波乱の予感自分から誘い出したくせに、祥太郎の背中は何だか憂鬱そうだった。 いつもなら弾むように軽い足取りがなんとなく重いのを見て、直哉は祥太郎の具合でも悪いのではないかと訝ってしまったくらいだ。 「祥先生、買い物って、なにを買うんですか?」 「え、うーん、なにがいいのかなあ…。」 祥太郎は口篭もると目を伏せた。しばらく黙りこくった末、小首をかしげる。 「やっぱ月並みに銀のスプーンセットとかかな…。」 「はあ? なんのセットですって?」 てっきり本屋に付き合ってくれと言われるのだとばかり思っていた直哉は、予想外の返答に思わず素っ頓狂な声を出してしまう。 「う…ん、いいや、気が早いって言われちゃいそう。」 「一体なんなんです。俺にもわかるように話して下さいよ。」 「だってねえ、僕にも何だかよく分からないんだ。」 祥太郎は直哉の顔を見上げようともしない。 「ずっと地面だと信じていたのが実は薄い氷で、いきなり足の下が水になった感じ…。」 「はあ?」 「それとも、大事にしていた宝物が実は図書館の本だから、早く返しなさいって言われた気持かな。」 「………ますますわかりません。」 「…うん。」 祥太郎はようやく直哉を見上げると、目を細めた。笑っているはずのその顔は、何だか痛々しいみたいに見えた。 「それでも、きっと水の中にも竜宮城はあるんだし、図書館の本なら何回だって見られるはずなんだ。」 直哉は進路を心持ち右に寄せた。前を歩く祥太郎の影と自分の影が寄り添った。 珍しく祥太郎が弱音を吐いているようなのに、直哉はそれを慰めるどころか理解も出来ない自分に苛立っていた。 どうして自分は瓜生ではないのだろう。せめて、タメでもないのだろうか。 たった五つしか違わないと口癖のように言う祥太郎は、その五つの年齢の差を盾に、いつも一線を引きたがる。 もしも自分が瓜生なら、せめてタメであったなら、この細い背中を抱きしめても、祥太郎は拒まないのではないのだろうか。 「…どうしてずっと同じじゃいられないんだろう…。でもきっとこれはおめでたい話なんだ。僕は祝福してあげなくちゃいけないんだと思うんだけど…。」 祥太郎はついに足を止めた。直哉を振り返り、ゆっくりと首を傾ける。最後の最後まで言うのを躊躇っているようだ。 「瓜生がね、…こんど結婚するんだって。」 そう言って微笑んだ祥太郎の顔は、まるで迷子になった子供みたいだと、直哉は思った。 そんな事があったから、待ち合わせた喫茶店での直哉の形相は最悪だったはずだ。いかにもビジネスマンらしいしなやかなスーツ姿の瓜生を、直哉はじっと睨み付けていた。 一体、なにが目的で彼が自分を呼び出したのか分からない。祥太郎をめぐる事で戦線離脱するつもりなら、黙って静かにフェードアウトすればいいだけの話だ。なぜことさらに自分を呼び出すのだろう。 「今日は一体、なんの用事で俺をお呼びなんです?」 あまりにも当たり障りない話ばかりに焦れて、水を向けると、瓜生は余裕を見せ付けるように笑った。 「なに、君をもう一度良く見ておきたかったのさ。」 「それで? 俺のなにがそんなにお気に召したんです。」 今日も当然のように、瓜生は祥太郎の隣に座っている。斜め前に祥太郎を据えた直哉は、彼の大事な先生の表情が今一つぎこちない事が不満でたまらない。 祥太郎は瓜生の結婚話を聞いて胸を痛めているのに、その当人である瓜生はこんなににこやかで晴れがましい顔なのだ。 「そうだね、君のその…不機嫌そうな顔とかね。」 「…当たり前でしょう。」 まるでふざけ半分の瓜生の答えに、直哉はふつふつと怒りが湧いてくる。