お傍日記 −1月ー




年が明け、三蔵様には一番お忙しい季節におなりです。
大晦日の声を聞くころからずっと、訪問客や行事が引きも切らないのでした。
この寺に来て、2回目の正月を迎えた悟空には、三蔵様のお忙しさはおぼろげに分かっているようで、いつもの可愛らしい我儘が出ないのが不憫でした。悟空は悟空なりに、三蔵様のお忙しさを気遣っているのでしょう。
訪問客があれば、いつの間にか姿を消して寒い戸外で遊んでいるし、行事の間はジッと部屋に篭って一人遊びをしているのでした。
悟空を盲愛していなさる三蔵様が、そんな悟空を思いやられないはずもないのでした。


訪問客と共に、三蔵様には沢山の贈り物も届けられます。
多くは食品ですが、中には値の張る、変わったものもありました。
三蔵様は大抵そういうものに興味を示されないのですが、たった一つだけ手元にお持ちになったものがありました。
真っ赤なサンゴの乗った、銀の簪でした。


「すごぉい、きれい…。」

三蔵様に呼ばれて手元を覗き込んだ悟空が、うっとりとため息を漏らします。

「都の成金がよこしたものだが…坊主に簪なんて、馬鹿じゃねえのか。」

三蔵様はお人の悪い顔で笑いなさります。ですが、彼の目的は明らかに三蔵さまではなく、私は三蔵様が彼の本意をご存知かどうか分からなくてひやひや致しました。


三蔵様が悟空を寵愛していることは周知の事実であり、その事実は広く知れ渡って行く一方なのです。
こうして、四六時中お傍においていただける私には、三蔵様の悟空への愛情が、それは清らかで慈愛に満ちたものだと存じ上げておりますが、周りは決してそうは見ていないようでした。
寺院と言う閉鎖された環境の中、わが寺にも特殊な目的のために存在する稚児が数名おります。
常に三蔵様のお膝元にいる悟空が、そのような目的のために養われている幼子だと信じて疑わないものも、市井には大勢いるのでした。
おそらくその簪は、悟空の長い髪を飾る為に贈られたもので、悟空の身なりに何くれとなく気を遣われる三蔵様に、覚えめでたくしていただこうとする下心が分かるのでした。


私のそんな杞憂にも無関心なご様子で、三蔵様は悟空を手招かれます。束ねた長い髪に挿した簪は、悟空にはよく似合いました。

「この寺じゃ、そんなのが挿せるのはおまえぐらいのもんだ。ありがたくもらっとけ。」
「俺がもらっちゃっていいの? だってこれ、物凄くきれい…。」
「かまわねえだろう。三蔵様のお稚児殿へってことだったからな。」

無邪気に首をかしげる悟空とは正反対に、私は思わず息を呑んでしまいます。
慧眼であらせられる三蔵様は、市井の口さがない噂もちゃんとご存知でいらっしゃるようでした。

「三蔵様…悟空のことについては…。」
「言わせたいやつには言わせておけ。俺なら、こんな山猿にそんな気を起こす奴の顔が見てみたいと思うがな。」

三蔵様はにやりと口元を歪ませなさり、悟空の後姿を眺めやられます。そうして上機嫌なご様子で、悟空に声を掛けられました。

「明日は町へ行く。おまえも連れて行ってやるから、今日はとっとと寝ちまえ。」

悟空の歓声が上がります。町に行くのは三蔵様の大事なお勤めがあるからですが、悟空を連れて行かれれば、多少なりとも悟空が自由に過ごす時間も出来るでしょう。
私は深く腰を折って、三蔵様のお優しい心遣いに感謝の意を表しました。


そうして町に下りたとき、悟空の髪にはその美しい簪が輝いていたのです。
通い慣れた町でもあることで、三蔵様のお勤めの間自由に遊ばせていた悟空が私達のところに戻ったとき、すでに悟空の髪には簪はありませんでした。

「悟空…簪はどこへやったのです。」

頂き物とは言え、銀貨50枚は下らない簪の喪失に、私はすっかり青くなってしまいました。悟空はちょっと困った顔をして、俯きました。

「えーと…落としちゃった。」
「そんなはずないでしょう。落とさないように、あれほど頑丈に止めたのですから。」
「うん、でも…落としちゃった。」
「何を落としたって?」
「三蔵様…!」

