もものお酒




三蔵は、悟空が懐から出したものを見て、唖然とした。

旅先の宿の二人部屋だ。三蔵と同じベッドに座り込んだ悟空は、三蔵の顔色を窺いながら、小さく首を竦めている。もしかして、怒られると思っているのかもしれない。

悟空が取り出したのは、萎んで色の悪い桃が二つ。悟空と三蔵をたぶらかしたあの桃らしい。

「あの…さ。」

悟空はもじもじと膝を擦りあわせ、ためらう様子を見せた。

「あの桃、すっごくうまかったんだ。だから、やっぱり三蔵にも食べてもらいたくて…さ。」

悟空の瞳が期待に潤んでいる。どうやらこの桃の効能を知らないわけでもないらしい。

「一緒に食べて…、その、…どうしても気持ち悪いんならいいけど…。」
「……でかした。」
「え?」
三蔵の唸るような返事に、悟空はびっくりした顔を向ける。三蔵はゆっくりと悟空の顔を見上げ、にやりと笑った。なにか企んでいるような笑顔だ。

「そうか。うまかったよなあ。あの夜は、本当に。」
「う…ん。」

三蔵の指に首筋を撫で上げられて、悟空はくすぐったそうに身を捩った。すぐに目の縁が赤く染まってくる。

悟空は桃の一つを取り上げた。照れくさそうな顔で三蔵を見て、それからその果肉にそっと口を寄せる。産毛に包まれた薄赤い桃に寄せられた唇は、誰かの頬にキスしようとしているようにも見える。

「まあ待てよ。」

三蔵は手を伸ばして、悟空から桃を取り上げた。悟空はぼんやりと高く上げられた桃を目で追い、切なそうな顔になる。

「食っちまえばたったの1回だ。せっかくだから、もうちっとは楽しもうぜ。」
「もうちっと?」
「俺にいい考えがある。」

三蔵は美味しいものを目の前にしたような顔でニヤリと笑った。



あれから3ヶ月経つ。三蔵は法衣の袂から注意深く小型の広口瓶を取り出した。それを悟空と自分の前に置く。
中には薄い琥珀色に染まった液体。底のほうには件の桃が二つ。

「…やっとこの日がきた。」

三蔵は嬉しそうに手を擦りあわせた。きょとんとした顔の悟空を尻目に、慎重に栓を開ける。ふうわりと甘い匂いが漂った。

「何、これ。」
「桃酒だ。」
「モモシュ…?」

悟空の素っ頓狂な顔にも珍しく声を荒げずに、三蔵は深く頷いた。

「ふふふ、この3ヶ月、俺がどんなに苦労をしてきた事か。」

悟空は上機嫌の三蔵に向かって首を傾げる。

「酒はともかく、まず氷砂糖だ。八戒の目を盗んで入手するのがどんなに困難だったか。」

三蔵はぐっと拳を握る。悟空は慌てて真似をした。

「桃が少ないから瓶は小さくて済んだが、これを悟浄に見つからないようにするのがまた一苦労だった。あいつに見つかったら、片端から飲み干されちまうからな。」

悟空は頷いてみせる。ついでに悟浄の顔を思い出し、そりゃそうかもと一人ごちる。

「本当は冷暗所に置いとくべきなんだが、そんなとこありゃしない。ジープを抱き込んでトランクを開けさせたり、懐が不自然に膨らまないように工夫して持ち歩いたり、それはそれは大変だったんだぞ。」
「へ〜え。…うん。」

気のない返事をしかけた悟空は、三蔵に一睨みされ、慌てて同意を唱える。

「果実酒としての熟成はまだ若いが、エキスだけなら十分に出たろ。早いとこ実を引き上げれば、ひょっとしてもう1回ぐらい作れるかもしれないしな。」

舌なめずりをして、三蔵は慎重にその琥珀色の液体をグラスに掬う。ほんの二口分ばかりが、部屋の昼間色の照明に照らされて、黄金色の小波を立てる。

「ほれ。」

悟空は、三蔵に突き出されたグラスを見て、鼻の頭に皺を寄せた。

「えー、俺が飲むのー? これ、酒だろー?」

三蔵は悟空が酔った所を見たことがない。どんな食べ物にも目の色を変える悟空が、なぜか酒だけは興味を示さないからだ。酔っ払わせて、全身桃色に染まった所を見てみたい。三蔵にはそんな下心もあった。