だが、瓜生は、直哉の怖い顔にもまったくめげる様子もない。 「意外だったね。君はきっと、もっと嬉しそうな顔をしていると思ったよ。」 「それは、あんたが祥先生を諦めたから…っていうことですか?」 「そうそう、ライバル消滅ってね。」 「ふざけるなよ。」 直哉の地を這うような低い声に、祥太郎がぴくりと肩を竦ませた。 「ちょっとちょっと、二人ともさっきから何の話?」 慌てて割ってはいる祥太郎をちらりと眺めると、直哉は再び厳しい目で瓜生を睨みつけた。 「あんたが誰と結婚しようが、はっきりいって俺には関係ない。だけどもうちっとは祥先生のことも考えちゃどうです。」 「ほう。」 瓜生はゆったりと腕を組むと、直哉を見下ろすように顎を上げた。その、いかにも自分が上位に立っているような態度が癪で、直哉はますますはらわたが煮え繰り返る。 「あんたにとって祥先生は一体なんなんです。先生があんたを見る目…。この間まであんなに安心しきっていた目が、今こんなに不安そうになっているのに気づかないんですか。 そりゃあんただって将来もあるでしょう。いずれは結婚だってするでしょう。だけどそれをこんな…見せびらかすようにすることないじゃないですか。あんたは祥先生を突き放して楽しいんですか。」 「別に突き放しちゃいないさ。今までどおり、ずっと変わらずやっていくつもりだよ。なあ、祥。」 「う、うん。」 いきなり話し掛けられて、祥太郎は一瞬びくっとした。直哉と瓜生の顔を当分に見比べて、なんとも不安そうな顔をする。それがいよいよ直哉の癇に障る。 「祥先生を捨てて女を選んで、なにが今までどおりだよ。祥先生に悲しい思いをさせるなよ。」 「捨てたなんて…直哉君、あのね…。」 「君は一体なにが望みなんだい?」 何か言いかけた祥太郎を遮るようにして、瓜生は口を挟んだ。相変わらず余裕を見せつけるようにニヤニヤと笑っている。 直哉の米神がどこかで一つ、ぷちんと音を立てた。 「俺は祥先生がいつも幸せそうに笑っててくれなくちゃ嫌なんだ。俺のチャンスとか有利とか、そんなことはどうでもいいんだ。 祥先生を泣かすようなことをする奴は、たとえ祥先生の幼馴染のあんたでも、俺がぶん殴ってやる。」 場がしんと静まり返った。直哉たちのテーブルばかりではない、周り中が静まり返って事の成り行きに耳をそばだてている。 突然その沈黙を破ったのは、瓜生の哄笑だった。瓜生は隣の祥太郎の背中をバンバン叩きながら笑っていた。 「あっははは…、聞いたか祥、俺の言ったとおり、彼はいい漢だろう。」 「イタタタ…分かったから、痛いってば、瓜生。」 祥太郎は瓜生の手を反らすと、申し訳なさそうな顔で直哉を見た。 「あのね、瓜生が言うなって言ったから言わなかったけど、瓜生のお嫁さんって、葵ちゃんなんだ。」 「葵ちゃんて…、え? あの…?」 「うん、僕の姉さん。」 一瞬わけがわからなくなって直哉は目を白黒させた。 祥太郎の姉と結婚すると言うことは、義理とはいえ祥太郎と縁続きになると言うことなのだろうか? 「え…、ええっ?」 「ふふん、俺のことはこれからお兄様とお呼び。」 「ごめんねほんと。だから捨てるとかそんなんじゃなくて、僕にしてみたらいきなりうるさい小姑が一人増えて…イテテテ…。」 「こら祥、お兄様に向かって小姑とは一体なんだよ。」 瓜生が祥太郎の耳を捻り上げ、それを引き剥がそうと祥太郎が無様にもがく。それをぼんやりと眺めながら、直哉は今言われたことを反芻していた。 瓜生は確かに祥太郎に自分と同じような目を向けていたはずだ。