壊しそうな欲望




手を繋ぐのが恥ずかしくなかった頃には、白雪の視線は俺と完全に一致していた。
白雪は名前の通り真っ白で、およそ日焼けも知らない滑らかな肌をしている。
そのくせ、顎で切り揃えた髪も瞳も真っ黒に輝いていて、まるで氷原の上に無防備に転がっているしかない、アザラシの赤ん坊みたいだ。
俺が呼べば、煌く黒髪をふわりとなびかせながら、嬉しそうに走ってきた。俺を見つめて、俺の見ているものを見た。俺の言葉だけに耳を傾けて、俺の意図するところでだけ笑った。
だから俺は、いつまでも白雪が俺の腕の中にだけあるものだと思っていた。



「ねえ、どうして? 一巳!」

鋭く俺を糾弾する声。真っ白い頬を僅かに怒りに紅潮させて、白雪は俺を睨む。

「放課後に運動会の練習をするのは、みんなで話し合って決めた事なんだよ。どうしていつもサボるの?」
「…みんなで話し合って決めた事なんて、俺は興味ないね。」

俺は鞄を探った。最近覚えた煙草は、ますます口の中を苦くするだけだったけど、気分を収めるには都合がいい。
だけど白雪は、俺のそんな些細な逃げ道も許してくれない。ますます頬を怒りに染めて、俺の腕ごと鞄の中に押し戻す。

「そんなの出しちゃだめってば! ここは学校なんだよ! それに体に悪いよ!」
「俺の体だ。俺の好きでいいだろう。」
「俺は…心配してるんだってば!」

心配? 心配が聞いて呆れる。
俺のことを心配してくれているのなら、どうしてそんなふうにあちこちに視線を飛ばすんだ。
白雪は俺の顔だけ見ていればいい。一瞬も逸らさずに。

学校に上がるようになって、俺たちの間に有象無象が入りこむと、たちまち俺と白雪との距離は遠くなった。
白雪は可愛くて優しくて、その上勉強もできたから、周りの奴らがほっとかないのだ。
いつでも大勢に取り囲まれた白雪は、俺にも見せたことのないくすぐったい顔をよくする。白雪の比重が俺から友達たちへ、どんどん傾いていくのがわかる。
俺の後ばかりをくっついてまわっていた、泣き虫の白雪は、今はどこにもいない。

「頑張って、運動会の練習しようよ。みんなでやれば、きっと楽しいんだから。」

白雪はまるで無邪気な顔で、背後の友達とやらを振り返る。
無防備な白雪を守るように、クラス中のヤツらが、白雪と俺とを取り囲んでいる。

「……その、みんなでっていうのが気にいらねえんだよ。」
「どうして? 友達が増えれば、楽しいことも増えるじゃない。」

ほら、白雪はなんにもわかってない。
俺の楽しいことは、白雪だけの上にあるのに。

俺は立ち上がった。気圧されたように、白雪が一歩下がる。
無表情に白雪を見下ろした。おまえはそうやって、俺だけを見つめていればいいんだぜ?

「大体おまえ、生意気なんだよ。」

ちっちゃくてか弱かった白雪のくせに。

「おまえはいつから、俺と違う物を見るようになっちゃったんだよ。」

ほっぺたを擦りつけるような位置で、おんなじものを見つめていたのに。

「な…なに言ってるの? 俺と違う物って…。
そんなの、一巳の方が急に大きくなっちゃったんじゃない。
俺と視線を合わせなくなったのは、一巳の方が先だよ。」

ああ、そうか。俺は愕然とする。
白雪を裏切ったのは俺の方が先だっていうのか。

目の裏が熱くなっていく。俺の白雪を独占しておく為に、俺は何をしたらいいのだろう。
すっかり黙りこくってしまった俺に困り果てたように、白雪は視線を逸らした。
背後に立つ、友達とやらに話し掛ける。そうしてもう一度俺を見る。蔑んだ目をして。

