いろいろアキラ君 1




「ただいま!」

玄関を開けると、アキラは乱暴に靴を蹴り飛ばした。見た目も実年齢も若い母が、笑いながら彼を出迎える。

「お帰りなさい。手合いはどうだった?」
「うーん、まあまあ。」

いつもの彼の帰宅の挨拶は「只今戻りました」だし、靴を蹴り飛ばすなど滅多にしない。
それでも彼女は愛息子を諌めない。この時期は仕方がないと、半ば諦め半ば寛容している。
シャツの第一ボタンも外したこともない、いまどき珍しい几帳面な彼は、この時期だけは変容する。
度を越して生真面目すぎる息子をもてあまし気味の母は、この時期の息子の子供らしさがとても好きだった。

「お母さん、テレビ!」
「はいはい。とりあえずスーツを脱いでらっしゃい。」

アキラは軽い足音を立てて、磨きこまれた廊下を自室へと駆け込んだ。
ベッドの上に、ぽんぽんと勢いよくスーツを脱ぎ捨てる。
アオキのフレッシュマンフェアで買った、イッキュッパのスーツだから、皺になっても惜しくない。
もちろん家庭も裕福であり、すでに3段の棋士であるアキラには、高級スーツも手が出ないわけでもない。だが、厳格な父の一言とアキラの生真面目さが、彼に華美な装いをさせることをためらわせていた。

だが彼はネクタイだけは妙に慎重な手つきで外し、結んだ皺を丁寧に伸ばす。
恭しいほどの仕草でそれを掛けると、彼は居間に駆け戻った。
この時期だけは、自室の18インチのテレビでなく、居間の大画面が見たいのだ。

ちゃぶ台には、母がお茶の用意をしている。
彼はそれに目もくれずにテレビの前に正座すると、側にあったものを手にとった。

「よかった、間に合った!」

アキラが手にしたものは、メガホン。それも黄色地に黒の縞模様。

「神様、仏様、星野様!」

なんだか古びたフレーズを口にして、アキラはテレビに齧りつく。
彼は根っからタイガーズファンだった。

「あらあら、アキラ、ズボンくらい履いてらっしゃい。」

母の苦笑交じりの声も聞こえない。
オープン戦だけ強いかの球団の、今こそが、アキラにとって1年で一番嬉しい季節だった。  



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