「大丈夫だ。ガキ向けに、氷砂糖たっぷりで作ってある。」
「うーん…。」

悟空はさも嫌そうに三蔵を上目遣いで見上げると、しぶしぶグラスを受け取った。
まず鼻に持っていき、ふんふんと匂いを嗅ぐ。まるで小動物だ。
それから、用心しいしい水面を舌先で嘗める。途端に顔が輝いた。

「甘い! なんだ、酒ってけっこううまいじゃん! 前に悟浄が飲ましてくれた酒は、べろが燃えるかと思うくらい辛かったぜ!」
「だからちゃんとガキ向きに作ってあるって言ってるだろうが。」

上機嫌で答えながら、三蔵はちらりと不快になる。悟浄の奴、悟空に酒を飲ませてなにするつもりだったんだ。

悟空は勢いよくグラスを空けた。たちまち頬がばら色に染まる。
三蔵はしめしめと舌なめずりをし、2杯目を渡した。それも簡単に乾した悟空は、今度は目をとろんとさせる。

「うにゅう〜…。何か気持ちよくなっちゃったあ〜。」

猫めいた仕種で擦り寄ると、悟空はぽすんと三蔵の胸に倒れ掛かる。甘ったれるように顔を上げて、三蔵の顎の裏をぺろりと嘗めた。

―来た来た来た―

三蔵は嬉しそうに手を擦りあわせた。軽く悟空を抱きかかえ、シャツの内側に手を忍び込ませる。へその辺りを撫でただけなのに、悟空の体が柔らかくしなった。

「んう…。なんか熱い…。」

吐息に微かに桃の香りを乗せて、悟空はうめくように囁く。

「熱いんなら脱げよ。手伝ってやっから。」

言いながら、すでに三蔵の手は悟空の服を半ばまで脱がせている。
つるりとした肩がむき出しになると、思った通り悟空の全身が薄桃色に染まっている。いきなり全部脱がせてしまうのが惜しくて、三蔵はそうっと悟空の肩に舌を這わせた。

「ん…んっ、くすぐったい…。」

悟空がくすくす笑う。自分から愛撫をねだるように、三蔵の胸にすりよってくる。

「さんぞ…、あっつい…。」

ふうっと、耳元に熱い息を吹きかけられて、三蔵は思わず悟空の胸をまさぐっていた手を止める。小さく尖った乳首が、可愛らしく指の下でころころ転がる。

「気持ち…いい。もっと…、触って…、いっぱい…。」

悟空の目が一層とろりとしてきた。三蔵の頬に自分の額を擦り付けるようにしている悟空が瞬きをすると、くるんと丸まった睫が柔らかく頬を掻く。

「さんぞ…、大好き…。」

悟空はそう呟くと、くたりと体を弛緩させた。膝がしどけなく開く。

三蔵は胸に悟空を抱き込んだまま、悟空のパンツに手を伸ばした。何の抵抗もなく晒されている体に生唾を飲みながら、ベルトを外す。
悟空の服はパーツが多くて脱がせにくい。やっとのことで素肌に触れる。堅いジーンズに守られたままの下肢に手を這わせ、そっと握り込む。あの夜のような、甘くて敏感な反応を期待する。

だが、悟空はぴくとも動かない。

三蔵は顔を顰めた。慌てて、握り締めた手を忙しく上下させる。

「ふう…ん。」

悟空はわずかに身動ぎすると、寝返りを打った。三蔵の胸を居心地のいいベッドみたいに抱え込んで。

「ね…寝やがった…。」

三蔵は呆然と呟いた。悟空が酒に弱いのはうすうす感づいていたが、まさかこれほどとは思わなかった。

「おいっ! 寝るなっ! これどうしてくれるんだよっ!」

三蔵は元気に存在を主張しているムスコを指差して怒鳴った。だが、爆睡中の悟空にはそんな悲痛な叫びも届かない。

「うーん…、えへへ…。」

どんな夢を見ているものか、薄ら笑いさえ浮かべる悟空を胸に、三蔵はがっくりとうなだれた。



「ちっ、たっぷりきこしめさすつもりだったが、やっぱウォトカは強すぎたか。」

三蔵はほのかに朝日が射す食堂で一人毒づいた。

夕べは結局悟空にベッドを占領され、一睡もできなかった。目の下に隅が浮いている。
あまりにも早朝で、宿屋の主人さえまだ起きてこない。新聞も届かないから、暇つぶしもできない。
三蔵はいらいらと目の前の広口瓶を睨んだ。まだほんの僅かしか減ってない。

