お傍日記 −5月−




時折眩しいほどの日差しが混じる季節になってきて、ますます悟空は元気です。
今日の悟空の、三蔵様への贈り物は、青々と伸びた黄菖蒲。綺麗に切り落としたものを持って帰りましたから、きっと庭師が丹精していたものを分けてもらったのでしょう。

「ふうん、菖蒲か。」

三蔵様は無関心な風を装われておいでです。悟空が持ち帰る小さな雑草の花ですら、きちんと水に生けさせられる私としましては、苦笑を禁じざるをえません。

「それはそうと…泥だらけじゃねーか。」
「凄く綺麗なのが咲いていたから、よく見ようと思って近づいたら、…気がついたら沼の中だったんだもん。」

流石に最後の方はばつが悪くなったのか、悟空の元気な声がしぼみます。

「靴の中まで泥だらけにしやがって……替えはあるか?」

三蔵様は悟空を軽く小突き、後半は私に向かって話しかけられました。
数日前から、私はひそかに気に留めておりましたから、思いがけず三蔵様からお言葉を頂いた好機を逃さず申し上げようと思いました。

「その…悟空の服ですが、色々と新調しないとならないようです。」
「新調だ…? 服の類なら、去年しこたま買ってやったろうが。」

しこたま、と言う三蔵様のおっしゃりようは、決して大げさなものではありません。
去年、悟空を寺院に迎えてから、三蔵様は事あるごとに悟空に衣類を見立てていらっしゃるのでした。
また、三蔵様がお見立てなさる衣類は、どれも誂えたように悟空にぴったりで、しかも愛らしいのです。三蔵様がいかに悟空に心を留めているかが分かるようで、なんともほほえましく思われるのでした。

「贅沢は敵だぞ、悟空。」
「贅沢ってなに?」
「いえ、決して悟空が贅沢を申しているわけではございません…。」

私は思わず苦笑してしまいます。悟空が衣類のことで注文を着けたことなど一度もなく、むしろ悟空を甘やかして贅沢をさせているのは三蔵様ご本人なのでした。

「その、今悟空の着ている上着が、何とか大きさのあったものでして…。衣類もそうですが、靴ももうずいぶんきつそうなのです。」

足の形が悪くなってしまいますよ、と申し上げますと、三蔵様は難しいお顔をされました。

「うーん、そうか…、そういやつんつるてんだな…。」

腕をお組みになって、お顔を顰められる割に、どことなく嬉しそうであらせられます。

「…明後日、東の町に説法に行くな…。ついてくるか、悟空?」
「えっ、いいの!」
「よ…よろしいのですか、三蔵様。」

悟空の手放しの笑顔に水を差すようでためらわれましたが、私は恐る恐る申し上げていました。

三蔵法師様といえば尊いお方。そのお供には、高僧が付き従い、礼を失する事のないように気を配るのが常でございます。たびたび行われる三蔵様のご出立には、お供を申し出たいものどもがひしめき合うのが常でございました。
無論いままで悟空が同伴させていただいたことなどありません。悟空は、三蔵様のお出かけには自分は常に留守番だと諦めている様子もありました。

「…かまわねえだろう。東の町は小さな町だし、新しく出来た寺院のご本尊に魂を入れるのが今回の仕事だからな。」

三蔵様は懐から煙草を取り出されて、ニヤリと笑われました。

「要するに、俺が行くまではそいつはただの木偶だってことさ。木偶を祭ってあるところが、そんなに丁重なおもてなしもお出迎えも必要ねえだろう。そんなのは、立派なご本尊が出来上がってからすればいい。」
「で…ですが。」

私は思わず口ごもってしまいます。いくら三蔵様がそうおっしゃられても、天真爛漫な悟空は、三蔵様のお仕事の間、大人しくしていることなど出来ないでしょう。

「だからその寺には俺が一人でいく。そのほうが何かと簡単に済んで、向こうの奴らも喜ぶはずだぜ。」

そうおっしゃらればその通りかもしれません。三蔵様に付き従う高僧の一人につき、甚大なもてなしの費用が費やされることは間違いないのです。

「悟空は寺には入れねえ。当たり前だろう? こんな落ち着きのない猿、よその寺に上げられるか。だからな…その間の付き添いが必要だろう?」

三蔵様は煙草を噛みながら、私の顔を睥睨なさいました。それは私にお供に参れとおっしゃっていることでしょうか。まったく恐れ多いことでございます。
でも、私は気付いてしまいました。三蔵様が常にない悪戯なお顔をされていることに。

もしかすると、この度のご出立は、三蔵様が悟空を連れ出すことを目的に、三蔵様が個人的に設えられたものかもしれません。そうでなければ、私までもお供にされるほどのご自由を、寺や上位の層達が許すはずもないのでした。

「…市井では、5月には特別な風呂を焚くらしい。」

私は思わず微笑んでしまいます。男の子の健康な育成を願って焚く菖蒲湯のことを、三蔵様は何処かでお聞きになられたようでした。

「…どうせ猿は遊びまわって泥だらけになるだろうから、おまえが付き添って入れてやってくれ。」

三蔵様は、目を細めて悟空を見られると、慌てたように付け足されました。

「あまり思いっきり育ちやがると、また着るものにあくせくしなきゃならんかもしれんがな。」
「…かしこまりました。」

三蔵様は照れくさがっていらっしゃいます。
私は、そのお顔を拝見して思わず微笑んでしまうのを隠すように、静かに頭を下げました。
菖蒲の伸びやかな緑が、悟空の健やかな成長を、約束してくれるように思えました。





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