突然胸の中に沸き上がってきたのは暗い喜び。
例えどんな視線でも構わない。白雪が俺を見ているなら。
決して白雪が俺から目を逸らせないように、がんじがらめに縛り上げればいいのだ。

「な…なに? どうしたの、一…。」

白雪が顔色を変えた。俺の顔を見ているからだ。
俺がどんなに恐ろしげな顔をしているか、鏡なんか見なくても白雪の表情に映っている。
言葉の終わるのを待たずに腕を伸ばす。白雪の細い襟足ごと奥襟を掴む。このまま力を込めればぽっきり折る事もできそうなやわい骨。

「俺の言う事聞いてくれよ。お前は俺だけ見ててくれよ、白雪姫。」

耳元で囁いた。だけど返事は待たない。
どうせ拒絶の返事など、聞くだけ無駄だ。

力任せに腕を振ると、白雪は面白いように振り回される。
騒々しい音を立てて、俺は白雪の身体を誰かの机の上に叩き伏せていた。
教科書やノートがばさばさと零れ落ちる。女子がブタみたいな悲鳴を上げた。

「うっ…げほっ、一巳、なに…を。」

胸をしたたかに打ったのか、白雪は喉を詰まらせる。
俺は掴んだままの襟首をぐいぐい机に押しつけた。

「いつからそんな偉そうな口を聞くようになったんだよ、白雪。いつだってお前は俺の後ろをくっついて回ってたじゃないか。
この先も、ずっとそうやって、お前は俺の側にいればいいんだよ。」
「放…せ! そんなのは間違ってる! ずっと二人で一緒だなんて、いられるわけ…ないじゃないか!」
「間違ってる? 俺が? 間違ってるのはお前の方だよ、白雪。」
「…一巳?」

俺の柔らかい声に、身動きの取れない白雪は、不安そうな声を出した。無理に首を捻じ曲げて、何とか片目で俺を捕らえる。
相変わらずの黒曜石のような瞳が俺を射ている。俺は嬉しくなった。

「そう…おまえは間違ってる。間違いは正してやらなきゃな。」

どうしてやろう。白雪を俺に従わせ、同時に回りのうざったいやつらも引き離すには。
徹底的に白雪を辱めてやればいいのか?
その上で、俺の側には来たくないと、あいつらに思わせればいい。

俺は白雪の背中を見下ろした。
白雪の白い肌を引き立てるだけのような濃紺のジャージがめくれあがって、下に着た真っ白い体操服が覗いている。ウエストのゴムが緩そうだ。
白雪はいつだってちっちゃくって華奢で、俺とおそろいの服なんて着られやしない。

ウエストに手を掛けると、力いっぱい引き降ろした。
押さえつけた白雪の体が、激しく震えた。

「ひっ! やっ…やだあっ!」

手がバタバタ振りまわされる。俺は見下ろしてチッと舌打ちした。
ジャージのゴムに引っかかって、白雪の下着までもがずり落ちてしまっている。
半分露出された真っ白い滑らかな尻。もったいなくてみんなに見せてやるつもりなんかなかったのに。

「放せ! 放せってば! 一巳ぃっ!」

白雪の声が高くなって、足までが俺を遠ざけようと蹴上げられる。
白雪が俺の為だけに必死になっている。俺は楽しくなった。

「あんまり暴れない方がいいぜ? せっかく半ケツですんでるのにさ。
お前がみんなに見せびらかしたいんなら、全部ひん剥いて、窓から吊るしてやってもいいんだよ?」

言いながら、下着のゴムを床と平行に引っ張った。
似合いすぎる今時白ブリーフ! 俺からだけ、白雪の太股まで覗けるぐらい引っ張ると、面白いくらい押さえつけた体が強張る。
手を放すと、伸び切ったゴムは弾力にしたがって勢いよく戻り、乾いた音と共に白雪の尻に薄赤い筋を残した。