「濃すぎるのがまずかったんだ。薄めて飲ませばなんとか…。途中まではいい感じだったんだからな。そうだ、次からは水割りにして飲まそう。」

一人でうんうんと頷く三蔵の頭上が、にわかに騒がしくなる。どたばたと人の掛ける足音がして、三蔵は胡乱に天井を見上げた。

「やかましい宿だな。…こんな朝早くから。」

一人ごちると、いきなり食堂のドアが開け放たれる。油断しきっていた三蔵は、目の前の瓶を隠す暇もない。乱暴にドアを押し開けたのは、珍しく苛立った表情の八戒だった。

「三蔵! 悟空になにをしたんです!」

怒鳴り付けると、八戒は三蔵を睨み付けた。視線が瓶に集まって冷たくなる。三蔵は冷や汗をかきつつ、無様な様子で瓶を背中に隠した。



三蔵は八戒に引っ立てられるようにして自分たちの部屋へ戻った。ドアを開けた途端に、部屋の中の饐えたような匂いに気付く。
悟空がベッドの上で丸まってうめいていた。枕元に新聞紙の敷かれた洗面器が置いてある。
悟空は三蔵を認めると、情けない泣き顔になった。

「さんぞ〜…、あだまいだい〜。」

もつれるように言うなり、うぇ、とえづく。抱え込んだ洗面器には、もう何がしか液体が入っているようだった。三蔵は思わず怒鳴っていた。
「たったあれっぽっちの酒で、二日酔いなんかするな!」
「ひいぃ〜。でっかい声出すなよう、あだまに響くうぅ〜…。」
「酒?」

小さく頭を抱え込んだ悟空より、呟くような八戒の声にはっとする三蔵だったが、すでに遅かった。

「酒ってなんです、三蔵? 悟空に飲ませたんですか?」
「いや、あのな…。」
「これですね。見せて下さい。」

言葉だけは丁寧だが、八戒は有無を言わさぬ強引さで、三蔵の懐から広口瓶を取り上げた。中でたゆたう桃に不審な目を向け、三蔵を睨み付ける。

「ラベルのない所を見ると、自家製ですね。一体いつのまに、こんな物を作ったんですか。」
「いや、この桃はこいつが取ってきたんだ。だから、ちょっとは味見させてやろうと…。」
「…なにをそんなにあたふたしているんです。味見させたからこうなったんでしょう。だったら、もう十分ですよね。」

秘蔵の桃酒をがっちり抱え込んだ八戒に、三蔵は顔色を変えた。

「お、俺はまだ一口も飲んでねえんだ。それに、これは…。
と、とにかく、これは貴重な酒なんだ。返せってば!」
「僕だってねえ、別にあなたに意地悪するつもりはありません。」

八戒は、にっこり笑って瓶を三蔵から遠ざけた。

「だけどねえ、あなたに持たせとくと、二日酔いには迎え酒が一番なんて言って、また悟空に飲ませそうですしねえ。そんな根拠のないことで、朝一番に頭痛がするってたたき起こされて、あげく一張羅に夕べの晩酌の後をぶちまけられるのは、金輪際なしにして欲しいですから。とにかくこれは…。」

八戒は、一旦言葉を切って、三蔵を睨み付けた。

そういえば、八戒はいつもの服を着ていない。

極上の笑顔を浮かべているその八戒の背後に嵐の音を聞いた気がして、三蔵は背中に冷たい汗をかいた。どことなく漂う異臭は、悟空からのみならず、八戒の懐からも来ているようだ。
どうやら悟空は、朝一番の挨拶代わりに八戒の懐に反吐をお見舞いしたらしい。
これではさすがに温厚な八戒もお冠になるだろう。この上更に、八戒の逆鱗に触れるような恐ろしいこと、三蔵にも誰にもできるはずはない。

