ひだまり 2




鼻先を通り過ぎていった人間が、寒いわねえとこぼして行った。
直哉はゆっくり首をもたげて、そっちを見送った。
分厚いコートやらファーやらで無様に膨れ上がった人間達は、さも暖かそうに見えるのに、まだ寒いらしい。

直哉は立ちあがって大きく伸びをした。
みっしりと生え揃った真っ黒な冬毛は、てらてらと濡れたような光沢を放っている。
自慢の毛皮の艶に満足して、ゆっくりと足を踏み出した。



寒くなると有り難いのは、食糧を手に入れるのが楽になる事だ。
直哉のようなまったくのノラは、大抵がゴミ漁りをすることで日々の糧を得る。
人間がゴミを出す傍から腐ってしまうような炎天下は有り難くない。
もっとも直哉ほどのボスになると、人間の方から貢ぎ物をしてくれる。だから直哉はあまり飢えた覚えもない。

たった今だって、いつもの猫好きの老婦人が、鶏のから揚げを奢ってくれたところだ。
ちょっと脂っこくて直哉の好みではないけれど、それでも腹が膨れる事に変わりはない。

「今日はクリスマスだからね。」

老婦人は直哉の知らない事を言った。

「あなたたちにも、神のお恵みがありますように。」

一緒にから揚げをぱくついていた雪紀がなーおと甘ったれた声を上げた。
老婦人はにっこり笑って手を差し出した。
雪紀はいつものように、進んで頭を差し出してくるくると撫でてもらい、直哉はいつものようにすんでのところでその手をすっと躱した。

「相変わらず、つれないわねえ、ヤマトちゃんは…。」

老婦人はいつものように苦笑すると、重そうに腰を上げた。
手にしている袋には、まだから揚げが入っている。
きっとどこか他の猫の溜まり場に行って、そこでも同じようにささやかなご馳走を振る舞うのだろう。



老婦人が行ってしまうと、雪紀はもうから揚げなんかには興味がなさそうに立ち上がった。

「相変わらずひっでーやつだな、お前は。」
「なにが。」
「藤原さんだよ。今のおばちゃん。」

雪紀は、丁寧に前足を揃えるような伸びをして、ついでに大きなあくびを漏らした。

「藤原さんは、俺達を撫でるのが生きがいみたいなおばちゃんなんだぜ。メシもらっといて、おまえのそぶりはないんじゃない? 世の中ギブアンドテイクよ。」
「うるせえな。お前こそ、こんなところで縄張りあらしするなら、てめえんちに帰ってメシねだれよ。」

雪紀は半ノラみたいなものだ。ちゃんと飼い主と自宅を持っているにもかかわらず、一日の半分以上を外で過ごしている。定まった家を持たない直哉にはそれが少し不服だ。
今だって、後ろを覗けば、自立したての仔猫が、お零れに預かろうと目を光らせている筈なのだ。
雪紀は、直哉のそんな苛立ちを見抜いているみたいににやりと笑った。

「いーじゃん、これも一種のショバ代? お前が無愛想な分、俺が愛想振りまいてやってるんだからさ。」
「……ふん。」

直哉は立ちあがって尻尾を一振りした。背後の仔猫に合図したのだ。

直哉にとって、メシのやり取りは一種の契約だ。
こうして律義にお零れを残してやるからこそ、仔猫やメス猫たちにも一目置かれているのだと思っている。
雪紀みたいにあちこちの餌場をつつきまわして、後に待っている者の事を考えないなんて信じられない。

これも家猫の気楽さなんだなと、軽く鼻の先で笑った。
それを雪紀に目敏く聞きつけられてしまったらしい。雪紀は面白そうにゴロゴロと喉を鳴らした。

「もう行くのか、直哉? また噂のオス三毛のところだろ。」

真っ白な被毛には酷く目立つピンクの舌で、雪紀は口の回りを撫でまわした。

「ボスの直哉が腑抜けになっちゃって、しょっちゅう通い詰めてるって噂だぜ。」
「…るっせーな。そういうおまえはどうなんだよ。あの飛びきり可愛いアメショー、引っ張りこんだきり抱えこむような可愛がりっぷりじゃないか。」
「ああ。可愛いぜ〜。あんまり可愛くて、おまえなんかにはもう見せられないな。」

