ライバル登場目の前の男の指はすらりと長い。爪もきれいで、知的な印象をうかがわせる。 だがそれでいて、文系一辺倒でないたくましさも感じさせる。何かスポーツに秀でていそうな力強い手。直哉はまた自分の眉間に皺が寄るのを感じた。 ロレックスの腕時計なら自分も持っている。今目の前にしている男がしているのは、ロレックスの中でもさほどランクの高い物ではないのかもしれない。 だが、あの堅牢さと上品さを兼ね備えた時計を、これほどまでに優雅に自分の物としてつける男を見たのは、直哉は始めてだ。父親の取り巻きたちしかり、自分しかり。 高級な物が浮かずに馴染んで見えるのは、その高級さに負けない気品を、その男が備えているからだろう。 「ん? 俺の顔に何かついているかな?」 その男──瓜生は、携帯の着信チェックの手を止めて、直哉に微笑みかけた。 「………別に。」 直哉は憮然と横を向いた。 一体どうしてこんな事になってしまったのだろう。祥太郎と二人っきりの楽しいデートのはずだったのに。 直哉は恨めしく、瓜生の隣に座っている祥太郎を睨んだ。もたもたと最後まで食事をしていた祥太郎はきょとんとした顔をしてパスタをすすった。ちゅるんと吸い込んだパスタの最後の一啜りが、トマトソースを跳ねさせる。 「…祥、ソースが付くぞ。相変わらずだな、おまえは。」 「だ…っ、いいよ、子供じゃないんだから、もう。」 祥太郎は瓜生に、ナプキンで口の周りを拭われそうになって顔を赤らめている。直哉の存在が気になるのだろう。 もし、直哉がいなかったら、おとなしくされるままになっているのではないのだろうか。直哉はイライラと足を組み替えた。 三省堂の前で祥太郎に声を掛けてきた瓜生は、悪びれる様子もなく、祥太郎を待っていたのだと言った。祥太郎の傍に直哉がいる事など、何の関係もないと言った風情で。 「今日は資料探しが思ったより早く済んだからな、一緒に飯でも食うかと思って。」 「ええ? 僕、出かけるなんて言わなかったと思うけど?」 祥太郎が訝しげに首を傾げた。その祥太郎の髪を、瓜生の大きな手がくしゃくしゃと掻き回す。 直哉はムカッと腹を立てた。祥太郎に気安く触るな! 「おまえの行動なんか、1から10までお見通しさ。今日から休みだろう? おまえがここに来ないわけがないじゃないか。」 祥太郎は両手を上げて頭を庇うと、少し下がって膨れっ面になった。 「止めてよ。生徒の前なんだから!」 「生徒…?」 瓜生はそこで初めて直哉の存在に気付いたようなそぶりを見せた。祥太郎に向けるのとは程遠いキツイまなざしで直哉を見る。 「紹介するね。直哉君、これは瓜生。僕の昔からの友達。瓜生、こちらは…。」 「滝 直哉です。」 直哉は祥太郎を遮って自ら名乗った。瓜生が直哉を値踏みするようにゆっくりと顎を上げる。 視線が合うと、瓜生は意味もなくくすっと笑った。まるで直哉を苛立たせようとするように。その手に乗ってはいけないと思いながら、直哉はどうしてもムカッと腹が立つのを止められない。 「滝君…?」 「こないだ話したでしょ。僕が風邪ひいたときに…。」 「ああ、わざわざ来てくれて、掃除だけしてくれた生徒君!」 ブチイッ! 直哉の心のどこかで何かが1本ブチ切れた。 “わざわざ”と“だけ”だけ強調しやがって! なんだその余裕の笑みは! 気に入らねえ! 「…俺もあなたの事は存じ上げてます。」 直哉は無理に笑った。こめかみがぴくぴくする。 「今時オーダーメイドのシャツをこれ見よがしに忘れていく人。しかし珍しいですね、今時その若さであんなネーム入りのシャツなんて。