとアイロンが当てられているし、充実した財布だって無様に膨らんでいることなんてない。
そんないつも見慣れた雑多な物の中から、明らかに異質な物が飛び出した。

小さな瓶と箱だ。

箱のほうには、妙に可愛らしいイラストが付いていて、俺は思わずあっけに取られてしまう。
いくら可愛らしくても、それは紛れもなく避妊具のイラストだ。

「………これ…。」
「これは…買った。薬局の親父がジロジロ見やがってムカついたけど、やっぱ必要だろ。
生でスんのは、…お前の身体にも負担をかけるって…本に書いてあった。」

ぼそぼそ言う隼人の声は、次第に不機嫌そうになっていく。ちらりと見上げたら、顔が真っ赤になっていた。

「んで、これは、兄貴の部屋からガメてきた。通販で買うには間がなかったし、これがなきゃ…あってもかもしんないけど…お前に痛い思いさせちゃうだろ。
しょ、祥太郎と共用ってのは、ヤかも、しんないけど…。」

さも忌々しそうに、指先で転がすそれは、どうやらオイルのようだった。

俺は寮でいろんな話を聞いているから、男同士の交歓に、こういうものが必須だというのはちゃんと知っている。
ずいぶん前から、おせっかいな会長がプレゼントしてくれようというのを断ってきたんだ。まさか、隼人がそこまで気を回してくれているとは思わなかった。
初めての夜は、絶対流血するものと思っていた。
それでも、一巳がしたことに比べれば、隼人は数倍も優しいに違いない。

「俺、お前を独占したいんだ。だから、お前とシたい。ヤかも、…怖いかもしれないけど、俺の物になってくれよ。頼むよ。」
「頼むだなんて…。」

俺はもう一度ベッドの上に空けられた物を見た。
直哉さんの部屋から取ってきたというオイルの瓶はともかく、こんな避妊具なんて、どんな顔をして買ったんだろう。隼人のことだから、絶対さりげなくなんて買えないのに違いない。
真っ赤になって、一人で必要もないのに辺りを威嚇しまくりながら買ったのだろう。

その光景を思ったら、なんだか全身が暖かいものに包まれた気がした。
優しい隼人を独占したいのは、俺のほうなんだ。

「ありがとう、嬉しいよ、隼人。」
「天音さんたちにはばらしちゃったけど、なるべくほかのやつらには話が漏れないようにするから…特に兄貴たちには知られたくねー。これも、こっそり戻しておくから。」
「うん、…でも、あれ?」

隼人がつついた瓶が、俺の膝元まで転がってくる。俺はそれを取り上げて、声を上げてしまう。

「何かついてるよ。」

隼人がしかめっ面のまま、俺の手の中を覗き込む。
小さな付箋が瓶の底に貼り付けてあって、そこに何か書いてある。

「…がんばれよ、だって。」
「………まさか。」
「…だってこれって新品だし。」

そっと覗うと、隼人の顔が火の点きそうなくらい真っ赤になっていた。

「兄貴に知れてるって事は、祥太郎と雪紀さんには筒抜けってことだし、雪紀さんが知ってるってことは咲良にも…瑞樹にも知れてるって事で………ギャーッ!」

隼人は身を捩りながら頭を掻き毟った。

「なんであいつらこんな時ばっか連結いいんだよ!」
「こんな時ばっかじゃないけど…。」

俺がいけないのかもしれない。心細さと不安感に負けて、何度も天音さんや慎吾先輩に相談してしまったから。
それにしても、この場面は一体何なんだろう。二人とも素っ裸で準備万端にしておきながら、別の話題にばかり話が流れていって、ちっともそういう雰囲気になりやしない。

隼人は相変わらずグネグネと身悶えていたけど、俺はなんだか幸せな気分だった。
思わず小さく笑ってしまったら、隼人に睨まれた。

「なんだよ、白雪。」
「だって…なんだか嬉しくて。」

俺はそっと手を伸ばした。隼人の肩に両方の肘を乗せて、引っ掻き回されてめちゃくちゃになっている短い髪に指を絡める。
顔と顔とがうんと近づいて、隼人が慌てたように何度も瞬きをした。

「俺、隼人にはふさわしくないってずっと思ってた。」
「な…なんでだよ。馬鹿言うな。」

隼人がきつく眉をしかめる。
目を逸らそうとするのを構わずに、額と額とを押し当てると、大きな肩が少し震えた。

「だって俺は、一巳の奴隷みたいなもんだったし、一巳だけじゃなくていろんな奴に嫌な目に会わされてきたんだよ。いじめって連鎖するんだ。」
「…そいつら全員再起不能になるまでぶん殴りに行ってもいい。だから、自分のこと、奴隷だなんて言うな。」