恥ずかしげもなく言い放つ雪紀に、直哉は呆れて髭を震わせた。
例え親友同志でも、お互いの一番の相手は譲りっこなんてできっこないのだ。



長く続く塀を渡り、屋根を二つ三つ飛び越して、大きな駐車場を突っ切ると、直哉のお気に入りのスレート屋根が見える。
そこからまた塀を乗り越えて少し行くと、オス三毛の祥が住んでいる家がある。
直哉は軽く窓の前に降り立った。
過保護に育てられている祥は、部屋の中にいることが多い。

「しょーう! 遊びにきたぜ!」

呼ぶとうにゃうにゃと、部屋の中から甘ったれた声が聞こえる。
ややあって、窓がカラリと開いた。その途端、直哉は背中の毛を全部逆立てた。
すぐ目の前に、祥の飼い主の瓜生が、祥を抱きしめて立っているのだ。

「やあ、ピー介。久しぶりだな。」
「だからその呼び方は止せ!」

シャーッと歯を剥いて見せたが、瓜生は全然動じない。
長い腕を伸ばすと、壊れ物のようにそっと祥を放した。

「さあ、気をつけて遊んでおいで。帰ったらクリスマスのご馳走を用意しておくからな。
ピー介、祥をよろしく頼むぞ。」
「だから俺はピー介じゃねえって!」

フーッと身体を倍にも膨らませてみせるのに、瓜生はまったく歯牙にもかけない。
なんだか空しくなったところに、祥が擦り寄ってきた。
頭の天辺から肩までを擦り付けるような甘ったれたしぐさだ。
片っぽだけの澄んだトパーズ色の目がちかりと光った。

「直哉くん、遊びに行こ〜。くりすま、見に行こう〜!」
「くりすま? ああ…。」

そう言えば、さっきあの老婦人も、そんな事を言っていたっけ。

「去年も瓜生と見に行ったよ〜。くりすまはねえ、キラキラでおいしくって嬉しいの〜。」
「ふうん。」

直哉はぐるりと尻尾をまわした。
瓜生と行ったというのは気に入らないが、今の祥だって、十分にキラキラしてておいしそうだ。

祥はボブテイルをプルプルさせると、先に立って塀の上を歩きはじめた。

「大きなチキンを買ってきてね〜、瓜生と半分こして食べるの〜。ケーキも半分こだよ。」
「ケーキ?」
「知らないの〜?」

祥は振り向くと、真ん丸い目を剥いた。

「クリームが上に乗っててね、ひなたみたいな、黄色くてふわふわのスポンジが入ってるの。
柔らかくって甘くって、口の中でひゅひゅひゅひゅ〜って溶けちゃうんだよ〜。」
「俺は自由猫だからな。そんなの知らないよ。」
「そうなの? かわいそう〜。
甘くってふわふわのケーキ〜。くりすまだけは食べさせてもらえるんだ〜。」
「へん、ケチなんじゃないの、うりゅーって。そんなに祥が好きなものを、くりすまだけだなんてさ。」
「ケチなんじゃないもん〜。」

ちょっと悔しくなってそういうと、祥は少し困ったように振り返った。

「僕がしょっちゅうお腹を壊すから、瓜生はいろいろ気をつけてくれてるんだもん。ケチなんじゃないんだよ。」
「どうだっていいよ、そんなの。」
「どうだってよくな……あにゃにゃっ!」

投げやりに答えた直哉に憤慨したように向き直った祥は、勢い余って足を踏み外した。
危うく塀から落ちそうになって、何とかうずくまる。

「ふに〜〜〜、危なかった〜〜〜。」
「びっくりさせんなよ!」

直哉は思わず声を荒げた。
何しろ運動神経の鈍い祥は、落ちれば必ず背中から落ちるし、直哉はそれを見ていても何も手助けしてやれないのだ。歯痒いったらない。

「お前は片っぽしか目が見えないんだから!」
「うにゅ〜。それも違う〜。」

祥は嫌そうに背中を丸めた。

「僕の目は片っぽしか見えないんじゃなくて、片っぽが十分に見えるの!」
「おんなじじゃねーか。」
「心構えが違うもん! そういう風に瓜生が教えてくれたの!」

また瓜生か…。直哉は苦々しく思う。
わざわざ毎日のように通ってまで手を尽くしているのに、祥の中ではいつでも瓜生の方が上位らしい。

直哉はとりあえず首を回して真っ黒な背中を舐めた。
自分が焼餅を焼いていること。だからこんなに腹が立つことは、なるべく祥には知られたくない。
だけどいきなりグルーミングを始めた直哉の様子を見て、祥は直哉の機嫌を感じたらしく、ちょっと首を竦めた。

