かわいい人




とうとうここまで来てしまった。祥太郎は緊張の面持ちで座っていた。
通された直哉の新しいマンションは、小奇麗に整っていた。
学生の一人暮らしには広すぎるマンションには、余計な家具の一つもない。かといって貧しい印象はない。少ない家具の一つ一つにそれなりの金額がかけられているであろう事が簡単に予想できるからだ。
特に目を引くのが、一人寝には大きすぎるベッドだ。祥太郎はさっきから、そちらになるべく視線が行かないように意識していた。

「広い…部屋だねえ。直哉君一人で住むにはもったいないみたい…。」
「いずれ同居人を置くつもりですから。」

さらりと返事が返ってくる。ぎょっとして顔を上げると、いたずらっぽい目に真正面から見据えられた。

「年上の、わがままな人を。その人の為にわざわざ猫を飼ってもいい物件を探したんですから。」

祥太郎は言葉に詰まってしまう。はっきり明かしていないとは言え、それは間違いなく自分の事ではないか。

「僕…そんなにわがままじゃないもん。」
「同居の事は否定されないんですか?」

クスクスと笑われて、顔が火照る。直哉は祥太郎の戸惑いを楽しんでいるらしい。
思わず俯いてしまう祥太郎の隣が柔らかく沈んだ。直哉が腰掛けてきたのだ。

「でも、正直、先生が本当に来てくれるとは思わなかった。」
「だ、だって、約束したじゃない。」

端正な顔が近づいてきて、祥太郎は思わず身を引いてしまう。

「だって先生は逸らかすのが凄く上手だし。」

ソファーの上に置いた手がきゅっと握られて、祥太郎はびくっと震えた。

「俺は先生が自ら飛び込んで来てくれたら、無事には帰せない。もしかしたら一生帰せない。そんな事も分かってて来てくれたんでしょう?」
「ま、まさか、…だって、家には太郎が待ってるし…。」
「そのためのペット可マンションだって言ってるじゃないですか。それとも。」

意味ありげに切った言葉のまま瞳の奥を覗かれて、祥太郎は心臓が大きく跳ねるのを感じる。

「先生が俺のペットに…なってくれますか?」
「え…、あの…。」

この期に及んで、と祥太郎は自らの性格を恨めしく思う。まだどこか躊躇っているのだ。
自分が直哉をたぶらかした気がして仕方ない。
それになんだか、今日はいつになく直哉が焦っているように思えるのだ。

「あの…、あのね、直哉君…。」
「逃げないで下さい。」

決め付けられて、祥太郎はちょっと肩を竦める。
逃げるつもりはないのだが、あまりの勢いに、流されてしまっていいのか不安なのだ。
すると、助けの神のように、携帯が鳴った。

見詰め合っていた祥太郎と直哉の間の、張り詰めた空気が一瞬にして崩れる。
祥太郎は多分にほっとしながら、携帯を引っ張り出した。もたもたと弄っていると、ひょいと直哉に取り上げられてしまう。

「あれっ?」

慌てて奪い返そうとする間もなく、直哉は表示を確かめて、それを遠くに放ってしまう。
毛足の長い絨毯は、携帯を受け止めても音すら立てなかったが、祥太郎の手には届かなくなってしまった。

「隼人からだ。いつのまに番号教えたんです。」
「いつのまにって…、よくメールも電話もくれるよ。…なに、その顔。」

さっきまで上機嫌だったはずの直哉が、なんだか怖い顔になっている。
思わず腰を引きつつ、祥太郎は急いで言葉を繋げた。そう言えば、直哉に聞いておきたい事があったのだ。

「直哉君てば、僕が隼人君に直哉君のメアド教えた後、携帯解約したでしょ。どうしてそういう意地悪するわけ? 隼人君、すごく真剣に直哉君の事心配してて、可哀相だったんだから!」

少し強めに言うと、直哉はふいと顔を逸らした。

「あの携帯は…祥先生専用だったんです。隼人なんか紛れ込んだら価値ありません。
それに…。」
「それに?」

祥太郎は顔を逸らそうとする直哉を追いかけて覗き込んだ。直哉の顔が、心持ち赤くなっている気がする。

「隼人には、祥先生を嫌ってて欲しかった。」
「はあ? なんで?」
「俺は隼人の事なら誰よりよく知ってる。あいつは常に俺の後を追っかけてきた。次に奴が夢中になって手に入れようとするのは、祥先生に違いないんです。」
「な、ないよう、そんなこと!」
「分かるもんか。いまだって実際、こうして携帯で連絡のやり取りをしてるんじゃないですか。俺にはちっともメールもくれないのに。」
「だ、だって、直哉君こそちっともくれないから、面倒くさいのかと思って…。」
「俺が祥先生にする事に面倒な事があるわけがないじゃありませんか! 遠慮してたんです! それに…、祥先生、隼人の事、可愛い可愛いって…言うし。」
「え…?」

