三蔵は苛立つ自分自身を持て余していた。どうしても沸き上がる凶暴な気分を押さえ切れない。 腕の中には悟空が縮こまって、鳴咽をかみ殺している。悟空はどうやら、手足の痺れを伴う媚薬をたっぷりと盛られたらしい。堅い天幕が肌を擦るだけで、切ない喘ぎを上げるのだ。 ずっと耳元でそんな声を上げられていて、なんだか三蔵のほうまで切羽詰まった感覚に苛まれ始めた。悟空を抱き上げる腕に、必要以上に力がこもってしまう。 「痛…、三蔵、爪が痛いよう…。」 首筋に悟空の熱い吐息が掛かる。強ばった指にもどかしげに胸を引っかかれると、そこがずきんと響く。三蔵は荒々しく舌を打ち鳴らした。 「黙ってろ、バカザル。」 大きな山門がなかなか開かないのに苛立ち、思わずその辺りを蹴り付けると、門番の寺男が驚いた顔をした。三蔵の腕の中の悟空と、三蔵の顔を等分に見比べる。 三蔵はその寺男をきつく睨み付け、寺の中に足を踏み入れた。すれ違う僧たちが皆頓狂な顔で三蔵を見送る。三蔵が不機嫌なことが多いのは周知の事実だが、その感情をこんなに剥き出しにしているのは珍しいからだ。 三蔵はそんな僧たちにいちいち威嚇の視線を飛ばすと、自分の部屋のドアを蹴開けた。悟空で両手がふさがっていると言う理由ばかりではない。遠くからなんだか嬉しそうに連雀が走ってくるのが目に入ったからだ。 ドアを開け放したたままで、悟空をベッドの上に放り出すと、追いすがってきた連雀が、敷居の前で立ちすくんでいる。青ざめたその顔がなんだか無性に腹立たしくて、三蔵は連雀の鼻先でドアを勢いよく閉めた。連雀の顔が歪んでいくのが、ドア越しにちらりと見えた。 悟空は相変わらず背を丸め、両手を股の間に挟み込んですすり上げている。三蔵が近付くと、すがり付くような目をした。 「さんぞ…、トイレ…、もう漏れちゃうよう…。」 馬鹿か。三蔵は悪態を吐いた。悟空のその姿は、通常の排泄を我慢しているそれではない。男と生まれたからには誰でも知っている、欲望にはちきれんばかりになっている状態だ。 だが、悟空の眼は相変わらず邪気がなく、うろたえたり恥ずかしがっている様子もない。もしかして、精通もまだなのか? 三蔵は面映ゆいようないらいらするような、不思議な感情を持て余していた。 ] とにかくそのままにしては置けなくて、三蔵は乱暴に悟空に巻き付けていた天幕を剥いだ。 「…あっ。」 しっかり巻き込んだ天幕が、どこか体の鋭敏な部分にでも触れたのか、悟空は小さく喘いだ。ぶるっと体を震わせかける。三蔵はとっさに動いていた。 目の前で悟空が小さく息を呑む。三蔵は悟空の股間に手を伸ばし、その欲望を直に塞き止めていた。 悟空は驚いてのけぞったのだろうか。ぺたんと尻を落とし膝を立てた姿で、両手を後ろに付いて体を支えている。まるで三蔵を迎え入れるために、体を開いているような格好だ。三蔵はごくんとつばを飲んだ。悟空の滑らかな裸体が目の前にある。 「なに握っちゃってんだよ…三蔵。」 上ずった声で悟空が言う。言う間にも、喉がひくひく震えて涙が零れ、頬に朱が上る。三蔵は目の前がくらりと回るのを感じた。 雛を慈しんでいるつもりだったのに、いつのまにか雄の目で悟空を見ていたことに気付く。 「…どうにかしてくれって言ったのは、お前だろう。」 声がかすれている。三蔵は脅し付けるように強く悟空を睨んだ。 「どうにかしてやる。…楽にしてやるよ。」 「えっ、やっ…やっ…、あっ…。」 握り締めた手を軽く2〜3回上下しただけで、悟空の腰が砕けた。