「さあ、行くんだろ、くりすま。」

直哉は祥を飛び越して先に立った。
祥の言っていたキラキラには心当たりがある。

いつでも人でごみごみした商店街が、今の時期、沢山の電飾を飾りつけている。
広場には大きなツリーもあって、チカチカとまぶしい光が瞬いている。
それが祥の言うような巣晴らしものには思えなくても、祥がそれを見たいなら行くことは厭わない。
もっとも夜にならなければ、電飾もツリーもさして綺麗ではないのだ。

「本当は夜の方がいいんだ。」

直哉は振り向くと一声鳴いた。
祥は慎重に歩いていて、直哉の声に首を傾げた。
今では直哉も、この可愛らしい祥の仕草が、良く見える方の目で見ようとするための自然な動作だとわかっている。
それでも可愛い物はどうしたって可愛いのだ。

「辺りが暗くなれば、もっとずっとキラキラする。空気が冷えて澄んでくれば、さらに綺麗に見えるしな。」

でも、過保護な瓜生は、祥を夜の散歩になんか出さないに違いない。

「直哉君、優しいねえ〜。」

尻尾の先に祥がじゃれている。そのくすぐったい感覚に、直哉はそわそわと爪先立った。



ツリーの前まで行くのは結構厄介だった。
先を急ぐ林みたいな人の足は、とろくさい祥なんか平気で蹴っ飛ばそうとするし、時々転がってくる大きな輪っか─自転車と言うのだと祥が言っていた─は、まったく地面を離れることなく、傍若無人に猛スピードで駆けぬけていく。
直哉はびっくりして口を開けっぱなしの祥を庇って、何度も威嚇の声を上げた。

「ほら、ここがいいだろ。」

ツリーの広場の花壇の脇に、直哉は座った。
そこからは真正面にツリーが見えるし、いつも開いているパスタ屋の厨房の裏口からは、温かい空気が漏れてくるのだ。
祥は直哉の体に密着するように座った。そうしてツリーを見上げて、尻尾をプルプルさせている。

「今年もキラキラが見れた〜。くりすまってやっぱり嬉しいでしょ。」
「別に…、人が多くて鬱陶しいな。」
「僕は嬉しいよ〜。直哉君と一緒で、もっと嬉しいな〜。」

祥の喉がゴロゴロと鳴る。
仔猫みたいな素直な言葉に、直哉はちょっとドキドキした。

「あのね、くりすまはね、神様がくれる特別な日なんだって、瓜生が言ってた。」

また瓜生の話か。
一瞬尻尾が膨れてしまうが、祥は全然気付かない。

「僕が生まれた時はね、僕とは毛色の違う兄弟が3匹と、同じ三毛のお兄ちゃんがいたんだ。」

祥は直哉に体を摺り付けてくる。
首に巻いたリボンが、いつもと違う金の鈴と、赤と緑のリボンになっていることに、初めて直哉は気が付いた。

「僕はいつも寒くてお腹が空いてた。一生懸命お母さんの懐にもぐりこもうと思うのに、どうしても他の兄弟たちに押しのけられて、いいところまでいけないんだ。
その頃僕を飼っていた人は、僕を見るたびに、『これはきっと育たない。三毛のオスだから』って言うんだ。
お兄ちゃんも同じように、寒くてお腹が空いていたと思う。僕よりもっと小さくて、どんどん萎びていくんだ。
お母さんも、僕たちにはあんまり優しくなかった。他の子達がどんどん大きくなるのに、僕たちだけはいつまでも小さくて、育てるのが大変だったんだと思う。