祥太郎はびっくりして、目の前の端正な顔を見上げた。
いつも大人びた顔が…頬を赤らめて、気まずげに目を逸らしている。
トクンと胸が鳴り、暖かい物が全身に流れ込んだ。

「もしかして、直哉君…、焼餅やいてくれてるの?」
「…………。」

返事はない。いっそう赤みをました頬がぴくんと震えて、眉間のしわが深くなった。
なんだか急に笑いたくなった。いつでも自分よりよっぽど冷静に見える直哉を、こんなに可愛いと思ったのは、初めてかもしれない。いろいろ回りくどいことを考えていた自分が、急にバカらしく思えた。
こんなに真摯に思ってくれる直哉と自分の想いの間に、何を戸惑うことがあるのだろう。

「ばっかだな、僕が直哉君の方が何倍も素敵だって思ってるの、わかんないの?」

するりと、直哉の首に腕を絡ませた。ちょっとためらって、それから視線を逸らしたままの横顔に、そっと唇を押しつけた。ゆっくり振り向いた直哉は、驚いた顔をしていた。

「言ったでしょ。直哉君の一番近くに居させてほしいって。」

声が掠れる。自分の頬が、緊張と恥ずかしさの為に熱く火照っていくのが分かる。
祥太郎は乾いてしまった喉を潤すように唾を飲み下して、直哉に抱きつく腕に力を込めた。

「僕、こういうことは初心者なんだから…、直哉君がリードしてくれなくちゃ、何にも進まないよ。
直哉君の好きにして、いいんだよ。」

言い終わると同時に、強く抱きすくめられた。頭を押さえられて、唇を貪られて、胸の高鳴りに、祥太郎は悲鳴みたいな吐息を吐いた。



抱き上げられて運ばれた。こんなときばかりは、自分の非力がありがたかった。自分の足でベッドになんて、とても恥ずかしくて行かれない。
ベッドの上に放り出されると、そのまま覆い被された。息を吐く間もないほどに、口付けが降ってくる。
遠慮なく進入した舌が、歯列を割り、上あごをなで、舌に絡み付いてくる。

「あ…、ふっ、んっ。」

鼻から漏れる息が、なんともなまめかしくて、祥太郎は自分の声ながら、頬が染まっていくのを止められない。

「先生…、先生。」

激しい口付けの合間に、何度も確かめるように呼びかけられる。答えようと思っても、そのたびにまた、熱い口付けに吐息すら遮られて、眩暈がしそうだ。

熱い指がシャツの裾から這いこんで、腹のあたりを撫でている。
次第に上がってくる指が、胸の突起にたどり着いた。ためらうように一度引っ込められた指が、またゆっくりと戻ってきて、存在を確かめるようにゆっくりとこね回している。

「ひゃ、…あ…っ。」

思わず声が漏れてしまう。恥ずかしくて身をよじると、直哉が薄く笑った。

「先生…、可愛い。」
「だ…って…。」

思わず唇を噛むと、ふわりと重みがなくなった。
立ち上がった直哉が、毟り取るようにして自分の衣服を剥いで行く。
明かりを背に受けて、逆光に浮かび上がらせた直哉のシルエットは、とても綺麗だった。
誇示するためだけでない、実用的な筋肉は、今はそれほど目立たない。そのしなやかな体の内側に、野生の獣のような瑞々しい力が隠されているのだ。祥太郎は小さくため息をついた。
自分の貧弱な体とは、なんという差だろう。

みしりとかすかな音を立てて、ベッドが沈む。再び戻って来た直哉の重量が、祥太郎の体を傾けさせた。
手が伸ばされて、シャツのボタンにかかる。祥太郎は思わず目を瞑った。
直哉の長い指が、祥太郎の秘密を暴いていくのだ。

「先生…、顔隠さないでよ。」

恥ずかしさの余り、無意識に目の上を覆っていた腕をゆっくり開かされる。吐息を吹き込むように囁いた直哉は、そのままぺろりと祥太郎の耳の中を舐めた。

「ひゃ…!」

くすぐったくて力の抜けた声が漏れてしまう。両腕は顔の脇にそっと縫いとめられたままだ。
いつのまにかシャツのボタンは全て外されていて、大きくはだけられた裸の胸の上に、直哉の素肌が密着している。
そればかりではない。いつのまにかズボンの前まで寛げられていて、いつでも簡単に直哉の自由にされてしまいそうなしどけない姿だ。