どんな強力な薬を盛られたものか、悟空の可愛らしいものはほんの一瞬潮垂れただけでまたすぐに頭をもたげる。三蔵は熱い粘液を掌に受けて恍惚としていた。 悟空のおそらく初めての欲望を、この手で絞り取ってやったのだ。悟空の香りがするその液体が腕のほうに垂れてしまうのがもったいなくて、思わずべろりと嘗め上げる。悟空がひくっと顔を引き攣らせた。 「三蔵、だめだよ。…汚いよ、そんなの舐めたら…。」 「ああ?」 三蔵は自分の腕をゆっくりと舐め上げながら、悟空を斜に見下ろした。悟空は絶え間ない媚薬の効果にまた苛まれながら、三蔵の目を懇願するように見上げた。 「俺の漏らしたものなんか舐めるなよ。…三蔵は立派なお坊さんなんだから…。汚れちゃうじゃないか…。」 呟くように言うと、悟空は三蔵から目を反らす。誰かに言われたことに過敏になって、三蔵の目を間近で見ることもできなくなっている悟空に、三蔵は苛立ちを抑えられない。彼は悟空の放ったもので白く汚れた手を悟空の鼻先に突き出した。 「舐めろ。」 「…え…?」 「俺が汚れるのが嫌なら、お前が舐めろ。」 腕を揺すって見せると、悟空はおずおずと三蔵の腕に両手を伸ばした。三蔵の顔色を窺うように上目遣いで見上げ、それからそっと口を寄せる。 腕の内側の柔らかい肉の感触を確かめるように、唇だけでやさしく噛み付かれて、三蔵の背中を、ぞくぞくと快感の波が駆け上っていく。 「はあ…っ。」 悟空が軽く息を弾ませる。暖かく濡れた舌が、三蔵の掌を這って、指の股の間にぬるりと滑り込む。 もどかしい感触。悟空が蕩けるような目をして、跪いてうめく。薬の作用で体が動きにくいだけなのかもしれない。だが、なにかをねだるような緩慢な仕種が、どうしても三蔵を猛らせる。 再び勃ち上がった悟空の先端が、切なげに滴を滴らせているのを見て、三蔵は堪らずに悟空を引き寄せた。悟空に舐めさせていないもう一方の手が、ごく自然に悟空の股間へと伸びる。 「あん…っ。」 あまやかな声を上げて、悟空が縋ってくる。滑らかな背中が反った。唇が小さく動いて、何か抗議の言葉を告げた気がする。二回目は最初のときより少し長く保った。 「う…うっ。」 鳴咽に似た小さな声を漏らし、悟空は三蔵の懐からいやいやの仕種をしながら離れた。立てたままの膝を擦りあわせ、小さな体をますます小さく窄める。 三蔵には悟空が恥じらっているように見えた。悟空の甘い香りが掌に残っている。指先でそれを弄びながら、三蔵は楽しんでいた。 悟空にもっと可愛い顔をさせるには、どうしたらいいだろう。 「…ごめんなさい。」 不埒な想像に走っていたから、悟空の消え入りそうな声を、三蔵は危うく聞き逃す所だった。 謝られるとは思ってもいなくて、三蔵は思わず不機嫌に聞き返していた。悟空はますます俯いた。 「…やっぱり俺、迷惑かけちゃってる。連雀が言う通り、俺は三蔵の側にいないほうがいいんだ。」 連雀。こんな場所で他人の名前を呼ばれるなんて。三蔵はカッと頭に血が上るのを感じた。 だが、悟空の次の言葉は、三蔵を更に動転させた。 「俺、ちゃんと身の振り方って言うの、考えるから。三蔵の邪魔にならないように、今すぐ出てくから。今は動けないけど…すぐに。」 丸みを帯びた子供子供した頬には、まだ涙が光っている。だがその目は一人前の男の目だ。決意を帯びた男の目。三蔵は愕然とした。 まだおとなしく、掌で与えられたえさをついばむばかりだと思っていた雛が、急に若鳥になってしまった。