「没収。」
「ああっ!」

すいっと持ち去られた瓶に、三蔵は情けない声を出して縋った。八戒は、そんな三蔵の鼻先に、指を1本突き付けた。

「悟空の世話は、あなたがして下さい。あなたが飲ませたんですから…。」

八戒は、笑顔のまま部屋を出る。

「…当然ですよね。」

鼻先で、ドアがバタンと閉ざされる。
三蔵はへなへなと床に崩れ落ちた。
「…まったく、どいつもこいつも…。」

八戒は、自分のベッドに腰を下ろすと、珍しく乱暴な言葉を口にした。八つ当たりするような仕種で、瓶の栓を、きゅきゅきゅ、すぽんと引き抜く。三蔵が大事に大事に掬った酒に、躊躇なくグラスを突っ込む。

「久しぶりのベッドなのに、悟浄は飛び出していったきり帰って来やしないし…。」

八戒の不機嫌の真のわけは、実はこの辺りに有りそうだ。
八戒は大きくグラスを煽った。途端に不機嫌に眉を寄せる。

「甘! なんですか、この下品な甘さは。せっかくのいいお酒を、こんなに砂糖漬けにして。」

文句を言いながら、八戒はくいくいとグラスを煽る。八戒の酔った所は、八戒自身さえ見たことがない。だから彼がその酒を口元に運ぶ動作にもまったく淀みがない。三蔵の苦心の成果は、目に見えて減っていった。

「だいたい悟浄は腰が軽すぎます。いくら旧友に誘われたからってのこのこと…。」

グビ。

「賭け麻雀なんて、この僕を放っていくほど楽しいもんですかねえ。」

グビグビ。

「僕がこんなに乾いて、待ち焦がれているって言うのに…。悟浄…。」

グビビ。

「…このお酒って…。」

八戒は初めて手を止めて、半分ほどに減ったその薄い琥珀色の液体をじっくりと眺めた。
かつて感じたこともないような疼きが、体の奥から頭をもたげている。同時にそれは、八戒を酷く切ない気分にもさせていた。
だが、その切なさがどこから来るのか皆目見当もつかず、八戒はただ、僅かに身を震わせていた。

「はあ…。なんだか…。」

八戒は二の腕をさすった。服の上からなのに、触れる指が妙に鋭敏に感じる。これが悟浄の手だったらと考えて、八戒は思わずため息をつく。濡れたその吐息が生々しくて、八戒はほんの少し狼狽する。

「暖めて欲しかったのに…。悟浄のばか…。」

信じられないほど素直な言葉が、するりとすべるように出る。二の腕をさすっていた右手がゆっくり上がって、首筋と鎖骨の上を丁寧にたどる。指が、悟浄がいつもきつく吸い上げるところまで滑っていく。
触るだけでは物足りなくて、切ない吐息が漏れる。なんだか全身を取り巻く音が遠い。自分じゃないものが体の中に潜り込んで、自分の感情を片端から開け放しているようだ。
この手が悟浄の手だったら。
もう一度そう考えて、はしたないと思う。だが、その意思とは裏腹に、すでに体は愛撫を欲している。
少し息が弾んだ。震える手がパンツのジッパーを下ろし、そこに手を忍び込ませる。
悟浄だったら、いつでもこんなふうに触ってくれる。記憶のとおりに自分自身を握りこみ、八戒は体を震わせた。

「悟浄…。早く…。」

愛しい人の名前が、口を突いて出る。我慢し切れなくて、自分のものとは思えない手が、ゆっくりと八戒を慰めだした。



「ただいま。…すっかりスっちゃったぜ…っと。」

悟浄はもう一度口の中で呟き、決心したように胸をそらした。

「ふん。午前様くらい、何だってんだ。どうせこの街に一泊するんだし、浮気したわけじゃなし、…俺の自由時間だしな。そうそう八戒の尻に敷いてられっか。」

偉そうに言ってみるものの、階段を上る足取りは、どう見ても忍び足だ。心持ち背中を丸めた悟浄は、自分と八戒に割り当てられた部屋の前まで来ると、大きなため息をついた。

「…怒ってんだろうなあ、八戒。」

ボソボソ呟いて、扉の前をうろうろする。夕べ、3回目の勝負で馬鹿勝ちしたのがまずかった。あれですっかり調子に乗ってしまったのだ。
結局ついていたのはその1回だけで、トータルでは大赤字になってしまった。負けを取り返そうと躍起になったから、ますます帰るのが遅くなってしまったのだ。
八戒はどんな時でも笑顔を崩さない。だが、笑いながら怒れる人間の怖さは、誰あろう悟浄こそ一番に思い知っている。