それがいきなりその姉と結婚と言うのはどういう話なのだろう。 「あんた…祥先生が好きじゃなかったのかよ。」 「あのな、周り中全部自分と同じだと思うなよ。目の前に飛び切り可愛い女の子と男の子が居たら、普通なら女の子を選ぶんだ。当たり前だろ。」 「あのね、瓜生と葵ちゃんはね、葵ちゃんが大学を出たころからもうお付き合いをはじめてて、ずっと前からなんとなく話は決まってたんだよ。」 瓜生は祥太郎の耳をやっと放し、にやりと笑った。祥太郎が大きなしぐさで瓜生から身を引いたのを見て、ずいっと直哉のほうに身を寄せる。祥太郎に聞こえない、小さな声になった。 「だけどおまえを見たから、俺も踏ん切りが付いたんだ。もう祥は俺が居なくてもいいんだな…ってな。」 p 直哉ははっと息を飲んだ。やはり直哉が感じたことは間違ってはいなかったのだ。 兄弟と言う、一番近くて遠い濃密な関係に自らを当てはめてしまうのには、よほどの決意がいるだろう。だが、そうまでしても、瓜生は祥太郎との距離を保ちたかったに違いない。 ずっと祥太郎を見てきたと言う瓜生が、これからもずっと祥太郎を見ていられる位置に。 「後は任せたぜ。」 瓜生の笑顔はなんだか淋しげだった。 季節とともに日が長くなって、喫茶店を出てもまだ外は薄闇だった。 祥太郎は来たときと同じように直哉の数歩前を歩いている。その背中が心もち丸められていた。 「なんだろう、家族が一人増えるのに、胸の中に穴があいたみたいな気持ちなんだ。」 祥太郎は足を止め、呟くように言う。 「大好きな葵ちゃんと瓜生が結ばれて、僕は嬉しいはずなのに、どうしてこんな気分になるんだろう。」 「それはきっと、先生が淋しいんですよ。」 直哉はそっと祥太郎に近づいた。ゆっくりと腕を伸ばし、背後から祥太郎の身体を包み込む。 祥太郎はひくりと肩を震わせたが、逃げずに直哉の胸に身体を委ねてくれた。 「俺がずっと傍に居ます。瓜生さんの代わりに。 俺じゃ…ダメですか。」 祥太郎の柔らかいくせっ毛が、直哉の顎をくすぐる。直哉はぎゅっと抱きしめたい衝動を必至に堪えていた。今の祥太郎には熱い抱擁はまだ早い。 「僕はね…本気になるのが怖いんだ。」 やがて聞こえてきた声は、やっと聞き取れるほどの囁きだった。 「みんな…本気だって言った途端に人が変わってしまう…。そんなのをたくさん見てきた。だから、人のも自分のも、本気は怖いんだ。…時間かかるよ。」 ゆっくりと祥太郎が顔を上げる。キスさえねだれそうな距離なのに、まだ遠い。 「それでも…変わらないで待っていてくれる…?」 「………待ちます。」 直哉は腕にほんの少しだけ力を込めた。これが祥太郎と直哉の、今の精一杯だ。 それでも、直哉は腕の中のぬくもりが、逃げようともはぐらかそうともしないことが嬉しかった。 翌日、生徒会室にやってきた祥太郎は、昨日の頼りなさなどもう微塵も見せない様子だった。なんだか興奮に頬を染めている。 初の副担任としての1年生との顔合わせが、その興奮の元らしい。 「やっぱり新1年生はいいよ。初々しくって。咲良君や瑞樹君も去年はあんなふうに緊張してたんだよね。」 緊張といえばきっと祥太郎に適う新1年生はいなかったはずだが、あえてそのことは誰も口出しをしない。 上機嫌の祥太郎の気分を損ねるような大人気ない奴は、この生徒会にはいないのだ。 だが、平和は突然打ち砕かれる。生徒会室の扉がすごい勢いで開かれたのだ。 「兄ちゃん!」 扉を開け放ち、ギョッとする面々を睨みつけるように見ていた男がいきなり大声を出す。 