祥太郎の本気




そしてまた、1年C組の授業はやってくる。

祥太郎はともすると丸めそうになる背中を、意識して伸ばした。
近頃ではすっかり職員室でも、1年C組の素行の悪さは話題になっている。リーダーがいて、それが他の生徒を唆しているのだろうというのが、大方の意見だった。
そのリーダーが誰かも、教師たちはちゃんと掴んでいる。だが、目に余る証拠がない限り、表立った排除はできない。
もっとも教師によってはあからさまに馬鹿にされて、そのリーダーに直接攻撃を加えられている者もいるという。だが、彼らは決してそれを告発しようとはしないのだった。

学生は必ず学校を去る。たいていは1年以内で開放される。どんなに長くても、3年我慢すればいいのだ。
その間だけ馬鹿になり、木石になって何も感じないふりをしていれば、また安穏とした生活が待っている。だから荒れる生徒になど面と向かい合うのは、それこそ馬鹿のすることだと彼らは思っている。
まかり間違って痛い思いをするのは避けねばならないし、つい激昂して反撃しようものならたちまち極悪教師のレッテルを貼られてしまう。教師は常に加害者たる立場に立たされるものなのだ。

だが、祥太郎はそんな消極的な態度をとるのは嫌だった。
それは祥太郎の若さのせいかもしれないし、生まれついての気性のせいかもしれない。青臭いと笑われてもいい。腹を割って話し合えれば、どんな生徒も本心を打ち明けてくれると信じたいのだ。
希望に燃える若い教師の夢想なのかもしれない。だが祥一郎は、自分の初めての教え子に劣等生という評価を与えたくはなかった。

「…よし。」

自分自身を励まして、引戸を開ける。このところめっきり緊張気味の学生達が立ち上がった。
挨拶が終わる。祥太郎は警戒気味に教室の中を見回した。今のところ、なんの仕掛けもない。最近では珍しいことだった。
だが、殊更にそれを言い募ったりすれば、悪ふざけのリーダーを喜ばすだけだろう。祥太郎はあえて何も言及せず、教科書を開くように命じた。
紙をめくる乾いた音だけがしている。いつも聞こえる囁くような私語さえ聞こえない。あまりにも教室の中が静か過ぎる。
何かある。祥太郎はいやでも感じざるをえない。

そして祥太郎の予想は当たる。

授業が始まって15分ほど過ぎた頃だった。黒板に向かっていた祥太郎の耳にカシャンという第一報が届いた。するとそれを合図にしたようにその音は大音響になった。

ガシャガシャガシャガシャ………!

思わず驚いて振り向いた祥太郎の目に床一面に散らばった筆記用具とカンペンケースが飛び込んできた。誰かの合図によって、クラス中の生徒がいっせいにそれを床に落としたのだ。

「うわ…、古典的…。」

思わず呟いてしまう。
思えば祥太郎が中学生の頃にも、こんな悪戯がはやった。
大抵授業中に手紙が回ってきて、決行の時間が記されている。祥太郎も大嫌いな物理の時間だったりすると喜んで参加したものだった。
これがこんなに効果のあるものとは思っていなかった。音より、視覚によるダメージが大きいのだ。散乱した筆記用具はそのまま、祥太郎の授業への評価に思えて、彼を呆然とさせる。

(宮本先生、ゴメンナサイ。)

自分の過去を振り返り、同じ事をやられて禿頭から湯気を出さんばかりに腹を立てた物理の教師に、今更ながら心の中で謝ってみる祥太郎だった。

だが、今のこのクラスの状態はどうだろう。
祥太郎は学生たちを見回して愕然とした。
数名を除く誰一人ニコリともしていないのだ。それどころかみんな顔を伏せ、申し訳なさそうにさえしている。
床に散ったものは、カンペンだけではない。高価そうな時計やケータイ、果ては眼鏡まで投げ出している生徒もいた。とにかく何でも音のするものを落とさなければならなかったらしい。

そしてまた、誰一人欠ける事なくこの悪ふざけに荷担しているのも不気味だった。
祥太郎の頃には、こんな悪戯は必ず有志で、まじめな奴や気の小さい奴は加わらないことも珍しくなく、カンペンを落とすほうがうんと少数で気まずい思いをすることもあった。
強制された悪戯なのだ。これはすでに生徒間のコミュニケーションで片づけられる範疇を逸脱している。
あんまり祥太郎が呆然としていたためだろうか、最前列の生徒が小さく頭を下げた。