いや、本当は三蔵にはちゃんと分かっていたのだ。 この雛は、柔らかいながらももう立派な風きり羽根も生えそろって、手の中ではばたきの真似事をしていることに。もういつでも飛びたてるように、手の縁にその弱々しい足を踏み出していることに。 飛び立っていくのだ。それが自然なのだ。三蔵は悟空の主張が正しいことを知っている。 氷が溶けるように、花が散るように、それは止めることができないことなのだ。飛び立った先に何が待ち受けていようとも、それが悟空の世界だ。だが。 「………許さない。」 心の底から絞り出したような低い声に、悟空がびくんと竦むのが分かった。 乱暴に肩を掴んで、そのままベッドに突き倒す。悟空は黄金の瞳を真ん丸く見開き、見せた事のない顔で三蔵を見上げた。 三蔵の胸が荒々しく上下する。慈しんできた可愛い雛。こんなにあっけなく手放せない。 「許さない。おまえは俺の手の中にいればいい。勝手に飛び立ってしまうなど…許さない。」 壊れたオルゴールのように、同じ言葉ばかりが口を付いて出る。 悟空の喉元に、赤黒い痣がついている。あの大男に締め上げられてできた痣だ。悟空に何の咎もないことは、三蔵にもよく分かっている。だが、それはますます三蔵を苛立たせる。 悟空に印をつけていいのは自分だけだ。三蔵は悟空の喉元に顔を伏せ、思い切り痣に歯を立てた。悟空の細い鎖骨に歯がガツンと当たって、悟空が小さく悲鳴を上げる。 「さん…ぞ…、何…?」 力のこもらない手が、三蔵の顔を遮ろうともがく。三蔵は噛み締めた歯を緩めた。唇に血の味がする。思わず舐めまわしてしまう。悟空のものなら何でも愛しい。 三蔵はゆっくり顔を上げると、奥歯を噛み締めた。悟空の顔が目に入ったからだ。 悟空は薄く唇を開いて喘いでいた。薬の作用のためだろう。幼い顔はほんのり上気していて、瞳が潤んでいる。だが、その三蔵を見つめる瞳の奥に映るのは、紛れもない怯えだ。悟空は小さく体を震わせすらして、三蔵を恐れている。 「さんぞ…、放してよ、肩が痛いよ。」 悟空のか細い言葉の後半は、三蔵の耳には届かなかった。悟空の瞳の怯えの色が、三蔵の胸を締め付けていた。 悟空だけは、三蔵を見てもむやみに怖れないはずだった。三蔵の冠を通さずに彼自身を見てくれるのは、悟空だけの筈だった。それが三蔵を怯えた目で見て放してくれと哀願する。 三蔵の中で何かがブツリと音を立てた。 「お前は俺のものだ。」 「三蔵…?」 「勝手に飛んでいくな。どうしても行くなら…翼を折ってやる。」 「三…っ、んん…っ。」 噛み付くように唇を奪ったから、前歯が硬い音を立ててぶつかった。 柔らかい口の中を貪ってやろうと舌を突っ込むと、顔を振って逃れようとする。 顎を捕まえた。指で奥歯をこじ開けるようにして口を開かせる。求める悟空の舌が逃げ惑うので、顔の角度を何度も変え、溺れるほどに唾液を送り込み、ようやく目的のものを絡め取る。 きつく吸い上げると、組み敷いた悟空の小さな体がビクビクと震える。唇の触れ合った隙間から、悟空が飲み下しきれなかった唾液が溢れて、悟空ばかりでなく三蔵の顔も濡らす。 「…んあ…っ、あ…っ。」 呼吸のために僅かに顔をそらした隙に逃げ出した悟空は、荒い息をつくと、弱い力で三蔵を押しやろうとした。 薬はまだ十分に効いていて、悟空は力も動きも鈍い。三蔵は抵抗する悟空の腕を難なく取った。 簡単に掴みきれる細い腕。二本を纏め上げても片手で十分に押さえ込める悟空の体の幼さに、三蔵の胸が痛む。 