お傍日記 −12月ー





悟空が冷気に頬を真っ赤にさせて戻ってきました。束ねた長い髪の芯まで冷え切っています。
私は庫裏から少し湯を分けてもらい、桶に注ぎました。悟空の小さな足も真っ赤になっていて、もうしもやけになってしまっているようでした。

「ちゃんと靴下をお履きなさいというのに。」

思わず小言を口にすると、悟空は照れ隠しのように足をパタパタさせました。

「ねえ、この辺にモミの木ってないの?」
「モミ…ですか。さあ、あまり見かけないようですが。」

砂にまみれた足を洗ってあげると、悟空はくすぐったがって、小鳥が囀るように笑います。その賑やかな声を聞きつけて、三蔵様がうっそりと顔を覗かせなさりました。



今の時期から年明けにかけて、三蔵様は大層お忙しいのでした。
通常の書類仕事の他に、三蔵様のご威光を欠くことが出来ない行事も目白押しで、いつにもまして三蔵様が悟空を構われる事が少なくなっておりました。

「三蔵!」

三蔵様のお顔を見とめた悟空は、ピョンと立ち上がりました。慌てる私を尻目に、三蔵様の方に走っていってしまいます。磨いた廊下に濡れた足跡が続きました。

「三蔵、今日はもうお仕事終わり?」
「ああ、いや…。モミがどうとか言っていたか?」

三蔵様は言葉尻を濁されます。三蔵様の今日のお仕事がまだ終りそうもないのは、先ほど山ほどの書類をお持ちした私にもよく分かっておりました。
悟空は、三蔵様にはぐらかされたのにも気付かないような上機嫌で、ニコニコと頷きました。

「麓の町で、いい事を聞いたんだ! モミ、探して…、でも、切っちゃうのはかわいそうだなあ。」
「…くだらねえな。」

三蔵様はそうおっしゃると、踵を返されました。取り残された悟空は不満げな表情でしたが、私には三蔵様に何かお考えがあることが分かりました。固くしかめられた眉間が緩んでいなさったからです。
数日して、出先から戻られた三蔵様の手には、ポインセチアの鉢植えがありました。



「これを悟空に渡してやってくれ。」

三蔵様が照れていなさる時の常で、わざとそっぽを向きながら私に託されます。

「この辺りじゃモミは無理だが、クリスマスならこれで代用が効くだろう。」
「クリスマス…ですか。」
「悟空は秘密に事を進めたいらしいがな。」

三蔵様はようやく私の方を向いてくださり、ニッと微笑まれました。

「麓の町じゃもうせんから異教徒の祭りで大賑わいだ。悟空も余計なことを吹き込まれたんだろうさ。モミだの切るだの言えば、たいてい想像がつく。」
「それでは…靴下にプレゼントも用意しないといけませんね。」
「…ったく、いらん手間のかかる…。」

いかにも渋い表情をお作りの三蔵様ですが、そのお顔は穏やかです。
私は微笑ましい想いとともに、その鉢植えをお預かりいたしました。



お忙しい三蔵様に代わって悟空にポインセチアの鉢を渡しますと、悟空はくすぐったそうな顔をいたしました。

「三蔵様が、悟空にモミの木の代わりにとおっしゃいましたよ。」

そう伝えると、悟空は少し頬を赤らめたようでした。悟空も、この格式の高い寺院に身を寄せている限り、おおっぴらに異教のお祭りを祝えないことぐらいは承知しているのです。掬い上げるような目に見つめられて、私は思わず微笑んでいました。

「そなたの部屋に飾るぐらいなら、誰も文句を申しますまい。」
「あの…さんぞの執務室に置いちゃダメ?」

なにか楽しい計画でもあるのでしょうか。悟空の蜂蜜色の瞳がきらきらと輝いています。
私は少し迷った末に頷いて見せました。この鉢は三蔵様が調達なされたものなのですから、三蔵様のお手元に置くことに不都合もありえないはずでした。もし、口やかましい従事長辺りが難癖をつけたとしても、三蔵様のご一喝で全て片を付けられるはずです。
こうしてポインセチアの鉢は、執務室の日の当たる窓枠に、腰を落ち着けたのでした。



三蔵様のお考えの通り、悟空が欲しがっていたのは、ツリーにする木だったようでした。
ポインセチアの小さな鉢は本当にささやかながらその役割をはたしていました。どこから探してくるのか、いつの間にか綿雪が乗り、金のモールの飾りが付いて、可愛らしいツリーに変わっていきます。
そのツリーを挟むように、二つの袋が置かれたのはまもなくのことでした。



