桃の爆笑




12月の声を聞くと、街は次第に喧騒に包まれていく。

薫はわくわくとあたりを見回した。自宅に程近い商店街は、すっかりクリスマス一色に包まれている。そこここの軒先に赤白のだんだらの旗が下がり、ひいらぎや中にはサンタとトナカイの人形をぶら下げた店もある。

アットホームな雰囲気を何より大切にする海堂家では、毎年イブには、家族だけのクリスマスパーティーが催される。家庭には大振りのツリーには、たくさんのオーナメントと一緒に母の手作りのジンジャークッキーが吊るされ、これも母のお手製のエッグノックを飲み、ケーキを食べる。さすがに暖炉はないが、この日のためだけに出すといっても過言でない石油ストーブに火を入れれば、一家四人の居間は暖かいオレンジ色の炎に照らされ、それは幸せそうな家族に見えるのだ。

今年はどんなクリスマスになるのだろう。うっとりとそんな事を考えながら帰宅した薫を、母が待ち構えていた。

「お帰り、薫ちゃん。今日のおやつは肉まんよ♪」
「…ああ。」

口数の少ない息子でも、母は微細な表情の変化も見逃さない。ほんの少し口元が緩んだのを見て取って、好感触が得られたのを確信する。

キッチンにはもう弟の葉末が陣取って、肉まんをぱくついている。薫が席に付いたのを待ちかねたように、母が何やら持ってきた。

「ねえねえ薫ちゃん、お母さん今年もクリスマスにはケーキを焼くんだけど、薫ちゃんは何が好き? ほら、お母さんケーキの本を買ったのよ。」

薫の目の前で、カラフルな写真が満載のその本をぺらぺらめくってみせる。薫は無言だが、視線がじっと本の上に固定されている。母はそれを十分に意識して、ぱたんと本を閉じた。

「いつもどおりショートケーキがいいかしら、それとも、今年はブッシュ・ド・ノエルがいいかしら。」

母はにっこり微笑んで薫の顔を覗き込んだ。向かいに座った葉末が軽くため息を吐いた。

「ショートケーキか…。」
「……………。」
「ブッシュ・ド・ノエル…か。」
「フシュー…。」

母の微笑みが広がる。どうやら愛息子は初めて聞くケーキに興味を示している。

「葉末ちゃんもブッシュ・ド・ノエルでいい?」
「ああ、僕はなんでもいいですよ。」

また始まった、と、葉末は密かにため息を吐く。この母は見かけとは異なり、自分や兄をからかうのが大好きなのだ。目つきのいかつい割に、何度でもあっさりたばかられる兄を見て育った葉末は、かなり用心深くなった。だが、この兄は、何度引っかけられてもまたすぐに引っかかる。

葉末が賢くなったのを察した母の最近の標的はもっぱら薫だ。きっと今日も薫は、母のねらい違わず、見事に引っかかってみせるのだろう。



クリスマスといえば、2年前の出来事を葉末は鮮明に思い出す。薫が小学校6年生で、目にいっぱい涙を浮かべて帰ってきたのだ。当時は今ほどには寡黙でなかった薫は、いきなり母に泣き付いた。

「お母さん、クラスのみんながサンタなんていないって言うんだ。」

剣呑にシューシュー息をつきつつ薫は母に縋った。葉末はそんな兄の様子をびっくりしながら眺めやった。弟の自分でさえ、サンタの存在なんてとっくの昔に信じてない。それなのにこの兄は今まで両親の言うのを鵜呑みに、サンタの存在を信じていたのだろうか。

「まあ、薫ちゃん、そんな事ないわよ。サンタさんはいい子のお家には必ず来るのよ。だから今年もきっと来るわよ。」
「だ、だけど…。」

薫はえぐえぐと鼻をすする。実のところ、こんな会話は葉末にとってこれが初めてではない。毎年この時期になると、クラスではサンタの存在について意見が分かれる。 だがそれも真剣な討論はせいぜい低学年までで、高学年ともなると、冷ややかなからかいと大人の無邪気さに同調する、ちょっぴりさめた空気が流れるだけだ。
葉末のクラスでも、そんな風に簡単に親に騙されてやる可愛らしい子供はもう絶滅したと思っていた。それなのに、そんな貴重な子供がなんと我が家に存在したとは!