「先生……、ごめんなさい。」

祥太郎にしか聞こえない小さな声だ。だが、そのあたりを憚る声で祥太郎の疑いは決定的になった。
祥太郎は黙ってその生徒の肩に手を置くと、黒板に振りかえった。
確かに古文の授業など、興味のないものにとっては退屈でしかない時間であることは分かる。だが、他の生徒をまで巻き込んで妨害するその嫌らしさが、祥太郎は許せない。この時間中になんとしてでも首謀者のしっぽを掴んでやりたい。

教科書を読み上げながら、祥太郎は時計を睨んだ。今は床に散ったものはすべて拾われている。だが、その拾われたものが、一様に生徒たちの手元にあるのが嫌な感じだった。
決行はまだある。それも、あと2回だろうと祥太郎は踏んでいる。
45分の授業中にあと2回決行するのなら、次は10分後だろう。15分後では3回目が遂行できなくなる。
祥太郎の予想通りに、時間が迫ってくると教室の中が静まり返ってきた。決行に備えてみんな緊張しているのだ。
だから祥太郎は9分を回ったところで急に振り返った。目をつけている生徒の方へと鋭い一瞥をくれる。必ず先頭を切るものがいるはずだ。

だが、ここで初めて祥太郎の予想は裏切られた。
今にも落とさんばかりにカンペンを持ち上げているのは、最後尾の制服の乱れた生徒ではなくて、その前に座っている眼鏡のおとなしそうな学生だった。確か名前は山田と言った。

祥太郎は意外な人物に目を見開いた。
彼はいつだったか、祥太郎が小さくて教卓があると見えないなどと嘯いた子だ。だが、あれが彼の本心とはとても思えず、祥太郎は今まで深く追求してこなかったのだ。
祥太郎と目が合って、山田は肩を強ばらせた。持ち上げていたカンペンごと手がぶるぶる震えている。やはりどうしても彼がクラス中を先導して悪さを働くようには思えない。

不意に彼は身体をつんのめるように震わせた。持っていたカンペンが落ちて、カシャンと硬質な音を立てる。
するとそれを合図にしたように、彼の後ろの学生たちがいっせいに机の上を払った。他の生徒たちもそれに倣う。だが今度のはさっきよりだいぶまばらだ。祥太郎が見ていることが多少は抑制力になったらしい。

祥太郎は大きく息を吐いた。やっとかみ合わない歯車がかみ合った気がした。

「拾いなさい。」

生徒たちに言うと、彼らはおずおずと自分の荷物を拾い始めた。祥太郎の叱責がないのが返って不安らしい。
だが、最初にカンペンを落とした山田だけは動こうとしなかった。青ざめた顔を伏せ加減にして細かく震えている。祥太郎は彼の側へ歩いていった。
四散した筆記具を拾ってやる。子供染みた絵柄のペンや消しゴムが、そのまま彼の弱さを表わしているようだった。脅えて縮こまる様子の彼に、祥太郎は何と声を掛けていいのか分からない。

「楽しい?」

やっと絞り出した問いかけは、この場には酷くそぐわないような気がした。教室の中が静まり返って、生徒全員が祥太郎の次の言葉に耳をそばだてているのが分かる。

「僕も昔、おんなじような悪戯をしたよ。先生たちには申し訳なかったけど、とっても楽しかった。」

祥太郎は言葉を切って山田を見下ろした。
彼はうつむいたまま祥太郎の言葉を聞いている。眼鏡がずり落ちて鼻の頭にようやく乗っていた。祥太郎が目の前に立っていることで、それを直すこともできないほどに緊張しているらしい。
恐らく立ち上がれば祥太郎より大きいであろう彼が、とても小さく可愛らしく見えて、祥太郎は思わず彼の髪をくしゃくしゃと掻き回していた。

「君も…君たちも、後で楽しかったって思えるようなことをしてほしいな。後悔するのは…何よりも辛いから。」

祥太郎はさりげなく、クラス全員に向けて言ってみた。最後にポンポンと軽く山田の頭を叩くと、教壇に戻った。
改めて見回すと、教室の中が静かにざわめいている。何やら忙しく、生徒間を畳んだ紙が行き交い、メールのやり取りが行われているのも、祥太郎の位置からは丸見えだ。
だが、祥太郎はあえてそれを注意せずに置いた。次の決行まで10分乃至15分。生徒たちがどんな答えを出すのか見てみたかった。