薬のせいで動きもままならない小さな体を、力ずくで押え込んでいる。だがもう火が点いてしまった。途中で止めることはできない。 悟空の両手をそのまま頭上に縫い付けると、三蔵は片手で帯を解いた。 ばらりと着物の前がはだけると、悟空が頬を引きつらせる。構わずに肌を合わせた。体温が高く、すべらかな子供の肌は、三蔵の胸に吸い付いてくるようだ。 「やっ…だ、さんぞ…、重…、あっ…。」 弱々しくもがく足の間に、三蔵は自分の足をこじ入れ、悟空の物を握り締めた。 ぎゅっと握ると、一瞬悟空の体が跳ね上がる。そうして十分に脅し付けておいて、今度はゆっくりと指を這わせる。 手の中で硬度と勢いを増していく物を、可愛がるように、いじめるように、ゆっくりゆっくりと撫でさする。たちまち手の平がしっとりと濡れてきた。 「やだあ、三蔵、やめてよ…っ。もう…っ。」 腕の中で悟空がさえずっている。三蔵は悟空の胸に舌を這わせた。 全身を薄桃色に染め上げた悟空は、早く嘗め尽くさないと溶け落ちてしまいそうだ。 柔らかそうな脇の下も、淡いピンクの乳首も、何もかもが美味しそうに見えて、三蔵は貪欲に悟空を味わっていた。 「あ、あ、…や…っ。」 乳首を音を立てて吸い、ついでに舌で転がすと、悟空の抵抗が強くなった。 背中を反り返らせて膝を立てる。わずかに三蔵の体が浮いた。 三蔵はとっさに悟空の腕をさらに力一杯押さえつけ、嘗めていた辺りに歯を立てた。カリッと音がして、悟空が悲鳴を上げる。 「ひあ…っ、痛い…っ。」 「おとなしくしてろ。」 声にどすを利かせる。 「してねえと…乳首噛み千切っちまうぞ。」 「や…だ…。三蔵…。なんで…っ?」 悟空の大きな眼から、涙が零れ落ちた。とたんに三蔵の頭の中に悟空の声が響き渡る。 三蔵の名前しか呼ばないその声は、疑問と悲しみに満ちている。 頬が触れ合うほど近くにいるのに、直接疑問を投げかけることもできないのだろうか。そんなに悟空は脅えているのか。三蔵は怒りを覚えた。 悟空にではない。悟空を脅えさせる自分にだ。 悟空の腕を押さえつけていた手を放し、代わりに悟空の背がしなるほどに抱きすくめた。 抱きしめると腕が余る。こんな幼い体を、自分はどうしようとしているのだろう。 きつく抱きしめすぎて、悟空の肺から空気が変な音を立てて漏れる。 苦しいのだろう。悟空が三蔵の背中を打った。だが抱きしめる手を緩める気はない。 片手の拘束だけを緩め、そのあいた手で強引に体を開かせる。悟空がなにかを言いながら首を振っている。 一切耳を傾けずに手を奥まで差し入れる。目的の場所はすぐに探り当てられる。柔らかく慎ましいすぼまり。中指を突っ込むと、悟空がビクンと反り返った。 「痛い! やだあっ、三蔵っ、…痛いっ!」 三蔵の腕の中で悟空が震える。三蔵も眉間に深く皺を寄せていた。 指が締め付けられて痛い。だがそれは悟空の痛みの比ではないだろう。 むりやり埋め込んだ指をうごめかし、数を増やす。こんなにきつくては先っぽだけでも入るまい。何がなんでも寛げなければ。 三蔵は悟空を征服すると決めたのだ。悟空が自分のもとから飛び立っていけないように。 手の中の小鳥は、いつでも簡単に握り潰せるから愛しいのだ。 散ってしまった羽根を見て、その後自分が倍悲しくなることが分かっていても。 「やめて、三蔵、…三蔵…っ。」 悟空の声が弱々しくなっていく。三蔵は悟空を抱きしめる手を緩めた。 つかの間開放された悟空が、三蔵の腕の下で身もがいてうつ伏せになった。カメみたいなのろい動きで這う。