そうだ、この可愛い尻を叩いてやろう。
痛みと共に、俺を白雪に刻み付けるように。

大きく腕を振った。体重を乗せた掌を、力いっぱい白雪の白い尻に打ち下ろした。
びしゃっと、巨大なひき蛙を石に叩きつけたみたいな音がした。

「ぎゃっ!」

びくんっと白雪が竦みあがった。
白雪の真っ白な尻に、俺の手形が大きく浮かび上がる。
指の1本1本までくっきりと、俺の痕跡が白雪に染み付いている。

「い…やっ! なにするんだよっ、一巳っ!」

またバタバタと動き出した手が、今度は懸命にむき出しの尻を隠そうともがく。
俺は無表情に辺りを見回した。
さっきから息を飲んで固まりきった観衆は、足が地べたに張り付いたように動きやしない。

「おい、そこのおまえ。」

顎で指すと、愚鈍そうなその男子はびくりとして、それからおどおどと辺りを見回した。

「白雪の手を押さえろ。邪魔になってうまく叩けない。」

こいつはいつでも白雪の真後ろに着いていた奴だ。親切ごかして、親友面して、いつも白雪以上に俺を見下げていた奴。
今その、化けの皮を引っぺがしてやる。

「早くしろよ。それとも、…お前が白雪の代わりに叩かれてやるか?」

ほんの少しだけ、獰猛そうに鼻の頭に皺を寄せる。それだけで奴は脅えた目をした。
簡単だった。そろりと足を踏み出した奴は、もう完全に俺の下僕だった。
白雪は、自分の目の前で押さえつけられる自分の手を、零れ落ちそうな大きな目で見つめる事しかできないでいる。
俺は優しく白雪の髪を撫でた。子供の頃と一つも変わらない、絹のような黒髪。

「お前の言う通りになったな、白雪。友達と一緒で…楽しいか?」

白雪の唇が、薄く開いて、結局また引き結ばれた。
白雪はいつだってこうして、俺の為には言葉さえ惜しむ。

俺は腕を振り上げた。渾身の力を込めて振りぬく。
バシィッと、空気を震わすような音がした。
机の上に張り付けられた白雪がひぐぅと間抜けな声を出す。
白雪を押さえつけている奴が見るからに痛そうに首を竦め、辺りを取り囲んでいた奴等の輪が確実に広がった。

「おまえが悪いんだぜ、白雪。俺より他の奴を優先して、俺をないがしろにするから…! だから俺はこうして、お前に俺を刻み込んでやらなきゃならなくなる!」

白雪の真っ白な尻に浮かび上がっていた俺の掌型の赤い跡が、2つになり3つになり、すぐに一面の赤になった。
それでも俺は気が治まらなかった。打つ方の掌の痛みに焦れて腕を振ると、何かにぶつかった。
誰かのリコーダーだった。俺はそれを握り締めた。

骨を打つような、ガツンという手応えがして、危うく二人分の力を跳ね除けるように白雪が飛び上がった。
すっかり遠巻きになった連中の中から、鈍い悲鳴が聞こえた。
俺は一瞬呆れてそっちを見た。また更に人の輪が広がる。

馬鹿じゃねえの? 俺はおまえ達なんかに手を掛けてやる暇も気もねえっつーの。
白雪だけが俺にすべての気力と生きがいをもたらしてくれる。
そうして同時に、俺の中の何かを歪ませる。

「白雪…痛い?」

俺はそっと聞いてみる。
可哀相に白雪は、まさしく蒼白な顔色になって震えている。
だけど俺の方を見ようともしない。泣き声すら上げてくれない。
どうやら自分の命運が、俺の機嫌一つに握られてるって事を、自覚したくないらしい。

「お前が俺の事だけ見て、俺の言う事だけ聞いてくれれば、こんな痛い目見なくてすんだんだよ?
約束してくれる? もう他の奴なんか見ないって。」

じっと見下ろす視線の先で、白雪はその愛らしい唇をぎゅっと噛み締める。
しょうがないなあ。白雪はなんにもわかってない。
可愛い白雪を打つたびに、俺の胸は白雪以上に痛むんだぜ?
だけど、白雪が素直でないなら仕方がない。俺はもう一度リコーダーを振り上げた。