ある日、他の子達がみんな遊びに行っちゃっても、珍しくお母さんがそばにいたんだ。初めて聞くような優しい声を出して、僕たちにお乳を出してくれた。
お兄ちゃんは一番いいお乳の出るところを僕に譲ってくれた。それで、僕に、またねって言ったんだ。
お腹がいっぱいになって振り向くと、お兄ちゃんは冷たくなってた。」

ちりんと祥の首の鈴が鳴った。

「飼い主の人が来て、やっぱり育たなかったなって言った。堅くなっちゃったお兄ちゃんを摘み上げて、ビニール袋に突っ込んだ。そうして僕の首も摘み上げたんだ。」
「え…っ!」

直哉は思わず鋭く声を上げていた。
突然始まった祥の話は、思いがけない深刻な内容だった。

「どうせこいつも育たない。ほら、こんなにやせっぽっちで、目は片方しか見えてないし。
一緒に捨ててしまおう。ビニール縛れば、すぐ窒息しちまうよ…って。

僕は一生懸命声を上げた。僕はまだ生きてるよって。
生まれて初めてお腹いっぱいであったかくて、幸せだなって思ったから、もうちょっとこのままでいたかった。
でも、お母さんさえ知らん顔なんだ。
袋に投げこまれて、冷たいお兄ちゃんの体がぶつかってきて、僕は怖くてたくさん鳴いた。
でも、飼い主の人は、心を変えなかった。

それを助けてくれたのが、瓜生なんだ。」

祥の首についた金の鈴が、ひっきりなしにちりちりと音を立てる。
祥はくるりと自分の顔を撫でると、直哉の肩もひとしきり舐めた。
そうしてトパーズの瞳でじっと直哉を見据えるのだった。

「ゆらゆら揺れるビニールの中から、外の声がぼんやり聞こえた。
そのネコはまだ生きているんじゃないですか? 殺してしまうのなら、俺に下さいって。
飼い主の人が、どうせ保ちやしないよって、何度も言っていたけど、瓜生は絶対引かなかった。

ビニールの中はなんだか眠くって、僕の吐いた息で暖かくなっていて、摘み上げられたとき、あんまりの寒さに、僕は思わず瓜生の手に爪を立てちゃったんだ。
でも、瓜生は僕のことを怒らなかった。
大きな腕が、僕をキュッと抱きしめてくれて、寒くないように懐に突っ込んでくれて…その腕越しに、僕は初めてくりすまのキラキラを見たんだ。
そうして、瓜生の声が、空から降るみたいに聞こえてきた。

もう大丈夫。俺は絶対おまえを助けてやるからって。

だから僕はくりすまのキラキラが大好きなんだ。」

祥は直哉の顔を見上げると、照れくさそうに目を細めた。

「くりすまのキラキラを見るたびに、神様が僕を祝福してくれているのが分かるんだ。
そして、もっと生きていていいんだって、許されてるのが分かる。神様は公平だから、こんな僕にもたくさんのプレゼントをくれるんだよ。
今年は直哉君に会えた。これがきっと、神様のプレゼントなんだ。」

直哉は通りすぎる人波をじっと見つめながら祥の言葉に耳を傾けていた。
命あるだけで幸せだと言いきれる祥の言葉は、直哉の胸に響いた。
今まで押しのける側で生きてきた自分は、祥より明らかに楽な生を生きてきたにもかかわらず、祥ほど幸せそうな顔をしたことはなかったはずだと思った。

「でも、神様…か? そいつやっぱり不公平だよ。」

祥の顔が正面から見れなくて、少し視線を背けて言った。

「どうせなら、おまえのその目も…ちゃんと両方見えるようにしてくれればよかったんだ。」

そうすれば、他の猫より生き辛い祥でも、もう少し楽な生を生きられるのに。
言いかけた言葉を、直哉は飲みこんだ。
今も満足そうに笑っている祥に、その言葉は酷く失礼な気がした。