四肢の麻痺した今の悟空には、これでも精一杯の動きなのだろう。 三蔵は自分の手を見下ろした。悟空を苛んでいた手には、血がべったりと付いている。何の準備もなしに柔らかい肉を抉られて、悟空は酷く傷ついているのだ。そこが痛んで動けないに違いない。 だが、それでもまだ、悟空は三蔵から逃れようとしている。 「悟空。」 背後から抱きすくめると、悟空が息を呑んだ。体重をかけると、簡単に潰れた。 「ひっ…、やっ…、さんぞ…っ。」 鳴咽交じりの声だ。足をこじ開ける。体をその間に割り込ませる。 たった1回だけ、優しいキスを頬に贈る。 そうしておいて、いきなり貫いた。 「………うああああああぁぁぁぁっ!」 痛みを噛み締めるかのようなわずかの沈黙の後、悟空は絶叫した。 何もない空に救いを求めて手を差し伸べる。震える指が虚空をさまよっても、当然なんの応えもない。 三蔵はその悟空の手を掴んだ。悟空が自分以外の誰にも助けを求めるのは耐えられない。 三蔵は、額に脂汗を浮かべながら悟空の悲鳴を聞いていた。準備の十分でない悟空の体は、陵辱者である三蔵にも酷い苦痛を強いていた。 あまりにも狭すぎて、今にも食い千切られてしまいそうだ。しかし、食い千切られてしまうことで自分の一部が悟空に刻み込まれるのなら、それはそれでいい。 この強い執着心を悟空に知らしめることができるなら、三蔵は本望なのだ。 「……痛いよう…、さんぞ…う…。」 悟空がうわごとのように言う。大きく見開かれた瞳には何も映っていない。 三蔵は息を付き、少し体を引いた。体内の異物を動かされる痛みに、また悟空が体を震わせる。 これは楔なのだ。三蔵は心の隅でそう思った。 悟空に俺を刻み付けておくために、楔を打つ。だが。 また体を進める。悟空とつながっている部分がメリメリと音を立てる。悟空の背中が不規則に波打つ。 あまりにもそこをきつく締め付けられて、激しい頭痛まで始まった。 こんなにも強すぎる楔では。 悟空の片足に腕をかける。力ずくで繋がったままの悟空の体を返し、三蔵の正面に顔を向き合わさせる。 悟空が一瞬白目を剥いた。悟空の中のものも引き千切られそうになる。 悟空を壊してしまいそうだ。 また突き上げる。悟空の意識が遠のいたせいか、少し締め付けが緩くなる。激しい出血も三蔵の動きを滑らかにする。 悟空の喉がひゅうひゅう鳴る。 突き上げる。突き上げる。突き上げる。 悟空がどんどん壊れていく。 「悟空…悟空。」 呼びかける。抱きしめる。ひくひくとのたうつ華奢な体を愛撫する。 本当にこのまま一つになれてしまえたらと願う。それでも三蔵は、悟空を傷つけるのを止められない。 こんなに強すぎる楔では、きっと土台ごと壊してしまうに違いないのに。 悟空の胸に顔を押し付けると、悟空がぴくりと震えた。 小さな体にすがり付いて、三蔵はひたすら悟空の名前を呼んだ。 「悟空…。」 「さ…んぞ…。」 悟空の腕が震えながら上がって、三蔵の頬を掠めた。 三蔵は悟空の細い背中を抱きしめた。 自分は一体何をしているのだろう。こんなに愛しい小鳥なのに。 三蔵は悟空の髪に鼻を埋め、悟空の汗と血の匂いを嗅いでいた。 窓の外が白んできた。 鐘を撞く当番の僧だろうか。朝一番の足音が部屋の外を小走りで駆けていく。 こんなに音が響くとは知らなかった。きっと夕べの悟空の悲鳴も自分の怒号も、外には筒抜けだっただろう。 構やしない。三蔵は投げやりな気持ちでタバコを噛んだ。 悟空が正真正銘三蔵の稚児になったことを知れば、悟空への風向きが変わるだろう。