声変わりも終わって間もないような、少し掠れた声は、一直線で直哉に向いていた。 「わああ、兄ちゃん、俺高校生になったんだよー! また兄ちゃんと一緒だよー!」 大柄な子だ。胸に着けたリボンから察するに、新1年生らしい。だが、背丈は祥太郎も咲良も瑞樹も軽く凌駕して、雪紀ほどもあるだろうか。 その大きな身体が僅か3歩ほどで生徒会室を突っ切ると、直哉に抱きついた。思わず抱きつかれた直哉がたたらを踏む勢いだ。 「うわっ、は、隼人…っ。」 「隼人君?」 生徒会の子犬たち二人…咲良と瑞樹がぴっと耳を上げる。 期待の星の新1年生の登場に、浮き足立つのが見えるようだ。 「こらっ、隼人っ、いい加減にしろ、でっかい図体で…。みんなの前だろうが!」 みんなといいながら、視線は祥太郎の方にしか向いていない。祥太郎の目の前でたとえ弟だとしても、抱きかわすシーンなど見せたくない直哉なのだった。 隼人と呼ばれた少年は、ひとしきり直哉の匂いでも確認するかのように直哉にぐりぐりと抱きついていたが、やっと満足したらしい。抱きついていた腕を放すと、ぐるりとあたりを見回した。 さっきまでの尻尾を振らんばかりのでれでれの様子とは程遠いきつい目つきだ。 「…なんだか直哉センパイの弟って、大きな犬みたい。」 瑞樹がこそこそと咲良に話し掛けている。祥太郎は思わず頷いていた。 それも、同じ大型犬にしても、慎吾が人懐っこいラブラドールなら、隼人は主人にだけ忠実なドーベルマンだ。 「雪紀さん、…あ、雪紀センパイってお呼びしていいですか、どうもお久しぶりです。天音センパイも…相変わらずおきれいで。」 「お久しぶり。相変わらず如才ないですね、隼人君は。」 天音が苦笑して応じている。人嫌いの天音にしては珍しい態度だった。 「天音、紹介してぇな。直哉の弟の…?」 「ええ、もちろん。隼人君、これは慎吾。私の大事なパートナーです。慎吾、こちらは隼人君。直哉にぞっこんな弟君ですよ。」 「ぞっこん…?」 変な紹介に、思わず饒舌な慎吾が言葉を呑んでいると、隼人が大きく室内を見回した。 「兄ちゃん、どのチビが祥ってやつ?」 「「どのチビ!?」」 咲良と瑞樹が憤慨したように声を揃える。隼人はきつい目つきを隠そうともせず、鼻先で笑った。 「チビをチビって言って悪いかよ。悔しかったら背丈伸ばしてみな。まあいいや、あんたら制服着てるんだから、兄ちゃんたちの後輩だろ。この部屋、灰皿もないじゃんか。兄ちゃんも雪紀さんも吸うのに、テイノーな奴。後輩失格。」 「うわ、きっついなあ、プチ直哉は…。」 「あの子は気に入った人でないと、決して懐いてきません。慎吾も早く懐かれるようにしたほうがいいですよ。」 祥太郎は、嘆息しながらあたりを見ていた。 天音と慎吾はひそひそと言葉を交わしているし、咲良と瑞樹は憤慨を抑えきれずキーキーと何かわめいている。だが、当の隼人にはまったく通じない。 そんな3人を直哉が苦りきった顔で見つめていて、雪紀一人が楽しそうな顔だ。 「え…と、隼人君? ここは学校だし、君達はまだ喫煙するには早いよ。ここには灰皿なんて必要ないんだ。」 祥太郎は進み出て、隼人の目の前に立った。 隼人は直哉に良く似た少年だった。直哉より少しずつ小さくて、華奢なところもあるが、2年経てば今の直哉より大きな男に育つのかもしれない。 ただ、表情は、直哉とはまったく違う、余裕のなさを感じさせる。 「あんた…誰?」 「こ、こらっ、隼人っ! こちらは顧問の祥…、朝井先生だ。おまえ態度が…!」 「ふうん、あんたが祥か。」 隼人は祥太郎を忌々しげに見下ろすと、ポケットに手を突っ込んだ。 