唇を噛み締めた隼人は、きっと本気なんだろう。
俺は隼人の髪を握る指に力を込めた。隼人にそんな犯罪まがいのことを、冗談にもさせられない。

「そういうこと、皆知ってる。その上で、祝福してくれる。誰も、俺が酷い苛められ方をしていたことなんて問題にしないでくれる。それが物凄く嬉しい。」

中学生の頃は、苛められているという事実だけで、簡単に友人が苛める側に回ってしまった。
俺は卒業の頃には、誰とも満足に口も利けなくなっていた。

「何よりも、こうして隼人にめぐり合えて、好きだって言ってもらえる。これ以上嬉しいことはない。こんな夜を迎えられたのも、…本当に嬉しくて、幸せなんだ。」

額を離すと、隼人の鼻の頭に口付けた。少しためらって、自分から隼人の唇をついばんだ。
2回、3回と触れる唇に次第に満足できなくなり、隼人の頬を左右からしっかり押えると、少し舌を入れた。
舌先が僅かに触れると、急に隼人が俺をぎゅっと抱きしめてきた。
背中の反り返るようなきつい抱擁にくらりと目が回り、気がついたら隼人の顔を真上に見上げていた。
ベッドに押し倒されたのだと知っても、まったく怖くなかった。

「隼人…。」
「も…限界。こんな、あちこちから覗かれているような中で…おまえはヤじゃないか?」
「嫌じゃない。…て言うか、俺ももう我慢できない。」

折り重なっている隼人の滾るものが、俺の脚に触れている。きっと俺のもそうだろうと思ったら、どうしようもなく恥ずかしくて、顔が熱くなった。

隼人がオイルに手を伸ばすのを見て、俺は目を瞑った。
正直、怖くないわけじゃない。一巳との事を思い出すと、あの酷い苦痛も思い返されて、体が震えてしまう。
でも、隼人がそんな乱暴なことをするわけはない。

少し荒くなってしまう息を抑えて待っている俺に、隼人はなかなか触れてこようとしない。
長い沈黙を不思議に思いかけた頃だった。

「あの…白雪、恥ずかしいんだけど…。」

ためらうような声が掛けられて、俺はそっと目を開いた。
俺の目の前でオイルを握り締めた隼人は、切なそうに肩を竦めた。

「俺…こんなことは、本当に初めてで…。我慢できない気持ちも本当なんだけど、実は何をどうしたらいいのか、よく…わかんねえんだ。」
「………うん。」

俺がためらいながら返事をすると、隼人はさらに赤くなった。

「だから…さ、白雪も、俺に…協力してくんねえ?」

思いがけない言葉で、俺は思わず目を見張ってしまう。
隼人は小さく口を尖らせて、それでも哀願するような目で俺を見た。

「うん…そうだよね。俺も、あんまりどうしていいのか分からないけど…。」

目の前の、大きな隼人が可愛らしく見えるなんて変だろうか。
それでも俺は、この正直で一本気な隼人に出会えたことが嬉しくてたまらなくて、気がつくと頬を緩めていた。

「何もかも一緒に覚えて行こうね。」

隼人の大きな手を取った。
僅かに震える指先にキスを送ってから、俺はゆっくりとその手を導いた。

「俺が隼人を受け入れられるのは、ここ。」

鋭敏になってしまっている肌は、隼人の指を感じると、小波が立つように、俺の体を震わせる。
真剣な顔で俺を見下ろす隼人の手をそっと放すと、手のひら全体がそこを確かめるように押し当てられてきて、俺に幸せな痛みを与えてくれた。
ためらうような指先が、小さなすぼまりを探り当ててそっと忍び入ろうとする感触。
引き伸ばされる皮膚は痛みを伴うのだけれども、それ以上に隼人の体温が嬉しい。

「そっとほぐして、ゆっくり可愛がって。俺が隼人を抱きしめていて上げるから、ちゃんと最後までして。俺の奥まで隼人を刻み込んでね。」

暖められたオイルが滴る感触がする。俺は言葉通り、しっかり隼人にしがみついた。
大きく息をした隼人の指が、少しずつ俺の中を確かめている。
どうにも幸せで、まるで夢の中にいるみたいだ。



二人の秘めやかな息遣いを縫って、遠くからかすかに聖者の誕生を祝う歌が聞こえてくる。
この新しい夜が、俺と隼人にとっても聖なる夜となるように。