それも悟空がこんな酷いことをする三蔵に愛想を尽かさないでいてくれればの話だが。 三蔵は静かに悟空を見下ろした。酷い顔色をしている。そのくせ頬だけは不自然に赤い。 酷い出血だった。当分は身動きもままならないに違いない。そんな酷い傷を放置してしまったから、発熱しているのだろう。呼吸も不規則で荒い。 手当てをしてやらなければと思いつつ、三蔵はどうしても誰かを呼ぶ気にはならなかった。手当てをしてやって、そうして悟空が回復したなら、たちまち三蔵から離れていってしまいそうに思えるのだ。 いっそ窓も戸も塗りつぶした部屋に悟空を閉じ込めてしまおうか。そうでもしないと、悟空を手元に止め置くことはできないだろう。 だが、空のない部屋では、小鳥は弱って死んでしまうかもしれない。 三蔵はのろのろと上半身を起こした。裸の肩がすっかり冷えている。 結局夕べはまんじりともしないで一晩を過ごしてしまった。途中で意識を手放した悟空の、不規則な呼吸が途絶えることのないように、はらはらしながら聞き耳を立てていた。うつ伏せに倒れ付したまま、寝返りさえ打たない悟空の姿だけをずっと見詰めていた。 どうしようもなく胸が痛んで、これからどう悟空に接していけばいいのか、そればかりをずっと考えていた。 雨戸を開け放したままの窓から、朝日が射し込んでくる。部屋の中に影が伸び、それがなんだか物悲しくて、三蔵は深いため息を付いた。 「さんぞ…。」 囁くような声がした。三蔵は弾かれたように振り返った。 黄金の潤んだ瞳が、三蔵を見上げている。いかにもだるそうに半眼に開かれた目は、それでも透き通って見えた。 三蔵の身動ぎにベッドのスプリングが軋み、悟空の体を僅かに揺らす。悟空は一瞬呼吸を止め、顔を歪めた。シーツを握った指先に力がこもる。 「…痛むのか。」 三蔵はこんなぶっきらぼうな言葉しか掛けられない自分に苛立ちながら聞いた。 悟空を胸にそっと抱いて、痛みを癒してやりたい。あるいは、両手を付いて、昨日の暴力を謝ってしまいたい。 だがそのどちらもできない。悟空にもそれは分かっているはずだ。 「三蔵…。」 悟空はそんな三蔵に怒る様子も見せずに、そろそろと腕を伸ばした。シーツの上で体を支えていた三蔵の手の上に、自分の掌を乗せる。 熱くてじっとりと汗ばんだ手は、悟空の体調を雄弁に物語っている。三蔵はその小さな手を見下ろした。胸が痛む。 「…大丈夫だから、俺…。」 かすれて聞き取り辛い声で、悟空は囁いた。三蔵はぼんやりと視線を悟空の顔へ向けた。 当然浴びせられると思っていた怒りや恐怖の声が聞こえないのが不思議だった。 「夕べはびっくりしちゃって…、何でそんなに三蔵が怒っているのか分からなくて不安だったけど、…俺、大丈夫だから、そんな顔するなよ…。」 「…怒ってないのか? 俺を…。」 ちっとも大丈夫ではなさそうな切れ切れの声に、三蔵は思わず問い返していた。 「俺は…酷いことを…。」 「だって、三蔵、泣くんだもん。」 三蔵の手を捕らえた悟空の掌に、僅かに力がこもった。 「俺のこと、むちゃくちゃにしながら、泣いてるんだもん。心の中で。はっきり聞こえたよ。行かないでくれ、すまん、すまん、って言いながら、俺に必死に抱きついてくるんだもん。だから、俺…。」 悟空は辛そうに一息ついた。 「だから俺、明日目が覚めたら真っ先に、三蔵のこと抱きしめて、大丈夫だよって教えてあげようと思ってたんだ。だけど…、ごめん、今日は俺、体が全然動かないんだ。」 