女の子の家にわざと下着を置いていく男の心境ですかね。」 瓜生が真顔になった。だがそれも一瞬の事で、すぐにまた余裕ある微笑みを浮かべる。 「そうだね。さしずめ君は、クリーニング屋ケンちゃんのつもりだったのかな。」 (! こっ、こいつ…っ!) この男は、直哉が祥太郎の部屋を掃除したばかりではなく、洗濯もしたことを当てこすっているのだろうか。 確かに直哉は、乾燥機から出したほかほかの祥太郎の下着類を畳みながらちょっとどきどきしたことを否めない。それを昔々の有名なエロビデオになぞらえられて、今度は直哉が詰まる番だった。 確かに下心がまるでなかったとは言い切れない後ろぐらい身ではある。 だけどアレは純粋な好意だった。こんな風に喧嘩のネタにされるような事柄じゃない。 「ふふふふふ………。」 「ははははは………。」 二人は一瞬睨み合うと、どちらからともなく低い含み笑いを漏らした。 直哉にはこの乾いた笑いがばちばち火花を上げる導火線に思えた。どちらかの笑いが途切れた途端、本体に吸い込まれた火花は、派手に爆炎を上げるのだろう。 だが、そんな導火線にジュッと水をかける者がいた。祥太郎だ。 「あれ、なんか二人、話はずんじゃってる?」 この状態を、どんな風に見たらそう見えるんだ…。 いかにも楽しそうに話しかけられて、直哉は上がりきっていたボルテージが音を立てて下がっていくのを感じた。 それは瓜生も同じだったらしい。祥太郎の顔を見る目つきがいかにも呆れている。 「よかった。二人とも、気が合いそうだね。…ん? 僕なんか変なこと言った?」 無邪気をそのまま人にしたような笑顔で、祥太郎は二人を覗き込む。 直哉は大きくため息を吐いた。 結局散々迷った末、祥太郎が選んだのはイタリアンのレストランだった。そこでこの、でこぼことした3人が額をつき合わせてランチをとる事になった。 店頭に飾ってあったランチサービスのメニューは、直哉を安心させるような価格だった。何しろ祥太郎がおごってくれるというのだ。 普段雪紀や天音が行きつけているような、ワイン1杯数万円なんていう店には間違っても入れない。 だが、気に入らなかったのは、さも当然とした顔で瓜生がついてきて、しかもちゃっかり祥太郎の横に座ったこと。そしてそれを、祥太郎が一つも咎めない事だった。 お定まりの安っぽいパスタとサラダとデザートのランチは、なんだか瓜生には似合わなかった。 そうして同じ物を注文した祥太郎にはそれがとても似合い、きっと自分にも似合っているのだろうなと思わせることが、尚更直哉を苛立たせた。 だが、瓜生はさっきまでの喧嘩腰が嘘のような穏やかさでたわいない話をし、さりげなく祥太郎の世話を焼いている。 祥太郎は終始ご機嫌で、ニコニコと輝くような笑顔を振り撒いているばかりだ。 「こういう、アルデンテのパスタも美味しいんだけどね。」 突然祥太郎が切り出した。 「僕は、いかにも家庭的な、うどんみたいに柔らかく煮ちゃったスパゲッティも大好きなんだ。昔よく、瓜生のお母さんにご馳走してもらったよね。」 「ああ、あれね。」 瓜生が柔らかく笑う。また入り込めない話で、直哉はぶすっと唇を尖らせる。 「おまえが一人暮らしを始めたんで、お袋が寂しがってるよ。もう祥ちゃんは遊びに来ないのかってな。」 「あ、じゃあ、休みの間に一度お伺いするから。」 「緑ちゃんと茜さんはお元気で?」 「元気元気。実家に帰ると祥祥うるさくて参るよ。」 「…その呼び方なんですけど。」 やっと話の接ぎ穂を見つけて、直哉は無理やりふたりの間に割り込んだ。 