「…やだなあ…。」

弱気な言葉を口にして、恐る恐るドアノブを握る。
ふと、隣の三蔵と悟空の部屋から、呪詛めいた声が聞こえてくるのに気付く。
だが、今はそんなことにかかずらわってはいられない。とにかく八戒のご機嫌を取るのが先決だ。

「八戒さ〜ん…、ただいま〜。」

そっとドアを開けて呼んでみる。返事が聞こえないので、思い切って中に入った。

薄っぺらいカーテンを透かして、早朝の淡い陽光が部屋をほの明るく染めている。
ベッドの一つがこんもりと盛り上がってもぞもぞと動いた。どうやら八戒は眠っていたらしい。悟浄はひとまず安堵の息をついた。
端正に座ったままで待っていられるのは、肝が冷える思いがする。眠っていてくれたなら、少しは機嫌も良くなっているはずだ。

「悟浄…。」

だが、身を起こした八戒を見て、悟浄はなんだか不安な気分になった。
八戒の衣服が酷く乱れている。寝乱れているにしても、これは酷すぎる。何と言うか…そうまるで、誰かに襲われでもしたように。

「おい…八戒?」

悟浄は、慌てて駆け寄った。側まで行って、更にぎょっとする。いつも気丈な八戒が、ぼろぼろと涙を落としているのだ。

「ど…どうしたよ、八戒。」

慌てて駆け寄ると、八戒が緩慢な動作で抱き付いてきた。腰の辺りにしがみつかれて、悟浄はやや狼狽する。なんだかいつもと様子が違う。

悟浄はふと、顔を宙に向けた。少し顔を顰めて辺りの空気を嗅ぐ。微かにではあるが、アルコールの匂いがする。

「何だ…? 酔ってんのか? おい、八戒。」

自分の言葉を疑いながら声を掛けてみる。
普段の八戒は、内臓が全部肝臓なんじゃないかと思えるほど、酒には強い。1斗樽を空けても顔色一つ変えないのだ。
枕元にどうやら酒の入った瓶があるようだが、あれっぽっちの酒では酔うはずがない。
しかし、この八戒は一体どうした事だろう。悟浄が首を捻ると、抱き付いたままの八戒が不意にゆるりと動いた。

「一体…、えぇぇっ!」

チーッと微かな音がした。悟浄が慌てて見下ろすと、悟浄のズボンのジッパーのタブを口に咥えた八戒が、すっかりそれを引き降ろした所だった。
顔を密着させているので、八戒の高い鼻が、露にされたばかりの少し膨らんだ下着を擦っていく。
柔らかい肉にそうっと鋭敏な部分を擦られる感覚に思わずぶるりと体を震わせて、それから悟浄は急いで八戒を引き離した。

「じょ、冗談は無しにしようぜ、八戒。」
「冗談じゃ、ない…。」

八戒が顔を上げた。縋り付くような目に、涙がいっぱいに溜まって、溢れては流れる。

「欲しい…。今すぐ。」

言葉も終わらないうちから、八戒の腕がさわさわと動き出し、悟浄のズボンを脱がせにかかる。潜り込んだ手に、直に尻の割れ目をたどられて、悟浄は思わずひいっと情けない声を上げた。

八戒が積極的だったことが、過去にないわけではない。三蔵と悟空とは違って、いつでも二人は対等な立場だったから、誘うことも誘われることも同じくらいあったはずだ。
だが、どんな時でも、八戒の誘いがこんなに直接的だったことはない。なにかがいつもと違う。
悟浄は八戒の手管に次第に高められていきながら、ぴりぴりと緊張を感じていた。なにか危険な匂いがする。今このまま八戒に溺れてしまうのは、非常にマズイ気がする。

「ま、待てよ、俺今帰ってきたとこなんだぜ。一休みさせてくれよ。」

だが、八戒は聞く耳を持たない。強い力でベッドに押し倒されそうになって、悟浄は更に慌てた。

「ちょちょちょ、ちょっと待て、あのな、…そうだ、シャワー浴びてくっから、それから、な。だから…。」

言いかけて悟浄はうっと言葉を飲んだ。八戒が顔を上げて悟浄を見つめている。涙腺が故障したんじゃないかと思えるぐらい、涙は止まらない。
かつてこんなに八戒が可愛らしく見えたことがあっただろうか。やはりこれは尋常な八戒ではない。だが、こんな顔を見せられては、悟浄とて胸に(下半身にも)うずくものがないとは言えない。だがやはり…。