雪紀と直哉は、廊下から1年C組の壁に張りつくようにして中を窺っている。1度目の騒動は結構大きな音で、巡回と称して校内を徘徊していた二人の耳に届いたのだ。
二人は生徒会役員として、どうしてもこのクラスの素行が改まらないようなら、直接的な排除を行うことも考えている。それは、自治の一環として生徒会に認められた権限だ。
だがそれは、その場に居合わせた教師にとっては酷く侮蔑的なことだろう。だからできるだけ最後まで手出しをせずにおきたい。

二人の立っている場所からは、教室の中がよく見えた。恐らく祥太郎の死角になっているであろう場所で何が繰り広げられているかもすっかりだ。その上で、二人は少し感心しながら祥太郎の行動を見守っていた。

雪紀は笑いを堪えるのが大変だった。こんな場所から覗き見をしている手前、息を殺していなければならない。なのに、祥太郎があの生徒の頭を撫で回すたび、隣の直哉がガマガエルみたいに唸って仕方がないのだ。

「くそう…、あのガキ、なんて名前だ?」
「彼? だから元陸上部の…。」
「違う! あの眼鏡の子豚だ!」
「何? そっちに焼きもち焼いてるのか?」

からかうように言われて、直哉はバツの悪い顔で見返す。雪紀の端正な顔が意地悪く歪んで、直哉は思わず顔を赤らめた。

「悪いか!」
「へえ、夜の帝王の直哉にも結構可愛いところがあったんだ。」
「…夜の帝王はおまえだろうが。」
「ま、なんにせよ、うちの祥太郎センセは俺らが思ってるよりも大人みたいだね。あんなか弱い感じじゃ、集団でやられたらすぐに降参かと思ったけど。」

雪紀は直哉の言葉を軽く逸らかして、また教室を窺った。そろそろまた10分経つ。教室の最後尾のほうはごそごそと行動を開始している。

「だけど、今度は思ったようにみんなが踊らないみたいだね。」
「……ああ。1年坊主どもも、結構骨のある奴等がいるんだな。」
「あ、首謀者が動いたよ。」

教室の中が静かに蠕動している。雪紀は楽しそうに手を擦りあわせた。

「さあ、祥太郎センセのお手並み拝見だ。」



あれから10分経った頃、教室の後方がざわめいているのを、祥太郎は背中で感じていた。だが、板書がちょうど区切れの悪いところで、振り返って確認することができない。
また、祥太郎は確認する気もなかった。さっき自分は、悪戯を容認するようなことを言ってしまった。だから生徒たちの自主的に行う範囲でなら、祥太郎は彼らの悪戯を止めることはできない。
だが、結局教室は静かなままだった。
祥太郎は胸をなで下ろした。何やかや言ったところで、あの金属が大量に落ちる音は聞いていて決して耳触りのいいものではない。聞かされずにすむものなら、それに超したことはない。

板書を終えた祥太郎は振り返った。
いつのまにか一部の生徒の座席が入れ替わっている。さっきまで山田の後ろにいた子が、隣に移っている。それは何を意味するのだろう。
祥太郎は時計を睨んだ。授業が終わるまであと8分。彼らが行動を起こすとしたら、授業終了5分前だろう。今日を逃せばまた1から行動を起こさなければならないし、今度はそう従順に生徒たちが従うか分からない。必ず今日中に何かが起こるはずだ。

5分前になった。祥太郎は教科書を読み上げながら、教室の中をさりげなく見回していた。
後方の生徒たちが目を見交わしている。山田に、隣の子が何か耳打ちする。言い聞かせるように肩を叩いた。他の学生にもしきりに視線を飛ばす。いわゆる、ガンをつけるという奴だ。教室の中が緊張感に満たされていく。
誰かがヒュッと短い口笛を吹いた。

突然、後方の生徒たちが大声を上げながら立ち上がった。大きな音がした。それもそのはず、彼らは立ち上がると同時に自分たちの机を蹴り飛ばしていたのだ。
大きな音を立てるのみを目標としているのだろう。机の中は空らしく、空洞の音が響いた。