「日本のどこにも、煙突のある家なんかないじゃないかって言うんだ。サンタが入れるところなんかどこにもないって。」
「まあ、薫ちゃん、いやあね、サンタさんは煙突なんかから入ってこないのよ。」

母はこともなげに言う。薫はきょとんと母を見上げた。

「だってあんなに太ったおじいさんが煙突から入ってきたら途中で詰まっちゃうでしょう。それに、そんな所を通ったら、真っ黒に煤が付いちゃうわ。煙突の下で火でもたいててご覧なさい。サンタさんはあっという間に黒こげよ。」

母はさも自信ありげにチッチッと指を振る。薫はそんな母を真剣な目つきで見上げている。

「サンタさんはね、ちゃんと玄関を開けてくるのよ。」
「だって…鍵…掛かってるじゃないか。」

弱々しく薫が反論する。母はまたチッチッと指を振った。

「マスターキーがあるのよ。サンタさん仕様の。」

薫の目がますます大きく見開かれる。

「お母さんも不思議だったのよ。ちゃんと戸締まりはしたのに、いつのまにかいい子の薫ちゃんと葉末ちゃんの靴下にプレゼントが置いてあるし。だからね、薫ちゃんが1年生の頃、いっしょうけんめい徹夜して、サンタさんが来るのを見張っていたの。そうしたら、100円パーキングにトナカイのそりを繋いで、ちゃんと玄関の鍵を開けて入ってきたわ。」

薫は引き込まれるようにうんうんと肯いている。葉末はそんな二人からちょっと距離を置いてその成り行きを見守っていた。ドアチェーンはどうしたんだよ。突っ込んでやりたいが、なんとなく後が恐い。

「お母さん、サンタさんを捕まえて聞いてみたの。その鍵はどうしたんですかって。そうしたらね。サンタさんは悪戯がばれた子供みたいな顔をして笑ったわ。これは特別製ですって。だから製法は内緒ですって。それはそうよね。だってそんな鍵が出回ったら、どこのお家でも泥棒が入り放題だものね。」

薫は酷く感心したようにフシューと息を吐いている。葉末には笑っちゃうような母の即興の作り話も、薫には真剣なお話らしい。

「だからね、サンタさんは普段は決して誰の目にも付かないの。この人がサンタさんだってばれたら、マスターキーを取られちゃうかもしれないものね。だけど、きっとどこの街にもサンタさんは紛れているのよ。薫ちゃんは何の心配もしなくていいの。」
「どこの街にも…サンタさんが…。」
「そうよ、だって世界中にいい子は数え切れないぐらいいるもの。たった一人のサンタさんじゃ一晩で回り切れないわ。サンタさんになるには、きっと免許が必要なのよ。」
「へえ〜。」

すげえ。葉末は密かに驚嘆に舌を巻いた。
こんな話を即座に作っちゃう母親も母親なら、それを素直に受け入れちゃう兄貴も兄貴だ。従順すぎるにも程がある。

「じゃあ、今年も、サンタはうちに来るかな?」
「もちろんよ。でもね、今のお話はお友達にはナイショよ。」

母は人差し指を唇に押し当てて片目を瞑った。

「お母さん、サンタさんと約束しちゃったから。秘密にしとくって。」
「うん、分かった!」

母も薫もにこにこと至極満足そうだ。母はともかく、こんなにあっけないほどに騙される兄貴が、葉末には不憫でならない。

葉末が思うに、薫は友達が少ないのだ。目つきばかりが鋭くて、口数も少ない薫には、ふざけ合うような友達がいない。日常生活で冗談の応酬などがないから、こんな嘘に簡単に引っかかる単純さのままに成長してしまうのだろう。ここは一つ、兄にはない腰の低さと丁寧な言葉遣いで世間ずれしている自分がなんとかしてやらなくては。

「兄さん、サンタなんて…。」

だが、助け船を出しかけた葉末の言葉は、途中で不自然に途切れた。母が笑顔のまま、葉末をくるうりと振り返ったのだ。

「葉末ちゃん、サンタなんて、何?」
「いえ…。」

なんだろう、笑顔なのに母が恐い。
母の楽しみに水を差すなという無言の圧迫が、ひしひしと伝わってくる。

母は笑顔の一睨みで葉末を黙らせると、きゅっと薫の肩を抱いた。

「そうと決まったら、今年もサンタさんを迎えるためにお部屋を飾らなくっちゃね!
お母さんも腕によりを掛けてご馳走を作るわ!」
「うん!」

なんだかスポ根アニメに出てきそうな二人の会話である。葉末はまたため息を吐いた。
まあいいか。トランプやゲームをしていても、簡単に熱くなってあっさり騙される分かり安い兄貴は、葉末にとっても可愛らしい。



