祥先生と旅行 1




 

「はぁ〜。潮臭いね〜。」

電車から降り立った祥先生は、思い切り伸びをすると深呼吸をした。寒さで赤く染まった頬を光らせて、俺を振り向くとにっこり笑う。

「直哉くん、海が見えるよ。あとで行ってみようね。」
「…それより先に、この荷物をなんとかしませんか。」

俺は真ん丸く膨れた荷物を両手に提げて立っている。どうして高々国内2泊の旅行にこんな大荷物が必要なんだろうか。祥先生は、やっぱりなにからなにまでどん臭い。

「あっ、ごめん、僕の荷物!」
「駅に着いたからって、鞄も持たずに飛び出さないでくださいよ。びっくりするじゃありませんか。」

祥先生のあどけない笑顔に見とれていたなんてとても言えなくて、俺はぶっきらぼうに言い放つ。
祥先生は俺の側に走りよって、俺が持っている自分の鞄の持ち手を掴んだ。自然に薄い体が俺の腕に擦り寄る。

「だって、直哉くんしっかりしてるから、つい頼っちゃうんだ。」

目の前で溢れるまぶしい笑顔に、俺は抵抗するすべを持たない。

思えば、祥先生と初めて会ってからはや8ヶ月。手の早いことでは雪紀にも決して引けを取らないこの俺が、なぜか手をつかねていた祥先生と、初めてのお泊りデートだ。俺はいやがうえにも緊張している。
長かった。本当に今まで長かった。俺は恋愛には淡白な方だと信じていた。どんな相手でも、すぐに簡単に落とせてすぐ別れられる。それが自分の美徳だ思っていた。
だが、祥先生に会って世界観が変わった。俺は淡白なのではなくて、理想の相手にめぐり合えていなかったのだ。
理想の相手が…このどんくさい祥先生だと言うのが、我ながらなにか腑に落ちなくはあるのだが。

俺は有無を言わさず、祥先生に自分の小さな荷物を押し付けた。
何しろ先生が自分の荷物を抱えると大きなやじろべえみたいな情けない格好になるのだ。たいして重くない荷物だが、先生より上背もウエイトも上回る自分が持ったほうがはるかに効率がいい。
先生は申し訳なさそうにちょっと首を竦めたが、すぐに元気な顔に戻った。
俺が苛立ったそぶりを見せてもびくびくせず、俺の主張することを素直に受け入れるようになるまで、本当に沢山の辛抱が要った。
今の俺と先生の関係はとても微妙だ。友達以上恋人未満とは、まさしくこんな宙ぶらりんな関係を言うのだろう。
俺は今回の旅行で、この距離を一気に縮めたい。

「それじゃ、行こうか。まず、バスに乗るんだって。」

祥先生は張り切って大またで歩き出した。俺は簡単に追いついて、先生と肩を並べた。


  熱海駅からバスで15分。熱海港からさらにロープウェイで10分、旅行コースの目玉である熱海秘宝館へついた。
秘宝館というのは、日本各地にある。その中でも特に充実していると噂に高いのが、この熱海秘宝館だ。だが、祥先生はその存在さえ知らないらしい。
いきなり先生の目を釘付けにしたのは、入り口の前に鎮座している人魚の像だ。
アンデルセンの人魚みたいに清楚な感じではない。何しろこの人魚は膝まで人間であるのだ。
要するに、人間の女性なら誰でも持っている肝心なところが小さな貝がらで隠されているだけの、至極妖艶な人魚である。祥先生の大きな目が、さらに真丸く見開かれた。

「な…なんか色っぽい人魚だね〜。」

唖然とする先生。俺は先生がその人魚に気を取られて、余計な注意書きに気付かないうちにとっととチケットを切った。さっき祥先生の鞄から零れそうになっていたツアーチケットだ。
入館料は大人1枚1800円。高いような気がするが、それに値する充実度なのだという。

「さあ、入りましょう。」
「う、うん。」

祥先生はまぶしそうな顔をして俺の後についてくる。なにしろ、先生はここがただの、浮世絵博物館だと信じているのだ。
ここは浮世絵でも、春画─昔のエロ本─の展示で名高い。そのほかにもいろいろ盛りだくさんだと聞いている。
入り口を入ってすぐの展示物に、すでに祥先生は息を飲んでいる。そこに展示されているのはさまざまな性具、それも一筋縄じゃ行かないものばかりだ。
江戸時代の大奥で御用達だったという、レズビアン用の双頭の張り方の前で、祥先生はあんぐりと口をあけた。江戸時代から残っているにしては古さが胡散臭いが、黒く漆を塗られたそのリアルなもののてらりと光る感じが、どうしようもなく露骨な感じだ。

俺はさっきから先生の反応をこっそり伺っている。そう、俺はこんな展示物はどうでもいいのだ。
使いも出来ないものを見せ付けられたところで面白くない。こんなものは雪紀の部屋に行けばいくらでも手に取れる。それより、興味深いのは先生の反応だ。
いくら外見が中学生並だといっても、先生はちゃんとした成人男子なのだ。これらを知らないわけがないだろう。

目のやり場に困った先生は、きょろきょろすると不意に歩く方向を変えた。展示してある浮世絵に気付いたのだ。
先生はこの浮世絵をとても期待していたから、安心しきっているのだろう。だが、少し手前で急停止し、思い切りのけぞっている。
題材は四十八手だ。無理もない。

