お傍日記 −8月ー




梅雨に入る前に悟空が種を蒔いたヒマワリがすくすくと伸びました。
今はもう、悟空の背丈をはるかに越したヒマワリが、大きな花を律儀に太陽の方に向けています。
まるで頑是無い子供の行列のようで、大きな麦藁帽をかぶった悟空がそこにいると、何か楽しい催しを待っているようにも思えるのでした。

「ヒマワリって三蔵みたいだね!」

悟空はご機嫌で言います。麦藁帽の網目から悟空の丸い頬に、夏の日差しが点々と落ちて、悟空は眩しそうに目を細めました。私は庭作業の手を止めて、悟空を振り返りました。
私について庭に出た悟空は、赤い鳳仙花で爪を染めたり、虹色に光る小さな甲虫を捕まえたりと、なかなか忙しいのでした。

「悟空、少し休憩しましょうか。麦茶を冷やしてありますよ。」

水を向けると悟空は目を輝かせ、進んで井戸に駆け寄りました。そのつるべの中に、麦茶を沸かしたやかんやスイカを入れて、井戸水で冷やしてあることも、悟空はちゃんと知っているのでした。
幼い子供の常で、悟空はびっくりするほど汗をかくのに、放っておくと休憩も水分も取らないので、三蔵様がずいぶんやきもきされるのでした。

「日のある間は、手習いでもしてりゃいいんだがな。」
「さあ、それは…。」

思わず私は微笑んでしまいます。三蔵様が悟空の元気すぎるのを心配なさるのも分かりますが、日光の魅力溢れる昼日中に、悟空に室内にこもっていろというのは、鳥に空を飛ぶなと言うに等しいでしょう。
三蔵様とて、ご自分のおっしゃりようが無理なことだとはご承知なのです。やがてわざとらしくため息をつかれた三蔵様は、いかにも偶然を装って麦藁帽を差し出されました。

「町に降りた時、あんまり暑いんで買ったんだが、俺にはサイズが小さすぎるようだ。…猿にでもやっとけ。」
「はい。かしこまりました。」

明らかに子供用の大きさのそれを、目を逸らされながらお渡しなさる三蔵様のご様子が微笑ましくて、私は不遜にも、また頬を緩めてしまうのでした。


翌日から早速、その可愛らしい帽子は悟空のお気に入りになりました。帽子には赤のリボンが巻いてあり、それが時折キラリと光るので、たといすっかり丈の高くなった麦の畑の中でも、悟空の姿を見失うことはないのでした。

「これ被ってるとまぶしくないんだぜ!」

悟空は、それがさも大発見のように胸を張ります。真っ赤に上気したほっぺたがとても愛らしいのですが、反面私は少し心配になってしまいます。明らかに悟空は、炎天下にはしゃぎすぎです。

「悟空、たくさん遊んだから少しお昼寝をなさい。疲れてしまいますよ。」
「だって三蔵がこれくれたんだし!」

悟空はさも大事そうに麦藁帽のつばをしっかり掴みます。

「だからもっと遊んでも大丈夫! それで太陽の光をこの帽子にいっぱい集めて、三蔵にも分けてあげるんだ!」

私は思わずあっけにとられてしまいます。どうやら悟空は、真夏の日差しを嫌われてすっかり引きこもりがちな三蔵様に、太陽のおすそ分けをするつもりで、ことさら遊びまわっているようでした。
もうこの様子では、私がいくら制止したところで、悟空を日陰に避難させることは出来ますまい。
私は苦笑しながら引き返しました。どうやら悟空の奔走は、書類仕事にかこつけて室内にこもるばかりの三蔵様に日光浴をしていただくにも一役買ってくれそうでした。


私が執務室に入ると、三蔵様はお行儀悪く机に足を掛け、煙草をお吸いでいらっしゃいました。片隅に放り投げられた書類は、一応完了を見ているようでした。
三蔵様は私の顔を認められると、不機嫌そうに眉をしかめ、「暑ィ」と一言文句をおっしゃられました。開け放した窓から悟空の姿が見えないことも、三蔵様のご機嫌を損ねている一因のようでした。

「お仕事はお済みですか、三蔵様。」

私は風に煽られて床に散っている書類を拾いながら申し上げました。三蔵様はうるさそうに顔をしかめておいでです。

「お手すきでしたら、庭にお出でになりませんか。悟空が丹精したヒマワリが見事で、ぜひ三蔵様に見ていただきたいようですよ。」
「ヒマワリなんざ、こっからでも見える。」

確かに背の高いヒマワリは、遠い執務室の窓からも小さく見えます。
でも、その足元に蹲った、麦藁帽を被ったヒマワリまでは、三蔵様にはお見えにならないのに違いないのでした。

「特別なヒマワリが、三蔵様をお待ちですよ。」

私は楽しい気分で申し上げました。
悟空はヒマワリが三蔵様のようだと申しておりましたが、私にとっては悟空こそヒマワリのように伸びやかで可愛らしいのでした。
三蔵様は私を剣呑な目でにらまれましたが、やがてゆっくりと立ち上がられました。


三蔵様の後を追って進むと、不意にその足が止まられました。
見ると、三蔵様が悟空にお与えになった麦藁帽が、中ほどの丈のヒマワリに被せられてフラフラと揺れているのでした。悟空はと探すと、ヒマワリの大きな葉が半ば隠すしっとり湿った土の上に、小麦色の足が2本、にょっきりと伸びているのでした。

「…なにやってんだ、猿。」

三蔵様のお声も呆れがちです。

「ふぁ、さんぞ…。土が冷たくて気持ちいいんだよ。」

ヒマワリの葉を掻き分けて、悟空が笑います。それはまさに、丈の低いヒマワリが、三蔵様のためだけに綻んだようでした。

「顔が真っ赤じゃねーか。」
「あっついんだもん。ねえ、三蔵もこっち来なよ。ヒマワリが光って見えて、とっても綺麗だよ。」
「はしゃぎすぎだ。ばーか。」

三蔵様は苦笑いされると、ホースをお手に取られました。天を向けた先端をぎゅっと握りこみ、蛇口をひねられます。
絞られたホースの口から、水が飛沫になってほとばしり出ました。細かく分散された水は、にわか雨のようにヒマワリと悟空に降り注ぎました。

「のぼせ上がったヒマワリには水をやらなきゃな。」

突然の水滴に、悟空が華やかな笑い声を上げます。温んだ水は、火照った悟空を冷ますにちょうどいい刺激のようでした。

「三蔵! 冷てーよ! …あっ、虹だ!」

悟空は両手を挙げて水滴を遮り、この上なく幸せそうに笑います。
悟空の目には、きっと虹を背負った三蔵様が、夢のように美しく佇まれているのに違いないのでした。  







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