「…だからね、お母さん、今年はマジパンにも挑戦しようと思ってるの。」

まだやってる。葉末は密かに二人の様子を窺った。兄貴の薫は、妙に疑い深いところや慎重なところも出てきたくせに、中学2年になった今でも、どうしても母親だけにはいいように手玉に取られている。

あの、サンタの顛末はどうなったのだろう。6年生のときはあれでうまく丸め込まれた薫だが、中二になった今はどうなのか。まさかまだ信じているとは思えないが、寡黙な兄の顔色からは、その先がどうなったかを推し量ることが出来ない。あのときの母のナイショの一言が効いて、あれ以来兄の口からはサンタの存在について語られることはないのだ。

「…ノエルってのは、ブッシュの奥さんの名前じゃないのか?」
「それが違うのよ。ブッシュの奥さんは、ローラって言うの。だからその辺も調べてきてくれると嬉しいわ。」
「…わかった。ブッシュの似顔絵だな。」

葉末は、もれ聞こえてきた兄と母の会話を聞いて唖然となった。さっきまでブッシュ・ド・ノエルの話をしていたはずの二人が、いつのまにかブッシュアメリカ大統領の話をしている。さっき話していたマジパン…。まさかとは思うが…。

「ケーキの上にブッシュのマジパンで、ブッシュ・ド何とかケーキの完成なんだな。」
「そうそう。助かるわ♪」

葉末は喉に詰まりそうになった肉まんを無理やり飲み下した。また母がいいように兄を引っ掛けることに成功したらしい。それにしたって、ちょっとは怪しいとか思わないのか、この兄は…。

「ブッシュとノエルかよ…。普通気付くっつの。」

葉末は呆れて二人を遠巻きに眺めた。黙々と肉まんに食いつく兄は、どこかしら嬉しそうな顔をしている。



スポーツバッグを掛けない肩はなんとなく物足りなくて、薫は空いた手をにぎにぎとしてみた。

試験期間が近づいてくると、クラブ活動は休止になる。だが、仲のいいテニス部員たち、中でもレギュラー陣と1年生の数名は、示し合わせたわけでもないのに寄り集まってしまう。今日は珍しく、カチローが熱弁を奮っている

「だからね、試験が終わった日にパアッと憂さ晴らしを兼ねて、パーティーしましょうよ、クリスマスパーティーを!」
「うん! それいいにゃ! カチローたまにはいい事言う〜!」

真っ先に賛成したのはお祭り好きの英二だ。他の部員たちも、それぞれ賛成の意思を表す、輝く瞳をする。

「パーティーと言えば…。」

期待に満ちた視線が、川村に集まる。だが、川村は慌てて両手を振った。

「ごめん、さすがに師走は駄目だよ。うちも掻き入れ時だから、場所の提供は…ちょっと…。」
「なあんだ、つまらない。」
「こらっ、越前っ!」

無遠慮に言うリョーマを、慌てて大石がたしなめた。川村は困ったように頭を掻いた。

「はは…、申し訳ない。場所は無理だけど、どこかで持ち寄りって事にしてもらえば、寿司の差し入れぐらいはできるから…。」
「うおっ、さすがは川村先輩、太っ腹! 場所は越前ちの寺でいいっすよ! あの無駄に広い寺! テニスコートもちゃっかりあるし!」
「お寺でキリスト教のお祭り…、面白いかもね。」
「ちょっと…、勝手に決めないで下さいよ。」

憮然とした表情で越前が文句を言う。だが、それ以上制止の言葉が出ないのを聞いた部員たちは、暗黙の了解を取り付けたとして、それぞれ自分が持ち寄る物を言い出した。

「たしかまだ開けてないジュースが一ケースあったにゃ…。」
「ケンタの券があったから、バレルでチキン買ってくるよ。」
「姉さんにとびきり辛いカレーでも作ってもらおうかな…。」
「じゃあ僕たち、スナック類持ってきま〜す!」
「オヤジの秘蔵のナポレオンちょろまかして…。」
「おいおい、アルコールはだめだぞ!」
「ちぇ、大石先輩は堅いんだから。おい、越前、おまえも何か…。」
「場所とおやじのカラオケセットでいいでしょ。おやじ付きになっちゃうかもしれないけど…。」
「ふふふ。ではスペシャルな乾汁を…。」
「却下!!! なあ、海堂は何を持ってくるの〜?」
「…………ケーキを…。」