「祥…って、それ…。」 「あ、ごめん。」 祥太郎はやっと直哉に気付いたみたいに笑った。 「僕の父が宗太郎って名前なんだ。それで、家の者は区別しづらいって、僕のことは祥って呼ぶんだよ。親しい人はみんなそう呼んでくれるんだ。」 「じゃあ俺も、先生のことは、…祥先生って呼んでいいですか?」 直哉は目の前の瓜生を意識して言った。親しい間柄だけに許される呼称。それをこの瓜生が許されて、自分が許されないのは悔しい。 瓜生は少し身じろぎすると、直哉をじっと見た。怯まずに見返すと、瓜生はまた鼻先で笑う。 まるで直哉を苛立たせるのが楽しいかのようだ。 「うん、いいよ。もちろん。」 祥太郎は軽く返事をする。直哉がどんな思いを込めてこの許可を取り付けたかなんてまったくわかっていない顔だ。 動じない祥太郎の代わりのように、瓜生がふっと笑った。 「…宣戦布告…か。」 「じゃあさっそく…祥先生。…だけどご家庭内でお父さんの名前と区別が付かないって珍しいですね。ふつうお父さんはお父さんでしょう。」 直哉は瓜生の言葉を無視して言った。いちいち突っかかって、瓜生を喜ばせるのは癪だった。だから話題は何でもよかったのだ。 「ああ、うん。うちは家庭がちょっと複雑なんだ。」 「え…。」 思いがけず話が深刻な方へ進みそうな雰囲気だ。この、いつもにこにこしている祥太郎からは何の屈託も感じられないと言うのに。 思わず直哉は言葉に詰まった。ちらりと横目で瓜生を窺うと、余裕の微笑みで成り行きを見守っている。 幼なじみの二人はおたがいの家庭環境も熟知していて、その上で直哉の狼狽を楽しんでいるように見えた。 直哉はまた眉間に力が入るのを感じた。直哉の渋面にはまったく無頓着に、瓜生はウエイトレスを呼び止めたりしている。 「飲み物をお願いします。」 「………はい。」 美丈夫に微笑みかけられて上気したウエイトレスが、いそいそやってくる。彼女が差し出したデザートメニューを一瞥し、直哉は無表情にコーヒーを頼んだ。 行きずりのウエイトレスにまで愛想を振り撒く瓜生が信じられない。 「祥、おまえは?」 「えーとねえ、……コ…。」 言いかけてなぜか祥太郎は言葉を飲み込んだ。ちらりと直哉を見上げて、それからなぜか胸を張る。 「コ、コーヒー下さい。ブラックで。」 「…じゃあ俺はココアで。」 瓜生は笑いをかみ殺したような顔で甘ったるい物をたのんだ。直哉はそんな二人を不思議に思いながら眺めていた。 コーヒーを頼むのに、わざわざブラックと指定する必要はない。それに祥太郎はいつも甘ったるいミルクティーやらジュースやらが好きだったのではなかっただろうか。 そしてさらに気になるのは瓜生の面白がっているような表情だ。何か知っていてそれを押し隠しているような笑顔。 「さっきの続きね。」 祥太郎は、直哉のそんな戸惑いにも気付かずに話を続けた。 「僕の母が早くに亡くなったことは話したよね。」 「ああ、…はい。」 祥太郎の顔を窺っていると、さほど深刻そうには思えないが、直哉は用心しつつ返事をした。 「今、僕の戸籍上の母は、その亡くなった母の姉に当たる人なんだ。」 「は?」 一瞬、祥太郎との血縁関係が飲み込めなくて、直哉は目を白黒させる。祥太郎はにっこり笑った。 「もともと母とその姉はものすごく仲のいい姉妹で、お互い結婚してからも、隣り合った建売住宅に新居を構えたんだ。 だから姉…今の僕の姉なんかに言わせると、僕が生まれたころには、二組の家庭がごっちゃになって、子供二人に母親と父親が二人ずつみたいな、大家族みたいにして暮らしていたんだって。 