「こ…こここ、これが、浮世絵…。」
「へえ、変わった題材ですね。」
「…つっ、次行こう、次っ!」

先生はあたふたと足を速めた。

次の間には、古びたマリリンモンローの人形があった。先生はようやくそこで肩の力を抜いた。

「は〜、ここは普通みたいだよ。…ん?」

マリリンの前にハンドルがある。「回してください」と但し書きもある。先生はいとも無防備にそのハンドルを手にした。

「回せって。何があるんだろう。…………げ。」

ふわりと風が巻き起こって、マリリンのフレアースカートを舞い上げる。威勢良く開いたスカートの中身は、案の定ノーパンだ。
先生は、ハンドルから手を離すのも忘れて呆然としている。
見渡せば、そこのコーナーには自転車を模した機械だの、モグラたたきならぬ●●たたきのゲームだのもある。どうせどれもその手のものだ。

「こっ、こっ、ここもパスっ! 次っ!」

次に行ってもどうせ似たり寄ったりなのに…。俺は笑いをかみ殺しながらおとなしく従った。

次は映画コーナーだった。ちょうど上映の切り替えで、席も沢山空いている。
先生は顔を火照らせながらずいずいとそのコーナーに踏み込んだ。パニックになっていて、冷静に考えれば当然避けるべきところなのに、考えがまわらないらしい。
俺は慎重にその隣に腰を降ろした。映画館とは呼びようもない小さなスクリーンだが、真正面のまん前だ。なかなかいい席だろう。

「祥先生、大丈夫ですか、顔真っ赤ですよ。」
「だ、だーいじょーぶ、これくらい、僕もう大人なんだからっ!」

とても大人とは思えない発言だが、本人は大真面目である。
俺はふうふうと息も荒くなってしまっている先生の横顔を伺いつつ、画面を見た。
映画の題名は、「浦島太郎」。これまた胡散臭い。
しかし祥先生は明らかにほっとしている。馴染み深い題名に、内容へのシミュレートが着々と進んでいるのだろう。
だが、ここは熱海秘宝館。そう先生の思い通りには行かないのだ。

しょっぱな、子供が亀をいじめるシーン、いきなり全裸の女性二人の登場だ。
亀は、そのものずばりの意味の亀であり、女性のいじめ方も、もちろん雪紀の好きそうな虐めかただ。
浦島太郎が登場すると、いきなり彼は女性ふたりのお相手。汗まで流してもくもくと励んでいる。
隣に座った祥先生の背中がびしりと固まった。肘掛にかかった腕が、変な風に緊張している。そんな祥先生の状態なんかもちろんシカトで、画面はどんどん進む。
竜宮城のシーンは分かりきったようなハーレムシーン。こうまでこれでもかと見せ付けられると、返って性欲は減退するかもしれない。
だが、先生は素直に拒絶反応を示している。

「あ──────っ!」

突然祥先生が素っ頓狂な声を上げた。あたりからは、「しーっ!」と、祥先生をたしなめる声が聞こえる。

「な…直哉くん、君…、緑ちゃんとタメだよね。まだ17歳だよね…。」
「はい。」

やっと気付いたか。ここは成人用の娯楽施設なのだ。
祥先生は大きくのけぞると、いきなり抱きついてきた。本人的にはタックルのつもりなのかもしれない。だが、華奢な先生に体当たりされたって、こっちはびくともしない。

「見ちゃダメッ! これは大人用!」
「………はいはい。」

いまさら何を言うんだろう。もう殆ど全部見てしまったのに。でも、ふわりと軽い先生の手触りはなんとも嬉しくて、俺に役得の言葉を思わせる。
しょうもない浦島太郎はクライマックスを迎えていて、それでも熱心に鑑賞しているフリークもいるらしく、あたりからは顰蹙の声が上がっている。
俺はくっついて離れない先生を片腕で支えると、引きずるようにして出口へ向かった。


「こんなところとは思わなかったよ〜…。」

祥先生は疲れた顔をしてへたり込んでいる。出口の前に小さな売店があって、その前のベンチだ。
先生をだまし討ちみたいにした俺は、ちょっと申し訳なくなった。

「先生、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫は大丈夫なんだけど…ごめんね〜。ちっともゆっくり出来なかったよね〜。」

意外な言葉で、俺はちょっとびっくりする。先生はここにきたことを後悔しているわけではなさそうだ。

「瓜生なんかは、僕がいつまでもこういうのに慣れないの、おかしいって言うんだ。だけど、…恥ずかしくて身がもたないんだよ〜。直哉くんぐらいの年の子は、きっともっとゆっくり見ていたかったよね…、ごめんね…。」
「いや、別に、俺もたいして興味ないし…。」

こんなのとっくに見たことありますなんて言えない雰囲気だ。

「せめて事前にこういうところだって知識があれは、もっと気合入れて臨んだんだけど…いきなりはちょっと…。」

最後の最後まで内緒にしていた俺の作戦は、裏目に出たらしい。だが、あれはあれで祥先生がたいそう可愛かったから、俺は構わないのだ。
ただ一つ難点は、祥先生をこんなにがっかりさせてしまったということだろうか。

先生は、ふと立ち上がると、ふらふらと売店の方へ行った。またそこでしばらく固まっていたが、やがて何か買って戻ってくる。

「これ、お詫び。なんか変なものばっかりで…、チョコレートくらいしかまともなものが売ってなかったんだけど…。」
「はあ…。」

チョコレートだって、まともなものが売っているわけはない。俺はそう直感して、あえて包装を開けずに様子を伺った。
祥先生はここでも何の疑いもなく、包装を破る。

「疲れちゃったから、甘いものが美味しいよね〜。」

俺は思わず鼻血を吹きそうになった。
祥先生が咥えているのは、黒々とたくましい、巨根の形のチョコレートだった。





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