薫の一言でざわめきがぴたりと止まった。薫とケーキ。なんだかとても似合わない組み合わせだ。

「ケーキぃ? おまえが? 似合わねー!」

真っ先に反応したのは、喧嘩友達の桃。薫は僅かに頬を染めた。楽しそうな様子のみんなについ釣られてしまったが、何だかケーキだなんて、女子みたいだ。

「…んだと! そういうおまえは何を持ってくるんだ!」

「まあまあ。」

あっという間に取っ組み合いそうになる二人の間に大石が割り込んだ。

「ケーキは買ってこなきゃしょうがないかと思っていたんだが、素晴らしいじゃないか。何か当てがあるのかい?」

手放しに誉められて、薫はおとなしく引き下がった。

「お母…、おふくろが料理好きで、毎年作るんです。今年も作るって言っていたから、頼めば1個や2個は余分に作ってくれると思うんで…。」
「お母さんの手料理か!」

おおっと場がどよめいた。

薫が毎日持ち込む3段重の弁当箱は、実は学園内でもかなり有名だ。食べ盛りの中学生たちはみんな憧れを持ってそれを遠巻きに眺めている。だが、なんだか妙に背筋を伸ばしてお行儀よく食べている薫の目つきに気おされて、誰もそのお重の中身をじっくり確かめた者はない。垣間見たもののうわさによると、絢爛豪華なおかずがぎっしり詰まったとても眩しいお弁当なのだそうだ。それを作る手が作るケーキ! 興味が湧かないわけがない。

今年は、ブッシュ・ド・ノエルとか言うのを作るって言ってました。」
「「「へえ〜。」」」

その場でそのケーキの全容を正確に想像できたのは約半数。後は聞いた事もないケーキの名前に目をぱちくりさせている。薫は心持ち得意げに胸を反らした。

「だけどその前に、ブッシュ大統領の事を調べないと…。」
「は? ぶっしゅ?」

大石が頓狂な声を上げた。

「アメリカのブッシュ大統領っすよ。あの顔のマジパンが必要なんだって…おふくろが…。」

言いかけて薫は口篭もる。なんだか唖然とした様子の部員たちを見回し、もしやと息を飲む。
まさか…またいいように母にからかわれてしまったのだろうか。 「海堂センパイ…、もしかしてブッシュ・ド・ノエルのブッシュを、ブッシュ大統領だと思ってます?」
「ち…違うの…か?」
「全然違うっす。」
「わーははははは! ぶぁ〜か!」

至近距離から思いっきり桃に指を突きつけられて、薫はかあっと頬を火照らせた。考えてみれば薫の家には、いつでも手作りおやつが溢れている。だから、外部から菓子類の情報が入る事など皆無だったのだ。そして薫はこれまでも、父や母の言う事なら何でも鵜呑みにしてきた。母の言葉が要注意だと最近悟ったばっかりだったのに!

「親に言われたからって、そんなの信じる奴があるかよ!」
「ううう、うるせー!」
「この分じゃ、こいつ、いまだにサンタは実在するとか信じてるぜ!」
「えっ、やっぱり、サンタはいないのか!」

薫の一言に、いよいよその場はしんっと静まり返った。その場にいた全員の痛いような視線に晒されて、薫はしまったとほぞを噛む。

「ぎゃははははは!!!」

桃が顔を真っ赤に紅潮させてのけぞった。それを口火に、全員がいっせいに薫を指差す。

「すげー! 天然記念物!」
「いや! 日本一の孝行息子だ!」
「ギネスもんだ!」
「サンタ協会から表彰されるぞ!」

爆笑と、様々な声が薫を取り巻く。薫はめまいを感じた。頭に血が回りすぎて、破裂しそうだ。
サンタは本当はいないんじゃないかって、うすうす気付いていたのに…。

居たたまれなくなって、薫はかばんを掴むと駆け出した。もうしばらくは、みんなに合わせる顔がない。

「あっ、逃げた!」
「ケーキ忘れるなよ〜。」

笑い声が追いかけてくる。薫は一散に走った。



葉末がキッチンでおやつのシュークリームを食べていると、兄の薫が駆け込んできた。2年前のあの日と同じように、目にいっぱい涙を浮かべている。そうしてあの日と同じように母に噛み付いた。