白雪の背中一面に、冷たい汗が浮いているのが分かる。
リコーダーが柔らかい肉を打つたびに、そこには細長く、青黒い内出血が現れる。
手が痛くなってきたので、もう一度囁いてみる。白雪は強ばった顔で、やっと肯いてくれた。
そうそう、そうやって、白雪は俺の言う事だけ聞いていてくれればいい。

俺は、すっかり冷や汗で額に張りついてしまった白雪の前髪をそっと剥がしてやった。
イイコだねって誉めてやりたくて、抱き起こそうとした。そして不意に、邪魔者に気が付いた。

さっき俺が呼んだ奴が、馬鹿みたいに真っ赤な顔をして白雪の手を握り締めている。
おどおどした目は俺に釘付けで、鬱陶しい事この上ない。
俺は無造作に、手にしたままのリコーダーを揮った。
んぎっ、と、妙な声を上げて、そいつは鼻血を吹き出した。鼻が折れ曲がっているのが分かった。

「…俺の白雪にいつまでも触ってんじゃねえよ。」

汚らしい鼻血のついたリコーダーを投げ捨てて、俺は決めつけた。そのままあたりを見回す。
ざわりざわりと、空気がどよめいている。
突然の俺の変貌に、どう対処していいかわからないステレオタイプの奴らどもが、静かなパニックを起こしているのだ。

きっと奴らにとって今までの俺は、ちょっと鬱陶しいだけの、お荷物のクラスメートに過ぎなかったのだろう。
そうして、俺を制御できるのはただ一人、白雪だけだったんだ。

だけどその白雪は、いまや俺に隷属している。
奴らは、落ちた主導者をどう認識していいのか困っているんだ。

おまえ達は白雪のことなんてなんにも気にしなくていいんだぜ。
白雪の全てを見つめているのは、俺だけでいい。

「先生でも呼んでくるか? いいぜ、呼んでも。
その後が怖くないならな。」

顎を上げて、犬歯をむき出して見せる。
凍りついていた人の輪が次第に緩んで、なくなるのにわずかしかかからなかった。

俺の背後でがたんと机がなる。俺は振り向いた。
冷たい床に白雪がうずくまっている。
痛打された尻が痛むのか、座り込むこともできない白雪は、床に両手をついた犬みたいな格好で細かく震えていた。
ずり落ちたままのジャージと下着が、華奢な腰を際どいラインまで覗かせている。

俺はそっと手を差し伸べた。白雪がびくりと震えた。

「いつまでそんな格好でいるんだよ。風邪を引くよ?
ああ、痛くて立てないんだね。しょうがないね、白雪は。」
俺から逃げるそぶりを見せる白雪を強引に抱きすくめて立ちあがらせる。
足元が定まらないのを、抱えるようにして身支度を整え、荷物も全部持ってあげる。

だってこれは俺の白雪だから。全て俺が責任を持って面倒を見てあげなくちゃ。

「俺からは逃げられないんだよ、白雪。だからおまえは全部俺の言うことを聞いていればいい。
そうしたらうんと可愛がってあげる。」

黒曜石の瞳が弾かれたように俺を見つめ、それから勢いよくそらされた。
しょうがないなあ。俺はクスクス笑いながら、白雪の肩をぎゅっと抱きしめる。

今はこうして、おとなしく俺の腕の中に納まっている白雪が、すぐに俺に歯向かう事も、俺はちゃんと知っている。
白雪はいつだって、その黒曜石の瞳を煌かせて俺を睨んでしまうんだ。

だからこれからも、俺はきっと、白雪にきついお仕置きをしてしまう。

そうして白雪よりも、自分の心を痛めつけていくのだろう。

俺の中の執着が、なにかに蝕まれていく音がした。





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