だが、それも僅かに3つ。

祥太郎は背中を伸ばした。
緊張感に満ちた生徒たちが誇らしげに顔を綻ばせているのが目に入ってくる。やはり彼らは、祥太郎が感じた通り、悪ふざけに心ならずも付き合わされていたのだ。

首謀者たちにとってはこれが最終目標だったのだ。確かにクラス全員が机をひっくり返して大声を上げれば、カンペンを落とすどころの騒ぎでは無かっただろう。
いきなりそれをやられたら、祥太郎など縮み上がって、それこそ教卓の影にでも隠れてしまったかもしれない。
だから彼らは余計な小細工を弄さずに、それのみを決行すべきだったのだ。
小柄な教師をからかい、クラスメイトを手下代わりに使おうという企みが、彼らの最大の失敗だったのだ。

「机を直して席につきなさい。」

祥太郎は強い声で言った。
クラスメイトの反抗が、まったく予想外だったのだろう。立ち尽くしている生徒たちは次第に顔を紅潮させ、辺りを睨み据えている。
だが、その威嚇が通じないとなると、急に恥ずかしくなったのだろう。ばつが悪そうにもじもじと身を揉むと、仕方なく席についた。

最後まで立っていたのは、山田の隣の子だけだった。
彼は全身をわななかせて仁王立ちになっていた。振り上げた拳を納める場所がどこにも見当たらない、そんな様子だった。
彼は、従わなかったクラス全体を睨み、とっとと白旗を上げてしまった友人を睨み、最後に山田を睨んだ。

「……てめえ…。」

彼は喚いた。目が血走って、口角に泡が溜まっている。狂犬病の犬みたいな表情だ。

「どういうつもりだ、コラァ! てめえが先頭切ってやるっつっただろうがぁ!」

大柄な生徒だ。高い位置から浴びせ掛ける胴間声には、誰だってビビらされるだろう。
彼は足を振り上げた。山田の机を力いっぱい蹴る。タイルの床を、机の脚のゴムが擦る鈍い音がした。
だが、山田の机は倒れない。山田が精一杯腕を伸ばして抱え込んでいたのだ。

「俺、もうやだ! あんたの言うことは聞かない!」
「…んだとぉ!」
「楽しくないし、後悔したくないんだ!」
「このぉ!」

彼はもう一度足を上げた。今度は山田自身を狙っている。山田はぎゅっと目を瞑り、それでも逃げようとはしなかった。
そこまでが祥太郎の我慢の限度だった。

「やめなさい!」

駆け寄った祥太郎は両手を思い切り山田の机の上に打ち下ろした。やはり空だったのだろう、山田の机は、想像以上に大きな音を立てた。
山田も、彼も、クラス中も驚いて祥太郎を見た。
打ち下ろした掌がひりひりする。祥太郎は自分より頭一つ大きい生徒を力いっぱい睨みつけた。
もしこの生徒が逆上して襲い掛かってきたら、祥太郎は多分敵わない。だが、負ける気はしなかった。

「さっきのカンペンもこの子を脅してやらせていただろう。卑怯な真似するんじゃない!」

大声だけなら祥太郎にも自信がある。怒鳴りつけると彼の顔が歪んだ。

「僕の授業に文句があるなら、僕に直接言いなさい。他の生徒を盾にするんじゃない。自分ひとりでできないんなら、反抗なんかするな!」

遠くで授業の終了を告げるベルが鳴っている。

祥太郎は蒼白になって立ち尽くす生徒を目の前にして、肩で息をしていた。



雪紀と直哉は、そっと引戸から離れた。他のクラスからは、1日の授業を終えた生徒達がちらほらと出てきている。二人は生徒会室に向かった。

「祥太郎センセ、結構やるぅ。」

雪紀は嬉しそうに笑った。首謀者の彼は甲高い声で怒鳴られて、すっかり毒気を抜かれてしまったようだった。

「あの子が眼鏡君を後から蹴り飛ばしてカンペン落とさせたの、センセ、ちゃんと見てたんだねえ。」
「…視点が低いんだよ。」

直哉はなぜか面白くなさそうに言う。雪紀は意地悪く笑った。

「不満? ちゃんと騒動も治まってバンバンザイじゃないか。直哉、本当は乱入して一暴れしたかったんだろう。格好いいところ、センセにもアピールしたかったしねえ。」
「…そんなんじゃねえよ。あんなタンカ切って、あれじゃ標的を自分に定めてくださいって言ってるようなもんじゃないか。」