「お母さん! やっぱりサンタなんていないんじゃないか!」

葉末は思わずシュークリームを吹き出しそうになった。やっぱりうちの兄貴はすげえ。

母は事もないような顔で薫を出迎えた。

「まあまあどうしたの、薫ちゃん。何を泣きそうな顔しているの、中学生にもなって。」
「おっ、俺は、お母さんの言った事を信じてたんだ! サンタはどこの街にもいるって!
本当はそんなの、いやしねえんじゃねえか!」
「あらまあ、いやあねえ、お母さんはちゃんと、サンタさんはどこにも紛れているって言ったでしょう?」

母はある日こんな事態が来るのを予期していたのだろうか。いやに返事に淀みがない。

「うちの担当のサンタさんは、うちのお父さんなのよ。当たり前でしょう? だから、サンタは実在するし、実在しないの。」

楽しそうな母の言葉を聞き、薫はうっと言葉に詰まる。

「でもうちのお父さんサンタは本格的よ。ちゃんと赤い衣装も用意して、外から入ってくるんだもの。あなたたちも子供の頃には、あの姿を見て大喜びしたでしょう。」

確かに薫にも葉末にも、サンタの衣装を着た父に大喜びした記憶がある。あれだって、あの時点では本物だと信じていたのだ。

「親はね、子供に夢を与えるのが仕事なの。だから、サンタなんて、子供が信じているうちは決して正体を現しちゃいけないんだけど…、はぁ〜、もう薫ちゃんも卒業なのね〜。お母さんさみしいわ〜。」

葉末はわなわな震える兄がちょっと気の毒になった。母は自分の楽しみのためだけに兄をたばかっていた節がある。いや、絶対そうに違いない。

「100円パーキングにトナカイ繋いで…って…。」
「あの日はお父さん夜勤だったのよ〜。」

母は何の動揺もなく、すらすらと応える。

「わざわざ勤務先からサンタの衣装着てねえ、会社のカブをそこのパーキングに止めて、こっそり帰ってきたのよ〜。そのカブが「トナカイ号」ね♪」

唖然とする薫を軽くシカトして、母は話を続ける。

「薫ちゃんも葉末ちゃんもとっくに寝ている時間だったけど、もし起きちゃったらサンタが来たって大喜びするはずだって楽しみにしていたのに、結局二人とも起きなかったのよねえ。お父さん、がっかりしてたわ〜。」

ねえ、と葉末に向かって微笑みかける。共犯にされてはたまらない。葉末は知らないと必死にぶるぶる首を振った。

「今年もお父さんに着てもらおうかと思って、サンタの衣装を久しぶりに出してみたのよ。それとも、薫ちゃん着る?」
「……………ぜってー着ねえ……。」
「そう♪」

母の満足気な顔と、兄の凶悪な顔を見比べて、葉末はため息を吐いた。今の薫にサンタの衣装なんて危険すぎる。単純明快な薫の気質くらい、葉末には手に取るように分かる。きっとサンドイッチマンだろうがなんだろうが、サンタと言っただけで、今の薫は目の敵にしているだろう。
でもきっと、薫はまた、母の言葉に素直に引っかかってしまうのに違いないのだ。

「まあそうでなくっちゃ、兄さんじゃないけど。」

だけど今は迂闊に口出しして、薫のぶちきれるのに遭遇したくない葉末だった。



その頃の乾家。

夕食を呼びに来た母は、息子の妙な格好に呆れて突っ立っていた。

「なに、そのサンタの服? どうしたの?」
「ふふふ、最近は100円ショップでもこれくらいは買えるのだ。しかしサイズまでは如何ともし難いな。」

ごていねいに赤いキャップに白いひげまでつけた乾は、黒ぶちの眼鏡を光らせて無気味に笑う。しかし大男の彼にはお仕着せのサンタの衣装は小さすぎて、たくましい手足がにょきにょきとはみ出ている。スリムで背の高い、妙なサンタの出来上がりだった。

「こんどのテニス部のクリスマスパーティーに着ていくのだ。」

乾はしごく満足そうである。

「きっと海堂が小躍りして喜ぶに違いない。感激のあまり抱きついてきちゃうかも。
……ふ、本当に可愛い奴♪」

薫の鉄拳制裁が待ち構えている事など、知るよしもない乾だった。



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