だけど僕の母は病気で、ほんのちょっと床についただけで亡くなってしまって、だから僕はほとんど、その伯母に育てられたみたいなものなんだ。 だから当初からあっちの家庭は、僕の父が宗太郎さんで、僕は祥って呼んでるんだよ。」 「…はあ。」 なるほど、そう順序だてて説明されると、さして不思議でもない呼称だ。 「あっちの家庭は、その伯母と伯父と、ふたりの姉妹…、僕より2つ上の姉さんと、5つ下…直哉君と同い年になるのかな。の、妹の、4人家族だったんだけど、その妹が小学校に入る頃に、伯父が事故で亡くなってしまって、それでうちとそっちの家での共同生活みたいになっちゃったんだ。 うちの父が稼いできて、伯母が家事一切をするっていう。」 頷きながら聞いていた直哉は、ふと疑問に思った。ここまでの話では、祥太郎がその伯母という女性に育てられた経緯はわかっても、それが戸籍上の母には繋がらない。 「それで、…こっから先が結構はずかしいんだけど…、僕が就職活動にはいるちょっと前に、うちの父と伯母が突然入籍しちゃったんだ。」 「はあ?」 突然変な方向に話が向いて、直哉は間抜けな声を出した。祥太郎は恥ずかしそうに肩を竦めた。 「姉が、自分の就職活動のときに大変だったから、両親に吹き込んだらしいんだ。片親だと、就職に不利だって。本当はそんな事全然ないと思うんだけど…ほら、今って不景気で就職難だし。 だけど、二人ともわりとぼーっとしてるし、なんか…僕には特に過保護だし、それで形だけでもって夫婦の体裁にしちゃったんだよ。 あ、でも相変わらず住んでいるのは別の家だし、お互い伴侶はただ一人って決めてるみたいだけど…。」 「え、それじゃさっきの、緑ちゃんとか茜さんとかは…。」 「妹と母の事だよ。母は昔から気の若い人で、うっかりおばさんとか呼ぼうものなら大変なんだ。だからうちではみんな名前で呼び合ってる。」 「へえ、それじゃ…。」 ちょうどそこへ、飲み物を抱えたウエイトレスがやってきて、直哉はいったん言葉を切った。 「名前で呼んでもらってる俺の方が、瓜生さんより親密度高いって事ですかね。」 直哉は闘争心むき出しに、瓜生を睨み付けながら言った。 だが、祥太郎の方がびっくりしたようにぴょこんと跳ね上がった。大きな目を見開いて一生懸命首を傾げている。 「あれ? あれ? そういう事になるの?」 「そうなんじゃないか? 彼がそう思っているんだから。」 祥太郎の長い話の途中から、じっと目をつぶって聞いていた瓜生が、さもおかしそうに肩を震わせた。 「存外可愛らしいね、彼も。」 ムカッ。直哉はまた腹を立てた。 いったいこの男と同席してから何回目だろう。この男は直哉を苛立たせる事にかけては天下一品だ。 直哉は興奮が表に現れないように、静かにコーヒーを口にした。しっかりと濃いコーヒーで、香りもいい。この豆はアラビカ種だろうか。 目を上げると、祥太郎がなんだかへっぴり腰でコーヒーを一口飲んだところだった。用心深く口に含むと、なぜか半眼になって無表情になってしまう。 やっぱり。直哉はちょっと呆れた。 祥太郎にはブラックコーヒーなんか似合わない。 砂糖でもミルクでも好きなだけ入れて、蕩けるような甘い顔をしていればいいのだ。そう思い、祥太郎がカップを置くのを見計らってミルクを差し出そうとした。 ブラック党の直哉には、自分のミルクも必要ない。 「…先生、ミルク…。」 「うん、やっぱり甘いな。」 だが、伸ばしかけた直哉の腕は、瓜生の声に遮られた。 瓜生は直哉の顔を見ると、確かににやりと笑った。