もやしラーメン




週末には、矢川が泊りに来る。

窓際に押し付けた狭いベッドで、俺は1週間ぶりの矢川の匂いを深く吸い込んだ。
学生の頃、バスケで鍛えたと言う矢川の胸板は広くて厚くて、俺の手は僅かに回らない。俺の弱いところを知り尽くしている矢川は、真っ先に首筋に顔を埋める。
柔らかい唇が小さな音を立てていくつもキスを落とすと、俺は命さえ惜しくないように喉笛を大きく晒してしまう。

「跡…つけるなよ。すぐ消えないんだから。」

性急な愛撫に追い上げられて、脅すように哀願してみても、低い笑いに逸らかされてしまう。
鎖骨のあたりがちりりと熱くなる。そこが俺と矢川のぎりぎりの妥協点。俺を自分の印だらけにしたい矢川と、その印を洋服で何とか隠そうとする俺との。

1分1秒が惜しくて、俺は慌てて矢川のシャツをたくし上げた。不器用にベルトを外し、パンツの中に手を潜り込ませる。すでに半分立ち上がってるそれを握ると、矢川は俺の上で嬉しそうに震えた。
矢川の乱暴な手が俺の襟首を掴んで、強引に左右に開く。シャツのボタンが千切れ飛んで、フローリングの上で乾いた音を立てる。矢川の舌が胸の上まで降りてきた。薄く色づいた胸の飾りを、極上の菓子ででもあるかのように、矢川は執拗に嘗める。

矢川と俺の動きに合わせて緩く動きつづける薄っぺらなカーテンは、きっと俺の切ない声を遮ってはくれない。俺は唇を噛む。

「どうしたんだよ。いい声聞かせろよ。」

やっと俺のジーンズの前を外し終えた矢川は、俺の肌に手を沿わせながら耳元で囁く。
低くて甘くて、身体が蕩けそうな声。笑いを含んだその声が、俺の腰を蠢かせる。

「やだよ。こんなに壁…薄いのに。隣の奴に聞かれたら、俺、このアパートにいられなくなるじゃんか。」
「俺のマンションに越してくればいい。そうしたら、毎晩ベッドに縛り付けて、思う存分可愛がってやる。」

冗談に聞こえない矢川の声。俺は笑って手にしたままの矢川自身にぎゅっと力を込める。たちまちむくむく育ったそれが、俺の手のひらを押し広げる。

「急かすなよ…、たまってんのか?」

耳元で囁く声は掠れている。俺は矢川のズボンからいったん手を引っこ抜いて、今度はそれを尻の方に差し入れる。堅く筋肉の張り詰めた男前な尻。両手で掴んで俺の方に引き寄せる。

「あったりまえじゃん。1週間…お預け食らってんだぜ。」

ノーマルだった俺を誑し込んで、強引に自分の物にした矢川。俺は今ではすっかり矢川にはまって、他には何にも目に入らなくなっている。自分の右手だって、今じゃ俺を慰められない。
だから1週間ぶりの逢瀬は待ちきれないほど切なくて、俺はいつも、矢川の姿を遠くから認めるだけで泣き出したいような気分になる。
だけど、俺がこんなに溺れてしまっている事、悔しいから矢川には教えてやらない。こいつが俺とおんなじくらい俺に溺れるまでは決して。

ゆっくりと、下着ごと俺のパンツを剥ぎ取っていく矢川の手がもどかしくて、俺は矢川の尻に爪を立てる。
深い狭間に指を潜り込ませてからかっていたら、強く乳首を噛まれた。

「ひゃう…っ。」
「くすぐったい。おまえはおとなしく感じてろ。」
「だって…、早く欲しいのに…っ。」

思わず本音を漏らしてしまう。俺はいつだって矢川の可愛い言いなりだ。
膝まで降ろされたパンツに、矢川の足が掛けられる。性急な動きは、だけど思うように俺を開放してくれない。
俺はみっともなく足をばたつかせ、矢川の手伝いをしてしまう。やっと服を脱ぎ捨てられると、俺は矢川の足に自分の足を絡ませた。

「あんたも脱げよ…。俺ばっか裸でずるい…。」

期待するような甘い声が漏れてしまう。矢川の手が俺の陰りに伸びてくる。やわやわと刺激されれば、俺はうめいてみずからを矢川の腰にこすり付けてしまう。
カチャカチャとベルトのバックルが鳴る。矢川も焦っていると思うと、この腕の中の大男が、とても可愛く思える。