直哉は少し顔をしかめた。

「危なっかしくてしょうがねえ。」
「そのために俺達がいるんだろ。」

雪紀がニヤリと笑う。今までとは打って変わった凄みのある笑顔だ。直哉は顎に手を当てて、やはりニヤリと笑い返した。

「それは会長様の許可ととっていいんだな。」
「まあね。」

生徒会室に入ると、瑞樹と、彼に連れてこられた咲良が、仔犬がじゃれあうみたいに遊んでいる。雪紀は嬉しそうににっこり笑った。先ほどとは180度違った笑顔だ。

「どうしたの、二人とも。早いねえ。」
「あ、会長。C組がうるさくて、授業が少し切り上がったんです。多分今日は職員会議ですよ。」
「へえ、それはそれは。」

雪紀は何事もなかったかのように言うと、会長用のデスクに着いた。肘をつきゆったりと指を組み合わせ、それに顎を乗せる。彼に従うように直哉が立った途端、再び扉が開かれた。
瑞樹は少し驚いてそちらを窺った。授業用の教材を抱えたままの祥太郎がよろよろ入ってきたのだ。

「み、瑞樹君〜。」

祥太郎は瑞樹の顔を見るなり、へにゃっと表情を崩した。なんだか半泣きになっているようだ。
顧問として足繁く生徒会室に顔を出す祥太郎だが、背格好が似通った瑞樹が一番話しやすいらしい。

「どうしよう、僕、本気で生徒を怒鳴っちゃったよう〜。」

祥太郎はソファーに辿り着くと崩れるように座った。瑞樹はびっくりして、ぽかんとする咲良を放って駆け寄る。

「ど、どうしたんですか、祥太郎先生。」
「あああ、僕ずいぶんなこと言っちゃったかも〜。」
「…どうせなら、直哉にすがり付けばいいのに、ねえ。」

仏頂面で祥太郎を見る直哉に向かって、雪紀は流し目をくれる。直哉は面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「だ、だいじょうぶですよ。先生評判いいから、絶対問題になんかなりませんよ。怒鳴るくらいじゃ、先生の汚点には…。」
「汚点? そんなことじゃないよう!」

よほど動転しているのだろうか。生徒である瑞樹に対して、すっかり言葉がタメ口になっている。

「あんなふうに怒鳴りつけちゃって、あの子のトラウマになっちゃったらどうしよう〜。」
「………あれがトラウマなんかになるようなナイーブな奴だと思う?」
「……………さあな。」

雪紀と直哉はこっそり言葉を交わす。今日の祥太郎は、いつもとはまったく違う顔を見せてくれた。なんとなく弱々しく感じられていた顧問の新しい一面だ。

「それにしても…ホント、祥太郎センセってか〜わいいんだから。」
「……言っとくけどな…。」
「俺んだ、でしょ。はいはい。」

雪紀は睨み付ける直哉を軽くいなして咲良を手招く。徐々に手なずけつつある可愛い後輩は、何も疑うことなく素直に近づいてくる。祥太郎センセも可愛くて雪紀のお気に入りだが、今のところは咲良一人いればいい。
総て順風満帆。雪紀はにっこり笑った。



その頃の1年C組。

「おい、俺そのペン買うから、寄越せよ。」
「やだよ。俺のだって言ってるだろ!」
「お前はさんざ、頭かいぐりしてもらったじゃないか。ペンぐらい寄越せよ!」

山田の席の周りでは密かな争奪戦が繰り広げられている。祥太郎の手にした筆記具に高値がつけられているのだ。
だが肝心なそれらの品々は、山田の強硬な態度でちっとも取引に至らない。

「前から可愛い先生だとは思ってたけど、今日のはまた格別だったよなあ…。」
「そうそう、怒るとほっぺがばら色になっちゃって、目なんかウルウルしちゃってさ。」
「はっきり言って授業の妨害なんかどうだって構わないけど、あれみせられたら、断然センセの味方になっちゃうよな〜。」

生徒達はいっせいに頷いた。さすが男子校。お坊ちゃま方の趣味はうがっているのだった。  



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