まるで自分の優勢を見せ付けるかのように。 「祥、換えてくれ。」 「え?」 「あ…。」 瓜生の腕がすいっと伸びた。祥太郎の同意も承諾も得ず、瓜生は自分のココアと祥太郎のコーヒーを交換したのだ。 鮮やかすぎる手さばきに、祥太郎も直哉も、止める暇もない。 「も、もう、いつも勝手なんだから。僕もう、口つけちゃったよ。」 「構わん。今更だろ。」 取り上げたコーヒーをそのまま口に運ぶ瓜生をぼけっと見ていた直哉だが、そのうち祥太郎の表情に気付いてはっとした。 いかにも安心したような、頼もしげな目で瓜生を見ているのだ。 その祥太郎の顔を見た途端、直哉には瓜生の企みが手に取るように分かった。 彼にはきっと、祥太郎が何らかの意地を張ってコーヒーを頼まずにはいられない事が読めていたのだ。そしてそのコーヒーを飲めない事も。 だから似合わないココアを頼んで、いかにも自分が失敗したかのように、交換を演じてみせたのだ。 だが、それだけではない、まるで直哉をからかうような目をしてみせた。 いかにも自分はこんなにも祥太郎を知っていると、おまえなんかの理解の及ばない所まで、俺は祥太郎を知り尽くしていると、そう宣言してみせたのだ。 キンッと耳の奥が鳴った。ムカッと腹が立つどころの騒ぎでない怒りが直哉を捕らえていた。 その怒りは、目の前の瓜生だけにではなくて、不甲斐ない自分自身にも向けられていた。 生涯初めて熱望するものを見つけたのに、どうしてこんなに何もかもままならないんだ。 「………じゃ、僕ちょっと。」 「おう、行ってこい。」 気が付くと二人はカップも干して、祥太郎が席を立つところだった。 軽装なのを見ると手洗いにでも立った様子だ。その背中を睨み付けるように見送っていると、瓜生がずいっと身を乗り出してきた。 「…可愛いだろう、祥は。」 祥太郎に向ける笑顔とは似ても似つかない鋭い笑顔を向けてくる。 「俺はあれが小学生の頃から見ている。子供の頃のあいつは今よりもっと呂律が回らない感じでな、いっしょうけんめいウリュウって呼ぶ口元が可愛らしくて、だから俺はあれにはそれ以外の呼び方を許してない。いちいちキスをせがまれている気分になったもんだぜ。」 「……とんでもないエロ餓鬼だったんですね、あんた。」 「まあな。おまえさんと大して変わらないさ。」 直哉は思い切り顔を顰めた。 さっきの呼び名に対する弁解だろうか。それにしては妙に余裕たっぷりで、直哉はこの男の鼻っ柱を折ってやりたくなった。 「就職して行き先が別れるのは心配だったが、ガキばっかの中ならまあ安心かと思っていたのに、最近のガキは油断ならないな。」 「まあ、俺だって5年たてば立派にオヤジになりますからね。朝……祥先生もかわいそうに、こんな小姑みたいなオヤジに付きまとわれて。」 せいぜい皮肉った言葉を、瓜生は軽く鼻先で笑い飛ばした。 「ふ、案外カンがいいんだな、君は。」 どういう意味だろう。だが直哉に質問する時間を与えず、瓜生は強い目をした。 「…俺はあれが人一倍小さなガキの頃からずっと傍にいた。あれは警戒心薄いからな。火の粉を払ってやった事も1度や2度じゃない。 分かるな。俺はあれが大事で可愛い。今更やたらなやつには譲れない。 おまえの行動なんか、あれを通じて俺には筒抜けなんだぜ。あれを手に入れるためには…まず俺を陥落させなきゃ駄目だって事、よく覚えておけ。」 脅しつけるような鈍く光る目を、直哉は同じ強い視線で睨み返していた。 祥太郎の甘ったれた視線には弱くても、こういう敵意むき出しの目には滅法強い直哉だ。 