「悟浄、僕の事、きらい?」
「や…。」

返事が不自然な所でぶつりと切れた。
八戒がくすんと鼻を啜る。彼の膝のほうからパリパリと小さな音がしていた。悟浄は恐る恐る、その小さな音の源へと目を走らせた。
八戒の右手はしっかり悟浄の腰を抱きかかえている。だが左手は、悟浄を脅し付けるように構えられている。掌を上にして掲げられたその上に、まばゆい光が明滅していた。小さな稲妻さえ纏わせて、八戒の掌の気弾は爆発寸前だ。
もし悟浄が頑固に拒みつづけたら、八戒はその危険な光球をどうするつもりなのだろう。

「悟浄…。」
「………はい。…ご奉仕させて頂きますです…。」

悟浄はわずかな沈黙の後、白旗を上げた。笑いながら怒る八戒は恐いが、泣きながら迫る八戒はもっと恐い。



「あっ…あっ…あっ…、もっと…、もっとおっ…。」
「ひっ…ひいっ…、くそっ、いいかげんにい…っ。」

悟浄は半泣きになりながら、上半身の屈伸運動を続けている。
もういい加減十分ご奉仕させて頂いたと思うのだが、果てても果てても、八戒の手足が絡み付いてきて開放してもらえないのだ。
今度こそおしまいにして欲しいと半ば祈りつつ、悟浄は思い切り腰を突き上げた。嬉しそうな悲鳴と共に、背中に巻き付いていた八戒の足がぎゅうっと悟浄を抱え込む。
悟浄はくたくたと八戒の上に倒れ込んだ。全身から空気が抜け出てしまった気がする。

「悟浄…、もっと…。」
「…もうダメ。もう勘弁して下さい。これ以上逆さに振ったって、もう何にもでましぇん。」

悟浄は我ながら情けないと思える台詞を吐いた。声が完全に裏返ってしまっている。

「悟浄…。」
「あーもう、本当に、打ち止めですう。」

悟浄はへろへろと言った。本当によく頑張ったと思う。自分で自分を誉めてあげたい。だが、八戒はまだまだやる気まんまんの様だ。
未練たらしく、手が悟浄の肌の上を這い回る。悟浄はひいひいと肩で息をしながら、そんな八戒を見ていた。
やはり事前に感じた嫌な予感は当たっていたようだ。いくらなんでも、八戒だってそんなに何度も続けられるわけもない。これは100パーセントの八戒ではありえない。

いくら撫で回しても無反応な悟浄に飽きたのか、八戒が身を起こした。ゆっくりとベッドを降りる。悟浄はほっと肩を下ろした。やっと諦めてくれたらしい。
見るとはなしに綺麗な後ろ姿を目で追う。尻から足に掛けてしとどに濡らしたその姿は、いつもなら再度悟浄を奮い立たせるに十分な色っぽさだ。ただし今日だけは別だ。限界というものは誰にでもあるのだ。

八戒がうっすらと笑みを浮かべて戻ってきたとき、悟浄はさらに嫌な予感に囚われた。八戒の手にした瓶の、底の方に少量残った酒らしい液体が、どうしてか悟浄を不安な気分にさせる。
八戒は瓶を持ったままベッドに上がると、乱暴に悟浄の体をひっくり返した。

「なに…ひゃっ!」

汗ばんだ腹の上に、いきなり酒を零される。特に股間に重点的に酒を振りまくと、八戒はいきなり顔を伏せた。ぴちゃぴちゃと、舌をうごめかす音がする。

「な…何やってんだよう!」
「ふふ…ワカメ酒。」
「うえ、お下劣…。だいたいする事が違う…って、ひぇ! なにすんら…」

悟浄の語尾から力が抜けた。無理矢理立てさせた膝の奥深くに八戒の顔が潜って、袋よりもっと奥…悟浄がかつて使った事のない小さな穴にまで舌が達している。
悟浄は焦って八戒の頭を振りほどこうとした。しかし、どうにも体に力が入らない。