「こら…、急かすな。うまく脱げやしない。」

答える代わりに、俺は矢川の腕の下に鼻を埋める。ほんの少しだけ酸っぱい、矢川の汗の匂いがする。暖房をつける間も惜しんでベッドにダイブした冷えた部屋でも、矢川はいつでも俺を抱きすくめれば、興奮にその匂いを漂わせてくれる。

「俺…、あんたの匂い、すげえ好き。」

ボタンを外さないままの矢川のシャツの裾から手を忍び込ませて、引き締まった背中を撫でる。肌の汗ばんだ感じも、綺麗に筋肉が隆起している腕も、ほんの少しだけざらつく胸の毛も、全部好き。この、甘ったるくてじれったい時間を十分に楽しんでおこう。
だってまもなく矢川の指が、俺のスポットに忍び込んでくれば、俺はこの広い背中にすがりつくしか出来なくなる。熱くて硬い塊が、俺の理性を粉々にするように突き上げるまでの、俺の甘美な時間。


ねっとりと絡みつくような眠りから覚めると、矢川が俺の顔を、目を細めて見ていた。硬くて太い矢川の腕は、俺にとっては最高の枕だ。

「やっと起きたか。」

腕を巻き込むだけで簡単に俺を引き寄せて、舌を軽く撫でるだけのキスをする。
俺はゆっくりと伸びをする。猫みたいなこのポーズが、矢川のお気に入りなのを十分に意識して。

「もやしラーメン。」
「朝っぱらからそんなもの…。」
「いいじゃん。材料は揃ってるからさ。」

情事の次の朝、矢川はいつも真っ先に食事を作ってくれる。最初のころ、疲れ果てて動けなくなってしまった俺を矢川が気遣ってくれたのが、この習慣の始まりだ。

キッチンと寝室が一つに納まっているような俺の小さな部屋。目の前で矢川が俺の為に動き回ってくれるのを一つ残さず見ることが出来る。それを少しでも長く見たい俺だから、注文はどんどんエスカレートしていく。
一人暮らしが長いという矢川は、たいていのものは作ってくれる。

裸エプロンは男のロマンって言うけど、パンツ一ちょのあいつの後姿もものすごく決まって様になる。
冷蔵庫からもやしを取り出してざぶざぶ洗ってる矢川をもっと近くで見たくなって、俺は立ち上がると爪先立った。そうっと忍び寄って、いきなり広い背中にすがりつくと、矢川は驚いたように大きな背中を竦める。

「…バカ、パンツくらい履いてこい。」
「やだ。また脱ぐの、面倒じゃん。」

コアラの赤ん坊みたいに抱きついて、ゆっくり腰を擦り付けると、浅黒い矢川の頬がわずかに染まる。
俺はそんな矢川の反応に満足し、それから流しに目をやって声を上げた。

「あっ、ダメ、もやしのひげは全部取ってくれなくちゃ。」
「面倒くせえ。このままだっていいだろ。」
「ダメ。舌ざわりがぜんぜん違うもん。」
「たく。面倒な奴。」

矢川は乱暴にもやしをボウルに戻す。大きな手のひらでもたもたもやしを弄くるようすを、俺は楽しく眺める。
本当はもやしのひげなんかどうだっていいけど、それじゃ俺が矢川にくっついていられなくなる。この広い背中を独り占めして、手元を見ているふりで端正な横顔を眺めていよう。この妙に真剣な顔つきがすべて俺のためだと思うと、俺は噛み付くたくなるほど矢川が愛しい。

「いてっ、噛み付くな。」

本当に噛み付いて甘えたら、軽い拳固が降ってきた。

「なあ、おまえ、マジで俺んちへ越してこいよ。」

より分けたもやしの水をざばざば切りながら、矢川はさもついでのように口にする。

「一生いていいから…さ。」
「やだ。来週は違う男とデートかもしれないもん。」

俺は絶対にありえない嘘を吐く。抱きついた矢川の胸に爪を立てたから、きっと簡単にばれてしまう嘘。

「可愛くねー奴。」

矢川はもやしのひげの、最後の1本を取った。

「おまえのそこの毛も、全部取っちまうぞ。俺一人にしか見せられないように。」

振り向いた矢川の横顔が、にやりと笑った。きっと本気だ。

「………そんなことより、もやしラーメン、早く。」

俺は抱きつく腕にますます力を込めて、もう一度、爪あとが残る背中に噛み付いた。



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