「あんたみたいなチビ、兄ちゃんには不釣合いだ。」 「なに言って…!」 慌てる直哉を尻目に、隼人はポケットに手を突っ込んだ。まだ真新しい制服のそこから出されたのはタバコとライターだ。 唖然とする祥太郎を尻目に、隼人は悠々とタバコに火をつけた。大きく吸い込んで、目の前の祥太郎の顔にふーっと煙を吹き付ける。 突然のことに祥太郎が咳き込むと、隼人は面白そうに笑った。 「いいザマ。」 凍りつく一同を尻目に、隼人は吐き捨てた。祥太郎の目が見る間に釣りあがった。 祥太郎は精一杯伸び上がるといきなり隼人の咥えタバコを毟り取った。細い肩をいからせて、自分よりはるかに大きい隼人を睨みつける。 「いい加減にしなさい! ここは学校だ…と…、あちぃっ! あちゃちゃちゃちゃちゃ…っ!」 だが、祥太郎の言葉は長く続かなかった。興奮して、火のついた隼人のタバコを握り締めたのだ。 勢いづいた祥太郎の叱咤は、情けない悲鳴で尻切れトンボに終わった。 「祥先生! 早く水を!」 直哉が祥太郎を抱えるようにして、生徒会室の小さなキッチンに駆け込んだ。ジャージャーとしばらく水を流す音がした。 やがて戻ってきた二人はなんだか疲れた顔をしていた。 「はうー、手のひらに印がついちゃった…。」 「咲良、保健室に先生をお連れしてくれ。」 「いいよう、舐めとけばなおるよ…。」 「いいえ、先生、行きましょ。」 「あ、俺も…。」 咲良と瑞樹は振り向くと思い切り隼人を睨みつけ、そのまま渋る祥太郎を連れて生徒会室を出て行った。 天音が呆れたようにため息をつき、慎吾は目を丸くしっぱなしだ。そんな中で雪紀だけが余裕の表情で成り行きを見守っていた。 直哉はつかつかと隼人の前に足を運んだ。邪魔者を追っ払った隼人は、すっかり忠実なドーベルマンの目に戻っている。直哉は無言で手を上げた。 ゴッ! 「あいた〜!」 殴られた隼人でなく、慎吾が痛そうに頭を抱えた。そのくらい、直哉の形相と拳固の勢いは凄かった。 「兄ちゃん…。」 「いいかげんにしろよ、隼人。いつまでもガキのつもりでわがまま言ってるんじゃないぞ。」 隼人は小突かれた頭を撫でながら直哉を見上げた。みるみる不満そうに唇が尖っていく。 「だって、あんな貧弱なチビ、兄ちゃんには似合わない。どうせなら、雪紀さんみたいなかっこいい人か、天音さんみたいな綺麗な人を選びなよ。兄ちゃんならいくらだって選べるだろう。俺、兄ちゃんの傍に居るのがあんな奴なんてヤなんだよ!」 「うるさい!」 直哉の一括に、思わずその場にいた全員が首を竦めた。そのくらい、直哉の声には鬼気迫るものがあった。 「いいか、もし祥先生にこれ以上手を出してみろ。今度は拳固じゃすまない。弟だって俺は容赦しないからな!」 「兄ちゃん…。」 直哉は言うだけ言うと、踵を返した。保健室に連れて行かせた祥太郎のことが気になって仕方なかったのかもしれない。 だが、取り残された隼人は不満顔だった。今まで独占してきた大好きな兄ちゃんが、自分よりあの痩せたチビを取るというのだ。 もともと視野の狭い隼人の中で、祥太郎への憎しみにも似た嫉妬心が大きく膨れ上がっていく。 「あいつが…邪魔なんだ…。」 p 隼人は目を吊り上げると親指を噛んだ。子供のころ、ままならないことがあると無意識にしていたくせが再び現れていた。 雪紀は小さくため息をつくと、「いわんこっちゃない」と呟いた。直哉の子供じみた弟は、今までも数々のトラブルを巻き起こしてきたのだ。 だが、彼の顔はどことなく、楽しそうに緩んでいるのだった。 |