直哉が、大きな猫が懐いてくるように擦り寄ってくる。首筋といわず頬と言わず、唇と舌先で撫でまわされる。
くすぐったいというよりも、そこから甘い痺れが全身に広がって行くようで、祥太郎は動けない。
少しずつ荒くなっていく直哉の吐息に呼応するように、胸が弾んでいくのだ。

「先生…、痕付けていい?」
「…え?」

返事をするより早く、喉もとがちりっと熱くなった。
祥太郎は思わず目を強く瞑り、それから恐る恐るまぶたを開けた。

「ここんとこ。」

直哉の指が、ゆっくりと首筋を這っていく。

「俺の印…、つけさせてもらいました。先生は俺のものだから。」
「…うん。」

熱心に所有を主張する直哉が可愛くて、にっこり微笑むと、直哉の胸元が、目の前に迫ってきた。

「俺にも、つけてよ。先生の…印。」

小麦色に日焼けした、綺麗に引き締まった肌が付きつけられて、祥太郎はまぶしさに目を細めた。
意外に細い鎖骨が、きれいな線を描いて浮いている。この芸術的な肌を、本当に自分の物にしてしまっていいのだろうか。

やっと放された腕を伸ばしてゆるく直哉の首に巻きつける。
ちょっとためらって、その綺麗な鎖骨をぺろりと舐めてみた。

「…んっ、」

直哉が震えている。腕が伸びてきて、袖が通ったままのシャツを、性急に剥ぎ取ろうとしている。

「先生…、焦らさないで、早く…。」

焦らしたつもりはなかったが、直哉の掠れた声を耳にしたとたん、祥太郎の鼓動は倍にも早く打ち始めた。いつのまにか夢中になっていた。
どうしたら印を刻めるのかわからなくて、思わず歯を立てていた。カリッと歯が骨にあたる堅い感触がして、僅かながら口の中に血の味が広がった。
直哉の血だと思うと、なにかもったいなくて唇が放せなくなった。まるで吸血鬼になったみたいだとぼんやり思いながら、祥太郎は必死に直哉の逞しい胸に縋りついていた。

抱擁が途切れたのは、腕を無理やりシャツから引きぬかれた一瞬だけで、しばらく二人は絡み合ったままで居た。
大きな手と、暖かい唇とが、祥太郎の全身の輪郭を写し取ろうとするかのように体中をなぞっていく。
今は熱心に祥太郎の胸を吸う直哉が、祥太郎にあられもない声を上げさせる。

「ん…んっ、や…だ、直哉君…。」

なんという恥ずかしい声なのだろう。祥太郎は自分の唇を突いて出た甘い声に、更に頬を赤らめさせた。

「そんな…、胸ばっか、…舐めないで…。」
「だって、先生、感じてるでしょ。」

直哉の大きな手が、わき腹をなでおろすように、下へ向かっている。下着ごと、ズボンに手が掛けられて、身を堅くすると、膨らみ始めた胸の突起をかりっとかじられた。

「あ…っ。」

思いがけない刺激に、体が跳ねる。その途端に、下半身の戒めがなくなった。
腿の辺りにわだかまる布の感触が、徐々に押し下げられて行く。敏感な部分が急にすうっとして、祥太郎はまた顔を覆ってしまう。
直哉の目の前に、隠す所一つもない全裸が晒されている。
最後まで足首に絡んでいた布を取り外されてしまうと、急に恐怖心が涌いてきた。

しかし、そんな祥太郎の戸惑いとは無関係に、事は進んでいく。大きく下肢を押し広げられて、祥太郎は思わず唇を震わせた。
見下ろさなくても、突き刺すような直哉の視線が感じられる。祥太郎は所在無く身を捩った。だが、直哉の手は力強くて、祥太郎のささやかな抵抗など簡単にねじ伏せてしまう。
祥太郎の恐怖心をあおっているのは、自分自身でもあった。直哉に組み敷かれて大きく晒されているその部分が、はしたない変貌を遂げつつあるのが感じられるのだ。
今まで直哉に撫で回されていた体は、おき火が点いているように、祥太郎の下半身を熱く引きつらせていた。

「や…だ…、やだ…よう。」

哀願めいた言葉が口を突いて出る。直哉が微かに笑ったのが感じられた。

「何が嫌なんです? なんにもしてないのに、こんなになっちゃってる事?」
「あっ、…んっ!」

直哉の長い指が、祥太郎の屹立をそろりとなで上げていく。直哉の指の動きに連れて苦痛めいた快感が這い上がってきて、祥太郎は顔を覆う両腕に力を込めた。
びくびくと体が跳ねる。指一本でいいように弄ばれて、祥太郎は唇を噛み締めた。