三蔵様の、地を這うようなお声に、私は竦みあがってしまいます。三蔵様はおそらく、悟空が簪をどこかへやってしまったことよりも、見え透いたうそをつくことをお怒りなのでしょう。そんなことは、悟空にもきっと分かるはずです。
でも、今日の悟空はなぜか意固地なのでした。

「さんぞ…、せっかくもらった簪、落としちゃった…ゴメン。」
「ずいぶん器用だな、サル。俺ががんじがらめにしてやった簪を落としたか。」
「…うん。」
「俺にウソをつくなといつも言っているだろうが。」

三蔵様の鋭いお声が飛びます。私は思わず数歩下がってしまいました。
それでも悟空はひたすらに俯いて、ゴメンと繰り返すだけでした。


それからすっかり意気消沈した悟空は、三蔵様の傍に寄り付いてまいりません。あの時、あのように厳しくしかられたのが、相当堪えているようでした。
一月も半ばを過ぎ、お忙しかった三蔵様の日程もどうやら余裕ができました。悟空も遠慮なく三蔵様のお近くに行けると言うのに、必ず距離を置いてこっそり三蔵様を伺っている様子は、こちらまで落ち着かなくなるものでした。
そんな折、三蔵様を訪ねて、町の者がやってまいりました。
年端もいかない、小さな娘でした。


娘は三蔵様のご威光に触れることを恐れるように、小さく蹲っていました。そうして、たわわに実の付いた南天を差し出すのです。

「これを…お返しにもなりませんが、三蔵様にお納めしたくて…。」
「なんだ…お返しと言うのは。」

三蔵様の低い声に、娘はびくりと身を竦ませました。
このところ、悟空が擦り寄ってこないので、三蔵様は至極ご機嫌を損ねていらっしゃるのです。

「あの…先日村にお出でになられたときに、悟空…さまから、三蔵様が下賜されたものを頂きました。」

三蔵様がピクリと眉を跳ね上がらせられます。私もハッと気がつきました。
三蔵様が下賜なさったものといえば、あの簪以外にないでしょう。

「弟が急病で…うちは貧しくて薬も買えずに困っていたところを、悟空さまが通りかかられて。」

弟の枕元に、簪を置いていったのだという。

「おかげさまで弟もよくなってまいりました。あの時、悟空さまが簪を都合してくださらなかったら、今頃どうなっていたか分かりません。」

娘はまた深々と頭を下げました。そうして、いずれもっときちんとしたお礼を、と言いながら、南天の実を差し出すのでした。


「人助けしたんなら、そう言やいいんだ。」

三蔵様は、手にした南天を弄び、なんとも歯痒い顔で申されます。悟空のウソのわけがわかったせいか、どことなく晴れ晴れとしているようにおみうけできます。私は、思わず微笑んでしまいました。

「常日頃から、三蔵様が偏った施しをしてはならないとおっしゃられるから、あの娘だけに情を掛けたことがわかってはいけないと思ったのでしょう。」
「…にしても、もうちっと旨い言い訳があるだろうに。」

きっと三蔵様は、悟空の優しい心を愛でていらっしゃるのに違いありません。そうして、それを自慢に思っていなさる様子も、はっきりわかってしまうのでした。

「今度、旨いウソのつき方でも教えてやってくれ。」
「それは、三蔵様におまかせいたします。」

私ごときが、お二人の信頼関係に水を差しかねないことをできるはずもありますまい。
三蔵様はちょっと恨みがましい目で私を睨まれ、そうして南天を差し上げなさりました。
サンゴ程ではないとは言え、赤くたわわな実は、悟空の艶やかな髪に似合いそうでした。

「そうだな…あのサルには、血の色のサンゴの珠より、南天のほうが似合うな。」
「髪に結って差し上げなさいまし。」

私が差し出がましく申し上げると、三蔵様は苦笑いされました。
私は、いまだ拗ねている様子の悟空を呼ぶために、腰を上げました。もう間もなく、二人の仲直りが拝見できそうでした。





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