日光を湛えたような黄金の瞳が、ゆっくりと微笑みの形に細くなる。 三蔵は何も答えることができずに黙って悟空の顔を見下ろしていた。不用意に言葉を繋ぐと、無様に泣き出してしまいそうだった。 「それに、三蔵、忘れてる…。」 悟空は少し頭を持ち上げた。だがその努力も長くは続かずに、すぐにシーツに沈み込んでしまう。肩で息をして、それでも悟空は微笑んだ。 「俺は、三蔵のすることは、どんな事でも、許してあげられるんだよ。」 「………バカザルが…。」 やっとそれだけ言葉を振り絞ると、三蔵は悟空の手を掴み返し、それから顔を背けた。 三蔵は一方的に悟空という小鳥を手の中に抱えていると思っていた。 だが、実のところは悟空の羽根の中に包み込まれていたのは三蔵のほうかもしれない。 三蔵は慈しむようにそっと、悟空の手を撫でた。 「それにしてもまあ、何事も納まる所に納まって、何よりでした。」 八戒は、呑気そうにカップに入ったお茶を啜った。今日は八戒の機嫌がいいのだろう。悟浄の家の小さな食卓の上にはたくさんの手料理が並んでいる。 悟空と一緒に呼び出された三蔵の、不満気な顔を綺麗に無視して、八戒はにっこりと悟空に微笑んだ。 「悟空、体調を崩したそうですが、もうすっかりいいんですか?」 「うん!」 「…まったく心配して馬鹿みたぜ。こいつがおとなしく寝てたのはたった1日だ。ミミズみたいにあっという間に再生しやがって。」 ぶつぶつ言う三蔵が、言葉とは裏腹に死ぬほど心配をしていたのを、八戒も悟浄もちゃんと知っている。 二人ににやりと笑われて、三蔵は居心地悪そうに居住まいを正した。 「悟空の友達たちも、しかるべき場所に働きにいけるようになったし、連雀君たら言う、悪戯小僧の再修業先も決まったようだし。」 「相変らずの置屋暮らしに厄介払いか。それでめでたしめでたしかねえ。」 悟浄の皮肉な言葉に、八戒は少しだけ表情を曇らせる。 「仕方ないでしょう。彼らを親元に帰したところで、食い扶持が増えればまた売りに出されるのが関の山です。一旦はその実績があるんですからね。それだったら、将来ちゃんと年季が明けるお店に行くのが最善の道ですよ。彼らは今までもそうしてきたんですから。 それに連雀君。彼はいわば三蔵の被害者ですよ。」 「なんだそれは。」 三蔵が不機嫌極まりない顔で聞く。八戒は涼しい顔をした。 「三蔵なんていう高位の僧のくせに、そんなに若くて暇そうだったら、僧侶の一人や二人、邪な考えを持つ者がいるに決まってます。 連雀君は悟空の後釜に座りたかったんでしょう? 三蔵が不要な色気を撒き散らすからいけないんです。」 ねえ、悟空。と、八戒は悟空に向かって首を傾けて見せる。悟空は頬張った肉まんで世にも嬉しそうな笑顔を作り、八戒と同じ角度だけ首を傾けて同意の声を上げる。 本当のところ、ご馳走に夢中になっている悟空が、彼らの話をちゃんと聞いていたかどうかは定かでない。 「俺は別に色気なんか振り撒いてねえっ! …ったく。」 三蔵は眉間に皺を寄せて呟くと、憂さ晴らしのように悟空の手から肉まんを奪い取った。今まさに噛み付こうとしていた悟空は、いきなり目的のものを取り上げられて、危うく指を噛みそうになる。 「なにすんだようっ! 返せっ、俺の肉まんっ!」 「…るせえっ! おまえは俺のすることなら何でも許せるんだろうがっ!」 「これは別っ! 返せってばっ!」 ぎゃあぎゃあと喧しく騒ぐ悟空を、八戒はさも面白そうに見つめる。 「やれやれ、楽しそうですねえ。」 