「あへへへ…。八戒しゃん、ななな何を…。」
「…満足させて欲しい。もっと、壊れるくらい…。」

八戒が喋ると、息が一番柔らかい肌を掠めて消えていく。妙な感覚を伴うくすぐったさに、悟浄は身を捩った。

「そそそそんな事言ったって、そそそんなとこ、触られた事ないんれすけど…。」
「…バージンなんだ。」

八戒がくすくす笑う。残り少なくなった酒に、たっぷりを指を絡めたのを見て、悟浄はさらに不安な気持ちになる。

「大丈夫。痛くしないから。」

酒の糖分で、てらてら光る指が、悟浄のそこに押し当てられた。

「ややや、やめろって…。あ、らめ…。」

つぷんと指が潜り込んだ瞬間に、全身から力が抜ける。確かに痛くはない。だが、内部に異物が潜り込む不快感は、拭いようがない。
だが拒絶の声を出そうにも、八戒の指は巧みで、口を開けるたびに、あへ、とかひょ、とか、意味のない言葉ばかりが漏れてしまう。

「あひんっ!」

ひときわ大きく声が漏れてしまう。内部でぬくりぬくりと蠢いていた八戒の指が、ある1点をついた。執拗に動く指先に、腰が浮きあがってしまいそうな甘い痺れが走る。

「うふん。…前立腺みっけ♪」

八戒は嬉しそうに言うと、片手で瓶を引き寄せた。底の方に僅かに残った液体を、悟浄の顔の上で空ける。
甘ったるい酒が、狙い違わず悟浄の口元を濡らし、縮んだ桃の実がころころとベッドの上を転がる。
悟浄は反射的に口の周りを嘗め回していた。この舌が痺れるような感覚は、酒の甘みのためだけではない。

「な、なんなのよ、この甘ったるい酒は。」
「これはねえ、三蔵に貰ったんです。」

八戒は、転がった桃の実を一つ摘み上げた。

「素直な気持ちにさせてくれる、魔法のお酒です。」

桃の実をぺろりと嘗め、にっこり笑うと再び顔を伏せた。ぬるんと暖かい粘膜に包まれて、悟浄は、自分自身が八戒の口の中に含まれたのを知る。

「ちょちょちょっと、八か…、あ、あ、あん…。」

八戒の柔らかい口の中が、ねっとりと絡み付いてくる。裏側の筋や、先っちょの割れ目まで、丹念に舌が這い回る。
体の中に収められたままの指が、同時に動きを再開する。内部から、一番キク部分をぐりぐりとこね回されて、自分の物ではないような鼻に掛かった声が出てしまう。
内側から突っつきまわされるのが嫌で、だけど変に気持ちよくて、思わずぎゅうぎゅう八戒の指を締め上げてしまう。

もうこのまま八戒に好きにされてしまうのだと思った。あんまり八戒の指遣いが巧みなので、なんだか納得してしまえるのだ。
いつも八戒を組み敷いて自由にしているのだから、1回ぐらいは仕方ないか。それにしても、八戒が悟浄を抱きたいと思っているとはつゆ知らなかった。やっぱり奴も男なんだな。
そんな事を思っていると、八戒がきつく口を窄めた。そこから中身を吸い出されるような快感に、思わず爪先が反る。
八戒は悟浄をきつく吸い上げたまま顔を上げていった。柔らかい唇が、悟浄をしごき上げていく。ちゅうっと音を立てながら顔を離すと、八戒の口元から白い糸が引いた。彼は顔を上げるとにっこりと笑った。

「ほおら、元気になった♪」

半ば呆けていた悟浄の頬がぴくりと引き攣る。八戒に指し示されるままに目を向けると、そこにはなんとなく弱々しいながらも、はっきりと屹立した己のムスコがいる。

「僕に淋しい思いをさせたんだから、ちょっとは頑張ってもらわないと。」

八戒は静かに腰を上げた。にこにこと笑っているのに脅し付けるような顔で悟浄を見下ろしながら、ゆっくりと悟浄にまたがり、腰を落としていく。くちゅりと淫猥な音を立てて、八戒の湿った洞が、悟浄を飲み込んでいく。

「ん…んっ、あと、…あと5回ぐらいは、いけますよね。」

すべてを飲み込んでしまうと、八戒は悟浄の手を自分の股間に導きながら、余裕の笑みで彼の顔を見下ろした。
柔らかくてあったかい八戒の中が、悟浄をやんわり絞め殺そうとしている。