クリスマスカラーの赤と緑のリボンが口を縛ってはありますが、リボンが縦になっているので、悟空の手によるものとすぐに分かります。悟空は、何度教えてもリボンを縦結びにしてしまうのです。
私はその袋を取り上げて首を傾げました。中には薄くて軽いものが入っているようでした。

「悟空、これは…?」
「あっ! まだ開けちゃダメ!」

思いがけない強い口調で遮られて、手の中のものを奪い取られました。悟空は、私の目からその袋を遠ざけるように背中に庇うと、ちょっと困ったような顔で私をねめつけました。

「これは、あと1週間経つまで、ここに置いておくんだよ。」

私の手を拒むものの、悟空の言葉はなんとも言えず楽しそうです。
背中で私たちの会話を聞いていらした三蔵様が、ケッと妙な声を上げられました。



その夜。悟空がとうに寝静まった頃。
私は三蔵様の執務室に、こっそり般若湯をお持ちしました。三蔵様のお仕事が遅くまで掛かった時、私はしばしばそれをお持ちしていました。神経のそばだってしまわれる三蔵様に、少しでも安らかな休息を得ていただきたいからです。
三蔵様は、傍らに完成した書類を積み、煙草を吸いながら私を待ってくださっていたようでした。私が般若湯を満たした湯飲みを置くと、三蔵様は顎で悟空のツリーを指しなされました。

「サルの宝物…、見たかねえか?」
「悟空は当日まで大切に取っておくつもりのようですよ。」

私は軽く三蔵様を諌めましたが、その実、袋の中身には興味津々でした。
三蔵様はそんな私の心を見透かしたように笑うと、そっと袋を取り上げなさりました。リボンが解かれると、つい私も身を乗り出して見つめてしまいます。
三蔵様の手のひらに受けられたのは、なんとも不思議な形をしたクッキーでした。

「…なんだ、これ。」
「もしかして…人、ではありませんか?」

私がそう思ったのは、かろうじて頭部と判断できる額の部分に、食紅の点が穿ってあったからです。
そういえば、町に下りた悟空が指先に軽いやけどをして戻ってきたことがありました。
あれは、このクッキーを教えてもらってきたからかもしれません。

「その赤い点は…チャクラのつもりではないでしょうか。」
「なんだ? それじゃ、俺か、これは?」

三蔵様はなんとも言えない妙なお顔をされました。お腹立ちなのか、嬉しがっていなさるのか、長のお付き合いの私にも判別付きかねます。
赤い点をチャクラとすると、色の付いた砂糖で固めた黄色や白も、三蔵様の金髪や法衣に見えるのでした。

「んじゃ、こっちは…なんだよ。」
「三蔵様、両方とも見てしまっては…。」
「一つも二つも同じだろうが。」

私が止めるまもなく、三蔵様はもう一方の袋も開けてしまわれます。
そこから出てきたのは、やはり人らしいあいまいな形のクッキーでした。
私はそれを見て、思わず息を呑んでしまいました。



「この…袈裟に襷は、もしかして…。」
「…もしかしなくても、こんなけったいな格好は、おまえだけだろうさ。」

三蔵様はご不満そうに口をとがらせなさります。悟空を盲愛されている三蔵様は、おそらく悟空の手作りのクッキーにかたどられたものが、二つともご自分の姿でないのがご不満なのでしょう。
でも、私は舞い上がる気分を抑えることが出来ませんでした。三蔵様と同じぐらい私の親愛の元であり、愛おしい幼子が、三蔵様と同じように私のことを想ってくれる、そんなことがこんなにも嬉しいものだとは知りませんでした。
三蔵様のお腹立ちももっともです。三蔵様をご不満にさせて舞い上がっている私は、お傍係としては鼻持ちならない外法者でしょう。でも、抑えきれず綻んでしまう口元を、どう押さえたらよいのでしょうか。
不思議と、三蔵様ももうさしてお怒りではないようでした。むしろ私の方をご覧になって、わずかばかり諦めたお顔をなさるのは、私が三蔵様と悟空との絆に、僅かでも関与できているとうぬぼれていいでしょうか。



気がつくと、三蔵様が袋の口を縛りなおしていなさりました。悟空がするような縦結びは、返って三蔵様には面倒なようで、何度もやり直されているのでした。

「三蔵様、私も悟空にプレゼントを用意してようございましょうか。」
「好きにしろ。サルめ、エビタイを覚えやがったな。」
三蔵様が苦笑いされました。
異教徒のお祭りが、私の胸にも小さな明かりをともしてくれたようでした。











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