「元気いいですね…。一回いっときます?」
「やだあ…、やめてってば…。」
「どうして? これからもっともっと恥ずかしい事しようとしてるのに。」

直哉の指は愛しむように動きを止めない。それどころか、次第に触られる範囲が広がってきて、ついには包み込まれ、やわやわと揉みしだかれてしまう。
足の指先にまで変な緊張が走る。腿の付け根に唇を押し当てられる感覚がして、ついに祥太郎は鳴咽を漏らしてしまう。
直哉の動きが変わった。訝しげな声がして、重みが移動してくる。片腕が、祥太郎の両腕ごと頭を抱きしめてくれる。それでも、下半身にあてがわれた手は外されない。

「どうしたんです? 祥先生。」

つむじの辺りに柔らかいキスが降ってきて、祥太郎は不規則に弾んでいた息を、少し納める事が出来た。

「も…直哉君、お願いだから…。」

震える声で縋るように言うと、祥太郎を抱きかかえている腕が緊張するのが分かった。

「あんまり可愛らしい事を言わないで下さい。優しくしたいのに…めちゃめちゃにしたくなる。」

祥太郎の必死のお願いは逆効果だったようだ。開きっぱなしの膝を思い切り抱え上げられて、祥太郎は細い悲鳴を上げた。すると、初めて直哉の動きが止った。

「先生…?」
「怖い…、直哉君、怖いよ…。」

すすり上げながら訴えると、やっと張り詰めた下半身を抑え込んでいた手が外される。
直哉は両腕で祥太郎をしっかりと抱きかかえて、いくつものキスを降らせた。

「怖がらないで、祥先生。俺のも触ってよ。」

手首を掴まれて、ゆっくり剥がされる。
涙に濡れた顔が覗くと、直哉は柔らかく微笑んで、涙を吸ってくれた。

「ほら…分かる?」

ゆっくり導かれた手が、直哉の下半身に回される。祥太郎は思わず手を引っ込めかけ、それからおずおずと導かれるままに指を伸ばした。
直哉の象徴は熱く滾っていた。そろりと祥太郎の指が這うと、腹の上の直哉が大きく胴震いするのが分かった。
祥太郎は幾分躊躇って、それからその逞しい物をそっと握ってみた。
また一回り大きくなったように感じられるのは、気のせいだろうか?

「俺のも、先生と同じでしょう。」
「…うん。」

目の前に迫った直哉の胸に、さっきの祥太郎自身の噛み痕が見える。まだ生々しいそれが、なにより祥太郎の本心を顕わしているようで、祥太郎は少し恥ずかしくなって目を伏せた。

「やっと先生をこの腕に抱く事が出来て、嬉しくて、だけど不安で、俺もドキドキしてるんですよ。これは全部夢で、今にも先生が溶けてなくなりそうに思えて仕方ない。」
「…うん。」

気が付くと、大きな直哉の手が、祥太郎の裸の背中をあやすように撫でているのだった。
その手が僅かながら震えていて、祥太郎は直哉の言葉の真実を感じた。

「ねえ先生? 後悔してる?」

不意の質問で、祥太郎は直哉の胸に額を擦りつけるようにして、首を振った。ぎゅっと抱きつくと、直哉の安心したようなため息が聞こえた。

「こんなに長い事待たされて、俺はもう、悪いけど待ってあげられません。
うんと優しくしてあげるから…、お願いですから怖がらないで下さい。こんな風に先生に泣かれたら、俺はどうして言いか分からなくなる。」
「………うん。」

祥太郎はやっと声を絞り出した。
直哉が怖いのではなくて、自分の無知が怖いのだ。これからどんなことをされるか、知識だけが膨れ上がっている自分が浅ましいのだ。
そのことを直哉に伝えたくて、でも言葉にならなくて、祥太郎は何度も繰り返して頷いた。

「ふ、先生…子供みたい。」

柔らかい声が降ってきて、同時に髪を撫でられた。
背中を伝って降りた手が、尻の膨らみをたどって、祥太郎の最奥に届いた。鋭敏なそこをいたずらにつつかれて、祥太郎は思わず声を上げた。

「ここ…いい?」

柔らかな刺激がずっと続いている。鼻にかかった声が漏れて、祥太郎は頬に朱を上らせた。

「…うんと、可愛がってあげるから。」
「うん、いいよ、直哉君…いいよ。」

答えると、ぎゅっと強く抱き返された。



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