「僕の事、心配してくれるんだ。」

祥は伸び上がって直哉の耳を舐めた。
金の鈴が、喉元でやさしい音を奏でた。

「僕のことなら大丈夫。これでも今まで何とかうまくやってこられたよ。
それに、片っぽだって、大事な物はちゃんと見えるから。
直哉君の顔もね。」

ざらりとした小さな舌が、耳の内側を這っていく。
直哉は思わず耳を震わせ、祥の舌を遠ざけた。
そうして、お返しのように、そっと祥の見えない目を舐めた。



「おーなか空いたね〜。」

直哉は祥を後ろに従えて歩いていた。
塀の上や障害物はできるだけ避ける。そうしていても、祥は危なっかしくてあちこちで躓いた。

直哉はふと顔を上げた。
もうじき祥の家までたどり着く。いい匂いがしてきて、直哉の腹もきゅうっと切ない音を立てた。

「もうじきケーキ〜! くりすまのケーキ〜!」
「ケーキは無理だけど、ちょっと待ってろよ。」

直哉はひょいと塀を上がった。
ややあって戻ってきたとき、その口には大きな魚の切り身が咥えられていた。

「どうしたの〜、それ?」
「俺からおまえにプレゼントだ。」

直哉は口を舐めまわした。当分あの居酒屋の傍には寄れないな。

祥の前にぽんと放ってやると、祥はびっくりしたように髭を震わせた。
やれやれ、家猫の祥はこれがどんなにすごいことか分からないらしい。直哉はちょっと不満げに尻尾の先をぴくつかせた。
この界隈のボス猫の直哉が、自分が食べるより先に餌を分け与えるなんて、本当はあってはならないことなのだ。

「いーい匂い〜。なんて言うお魚?」
「キンキだ。脂が乗ってて美味いぞ。早く食えよ。」
「いいの〜? それじゃ、あ〜ん。」
「は?」

直哉は尻尾の先までカキンと固まった。
祥はちっちゃなピンク色の舌を見せて、大きく口を開けていた。

「おまえ…なにやってんの?」
「えーだって、瓜生はいつもあーんして食べさせてくれるもん。お皿に顔突っ込んで顔じゅう汚しちゃうからって。」

少しは照れくさかったのだろうか。祥は首の鈴をちりちり鳴らして急いで言った。

「あのな…こんなの、かぶりつきに決まってるだろ。こうすんだよ。」

直哉は仕方なくキンキに噛みついた。
ふんわりした身と甘い汁が口いっぱいに広がる。この至福の一口を、祥に真っ先に味わわせてやりたかったのに。

「ほら、やってみ。美味いぞ。」
「うん。」

祥は恐る恐る食いついた。端っこの方からそっとかじって目を細めている。

「美味しい〜。こんなの初めてだよ〜。えへへ。」

案の定顔中魚だらけにして、祥は笑っている。
ふと直哉は、子育てをしている気分になった。弟猫の隼人だって、こんなに手をかけさせなかったのに。

一口食べて安心したのか、祥は少し大胆になった。
場所を構わず勢いよく噛みついている。直哉は少し心配になった。

「おい…祥、気を付けろよ。その辺…。」
「え…、なに…ん、はがっ!」
「骨が…って、もう遅いか。」

キンキの大きな骨が、祥の口からはみ出して歯の間に挟まってしまっている。
祥はもんどりうって暴れた。

「いやーんあにゃーん! なにこれ! とーれーなーいー!」
「暴れたって取れねーよ。おい、祥…っ!」

直哉が一生懸命なだめようとするのに、パニックを起こした祥はまったく聞いていない。
ひとしきりのた打ち回った祥は、やがて勢いよく立ちあがった。
後ろ足で蹴り上げた砂が、直哉とキンキの上に豪快に掛かった。

「いやーんひみーん! うりゅうー、たーすーけーてー!」

駆け出して、まず叢に突っ込んで豪快にこけて、それから祥はまさしく脱兎のごとく駆け去っていった。
祥のうちはもうすぐ近くだ。案じることはない。

思った通りすぐに祥の甘ったれた鳴き声が聞こえた後、瓜生の声がして、窓が閉まる音がした。
どうやら祥は無事に家に帰り着いたようだ。

なんだかな…。直哉は立派なキンキを見下ろしてちょっと肩を竦めた。
直哉にとってもとっときのご馳走を振舞ったつもりだったのに、裏目に出てしまったようだ。

直哉はもう一度肩を竦めると、顔を洗ってみた。
遠くの方から万人に平等に幸せを与えるという、神を称える歌が途切れ途切れに聞こえてきていた。





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