「5回…。は…ははは…はは…。」

悟浄にできるのは、うつろな笑い声を上げる事だけだ。

前言撤回。やっぱり泣いている八戒より、笑っている八戒の方が数倍コワイ。



頭が痛いと散々ぐずっていた悟空は、ハリセンでどやし付けるとやっとおとなしくなった。確かに二日酔いではあったのだろうが、多分に甘ったれたいだけだったようだ。
三蔵はようやく届いた朝刊を、宿の親父から奪取してきた。してはきたものの、本当にローカルな記事しか載っていない。どこの農家で牛が何頭生まれようと、そんな事は知ったこっちゃない。
あまりにものどかな記事ばかりで、三蔵のいらいらは募るばかりだ。
今ごろあの酒はどうしただろうか。まさかと思うが八戒のやつ、飲んだりしてねえだろうな。三蔵は神経質に足を組み替えた。
あれは悟空のために作ったもんだ。誰にもやらねえぞ。

「なあ、三蔵。…なんか音がするよ。」

毛布の間からぴょいと顔を覗かせて、だいぶ顔色の良くなった悟空が言う。ドアの下の方から、カリカリとなにかを引っかくような音がするのは三蔵も気付いていた。

「ほっとけ。」
「だって、…声もするよ。」

言われてみると確かに、弱々しいうめき声に似た声がしている。三蔵はしぶしぶ立ち上がると、ドアに向かった。乱暴に押し開けると、ゴンッと鈍い音がし、次にどたりと重い音がする。

「…? なんだ?」
「三蔵…、か、か、か、匿ってくれえぇ。」

低い位置から息も絶え絶えにうめいたのは、悟浄だった。額の大きな瘤は、ドアの一撃でできたものらしい。

「…なにやってんだ? おまえ。」

悟浄はどうやら床を這ってきたらしい。腰にシーツを巻き付けてあるのが、最後の羞恥心だったのか、上半身はむき出しのままだ。
顔を上げると、夕べ最後に見たときの面影もないほどに、頬がこけ落ちている。

「八戒が…許してくれねえんだよ。」
「あほか。奴が根に持つのは今に始まった事じゃねえだろが。」
「そうじゃねえよう。お前がやった酒が、あいつをおかしくしちまったんだよう。」
「何! 酒! まさか!」
「あいつ、際限なしになっちまって、俺ぁもう絞り尽くされ…ぎゅむっ。」

三蔵は慌てて走った。なにか大きな物を踏んづけたような気もするが、それどころではない。八戒のうわばみに飲まれたら、あんな小さな瓶の酒など、あっという間に飲み干されてしまう。

勢いよくドアを開けると、八戒が猫みたいな仕種で三蔵を振り返る。閉め切った部屋には、情交の後の濃密な匂いと、甘ったるい酒の香りが満ちている。
三蔵はベッドの上に転がった瓶を見てうめき声を上げた。当然、中身はすっからかんだ。思わずくらくらと目が回る。

「桃…、桃の実はどこだ!」

だが三蔵はまだ望みを捨てたわけではなかった。最初から2度目を狙って早めに造った酒だ。あの桃はまだ有効だろう。
2度目は1度目ほど濃いものができるとは限らない。だが、いくらかでも効能はあるはずだ。

「…これのこと?」

八戒の声に、三蔵は喜色に満ちた顔を上げた。

八戒は喉を逸らし、口の中をかき出すような様子を見せた。れろんと口の中の物をつまみ出す。更に小さくしなびた桃が、八戒の舌先から魔法のように現れた。

「おいしかった。ご馳走さま。」

萎びたのではない。

果肉がごっそり削ぎ落とされてしまっている。

三蔵は呆然と、八戒の顔を見た。八戒は三蔵の目の前でもぐもぐと咀嚼をし、見せ付けるようにごっくんと飲み下した。
上機嫌な八戒の頬が、ふわりと赤く染まる。色っぽいため息をついて、八戒は裸体をくねらせた。

「悟浄はどこですか? もうちょっと慰めて欲しいんだけど…。」

乾いた桃の種からは、もうエキスのエの字もでないだろう。

三蔵はへたへたと崩れ落ち、詫びしげな呪詛の言葉を口にした。



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