「さっきから黙って聞いてりゃあれだの譲るだの、あんた一体、何のつもりだよ。祥先生を縛り付けてるやたらな奴って、あんたの事じゃないのか。」 「………ほう。」 直哉の噛み付くような言葉に、なぜか瓜生は嬉しそうに笑った。 「手に入れるとか何とか、そんな事じゃない。選ぶのは祥先生だし、俺は選ばれるように努力するつもりだ。誰にも口出しさせない。これは俺と先生の問題だ。」 瓜生の精悍な顔立ちに、ゆっくりと笑みが広がっていく。 なぜか満足そうなその笑みを、直哉はじっと睨み付けていた。なんとなくもうこれ以上、瓜生は絡んでこない気がした。 「お待たせ〜。トイレ混んでてさあ…。あれっ。」 するりと滑り込むように瓜生の隣に座った祥太郎は、直哉と瓜生の顔を見比べて嬉しそうに笑った。 「なんか瓜生、ご機嫌?」 「まあな。ところで祥、おまえ滝君にお見舞いに来てもらって、ちゃんと礼したのか?」 なるほど、祥太郎が口にするウリュウは、たどたどしく尖らせた口がキスをねだるように見えなくもない。 そんな事を考えながら二人を見ていた直哉は、突然会話の中に自分の名前が出てきてびっくりした。 「えーと、…あれ、そう言えば靴下は返したけど、肝心のお礼はしてないや!」 「そんな事だと思ったよ。今からでもちゃんとしろよ。」 「うん、えーとえーと、ごめん直哉君、何かご希望ある?」 なんだろう、この展開は。直哉は目を細めた。なんだか瓜生に塩を送られている気がする。それともこれも何かの伏線なのだろうか。 来るなら来い。俺は絶対に諦めない。直哉は深く息を付いた。 「それじゃあ、お願いがあるんですけど。」 「うん、僕にできる事なら何でも言って。」 「デートがしたいんです。二人っきりで。」 「…うん、いいよ、大丈夫、たぶん。」 あんまりあっさり返事が返ってきたので、もう一度直哉は深く息をついた。恐らく祥太郎は何にも分かってない。 「先生、言っときますけど、俺がデートしたいのは、先生の妹さんでもお姉さんでもお友達でもないですよ。」 強い言葉で言い切ると、祥太郎は小首を傾げた。やっぱり何にもわかってない。直哉は気を落ち着けるように大きく息をついた。 「俺は、先生と二人っきりで、朝から晩まで一緒にいたいんです。 俺は、先生が好きなんです。」 言い切って、直哉はそっと瓜生を窺った。じっと腕を組んだまま微動だにしない瓜生は、かえってその内心の動揺を表しているようだ。 祥太郎は大きな目を見開いて、ぽかんと直哉の言葉を聞いていた。 やがてその頬がぱあっと薔薇色に染まり、さも嬉しそうに笑み崩れる。 p 「うん、いいよ。僕でよかったら一日中付き合ってあげる。嬉しいなあ、こんな風に生徒に好かれる先生になるのって、僕の目標だったんだ。」 何か違う。直哉はまた眉間に皺を寄せてしまう。 祥太郎は直哉のそんな苦渋に満ちた表情に気付きもせずに、にこにこしていた顔をひょいと引き締めて、顎に人差し指を押し当てた。 「んー、でも、こういうのってきっと、デートとは言わないと思うなあ。」 直哉は思わず唇を噛み締めた。瓜生の大きな肩が、笑いをかみ殺すようにゆさゆさと揺れているのが目に入る。 直哉は自分自身を奮い立たせた。これしきの事でくじけるな。十分に予想された答えじゃないか。 とにもかくにも約束は取り付けたのだ。後はこれをどう有効に生かす事ができるか。ここからが俺の腕の見せ所だ。 「楽しみに…してます。」 直哉は視線を、祥太郎と瓜生とに等分に配りながらやっと言った。 祥太郎の大きな笑顔と、瓜生の含み笑いが瞼の奥に強く残った。 |