「…肉まんって言えばよう。」 悟浄が呆れた顔で切り出す。いつもなら悟空とのささやかな諍いには真っ先に参戦するはずの悟浄がおとなしいので、八戒は少し不審そうな顔をした。 「あの石楠花っていうガキが、お前に礼を言っていたぜ。肉まんうまかったってさ。」 「そうですか。彼の足も、少しでもよくなるといいですねえ。」 「…その足の話なんだが。」 悟浄は八戒の顔をじろりと睨みつけた。 なんだか二人の雲行きが怪しいのを見て、肉まんからいつのまにか、ハゲだのサルだの、さらに低次元な言い合いをしていた三蔵と悟空が静かになる。 「やっぱりあの場は悟空を引き止めるべきだったんだ。あいつらマジでいっちまってたぞ。ガキを薬漬けにして足の筋を切るなんて信じらんねえ。」 「俺、歯も全部折られそうになったよ。」 けろりと言う悟空に、悟浄はぎょっとした顔を向ける。 「癪だから噛み付いてやったら、全部引っこ抜いてやるって、やっとこで挟まれちゃってさあ。ここんとこの歯、ちょっとぐらぐらする。」 いーと犬歯をむき出してみせる悟空の顔を悟浄はしばらく呆然と見詰めていた。やがて、その体が小刻みにぷるぷる震えだす。いきなり八戒に向き直った。 「八戒! 間に合ったからよかったものの、手遅れになったらどうする気だったんだよ、てめえっ! 知らなかったじゃすまされねえぞっ!」 があっと怒鳴る悟浄の大声にも、八戒はすました顔をしてお茶のお代わりを煎れる。それをのんびり啜ってからにっこりと顔を上げた。 「知ってましたよ。あいつらが脱走防止に足の筋を切ることも、必要のない歯を抜いてしまうことも。」 「なんだってえ!」 「だって、あの気の毒な山吹君をお寺に運んだのは、僕なんですよ。もしや息を吹き返さないかと、全身くまなく調べましたからね。いろんなことが分かりました。」 八戒の平然とした顔に、悟浄と三蔵が固まる。悟空はそんな3人の顔を当分に見比べて、この隙にご馳走を詰め込むのに夢中だ。 「だったら…、そんな危険なとこへよう…。」 悟浄の顔が心持ち青くなっている。三蔵も強張った顔で頷いた。 「…僕のこのカフス。」 八戒は自分の耳についている妖力制御装置に手をやった。 「こんな小さなものですが、威力は絶大です。これを外すと爪が伸び、牙が生え、筋肉という筋肉が総て倍にも膨れ上がります。僕でさえそうなんだから、悟空のその大きな金錮だったらなおさらでしょう。歯がなくなったって、筋の1本や2本切られたって、場合によっては手足を引っこ抜かれたって、きっと復活しますよう。」 ねー。と八戒はまた首を傾げた。悟空はなにがなんだか分からない様子で、それでも笑顔で八戒にあわせる。 「…よしんば元に戻らなかったとして…。」 八戒はまたお茶を啜った。 「それで、三蔵の悟空への愛が深まれば、それはそれでハッピーエンドじゃないですか。」 くすりと笑う。悟浄と三蔵の顔から血の気が音を立てて引いた。 「………お前の彼氏、ものすげえ恐くねえか?」 「あああああ、言うなよう…。」 悟浄は頭を抱え込んだ。最初から分かってはいたが、八戒にあってはまったく何もかも適わない。 自分を含めた三蔵も悟空も、八戒の掌の上でころころころころ転がされていただけだったというのか。 「終わり良ければ総てよしですよね、悟空♪」 「うん♪」 笑顔の八戒の後に、天使がラッパを吹きながら飛び回っているのが見える。 悟浄と三蔵は、二人の輝くばかりの笑顔を前に、しばし凍りついて動けなかった。 |