赤い本と本当の気持ち 1




「なーなー、ケン兄ちゃん、あれ取ってよ。」
「あん? どれだって?」

悟空の腕の鎖がじゃらりと鳴る。精一杯腕を伸ばしても、悟空の小柄な体躯でははるかに届かない位置に、そのお目当ての物はあるらしい。
捲廉がのっそりと立ち上がって近づくのを待ちきれず、悟空はひょいと本棚に飛びついた。
ガシガシと棚をよじ登り始める。

「うわっぷ、埃だらけ〜。」
「おい、待てよ、猿。」
「あ、悟空、そこは…。」

捲廉と天蓬が同時に声をあげる。もっとも、捲廉が慌てて駆け寄ったのに対して、天蓬は涼しい顔でその場を動こうとしない。
本棚に蝉みたいに張り付いている悟空を抱き取ろうと捲廉が腕を伸ばした途端、悟空の手がかりにしていた本が1冊棚からすっぽ抜けた。

「わ!」
「でえッ!」

どかどかと盛大な音を立て、微妙なバランスで詰め込まれていた本が、なだれのように降り注ぐ。
悟空も捲廉もとっさに自分の頭を抱え込むことしかできない。
何しろその殆どがハードカバーの本ばかりだ。一撃を浴びれば相当に痛い。

「…ッかやろう! だから待てって言ったろーが!」
「だって〜、あそこにア●パ●マンが〜…。」

もうもうと立ち上る埃にむせ返りながら、捲廉は悟空を怒鳴りつける。
悟空の目が涙目になっているのは埃のせいばかりではないらしい。

「あー、見つけちゃいましたか。そこは特に魔窟だから、なるべく手を触れないようにしてたのに。」

埃のおさまったころあいを見計らってやってきた天蓬は、何事もなかったかのようににっこりと微笑む。
魔窟と本人が言うだけあって、そこには本以外にも、作りかけの模型だの束にしてひねった封筒だの、なぜか片方だけの靴下だのが散乱している。
捲廉の目が凶悪に吊上がった。

「掃除しろっっ!」
「んー、でもねえ、生活に支障はないんですよお〜。」

がうがうと噛み付く捲廉を軽くいなし、天蓬はあたりを見回した。

「あー、これはまた、派手にやっちゃいましたねえ。後で捲廉が掃除するのが大変だ。」
「何で俺がッ!」
「悟空、気をつけないといけませんよ。古い書物には魂が宿るんです。引き込まれちゃいますよ。…おや。」

捲廉の様々な悪態をきれいに無視し、天蓬は1冊の本を取り上げた。
元は鮮やかな赤だったろうと思われるその表紙は、日に焼けて白っぽくささくれている。

「…こんなところにありましたか。」

懐かしい恋人を抱きしめるようにその本を抱え込む天蓬に、悟空が興味津々の目を向ける。捲廉もふと真顔になった。

「なあ、天ちゃん、その本なあに?」
「これはねえ、僕の青春の1ページですよ。」
「青春の1ページだあ?」

捲廉が頓狂な声をあげる。ぶはっと吹き出しかけるが、天蓬の冷たい一睨みでしゅんとおとなしくなる。

「なんか特別な本なの? こんなにいっぱい、どこから持ってくるんだよ。」
「それは俺も聞きたいな。掃除してやってもやっても、たちまち溢れ返っちまう。一体どこから持ってくんだよ。本屋通いしてるわけでもないくせに。」

床に座り込んだまま、捲廉は上目遣いに天蓬をねめつける。どうやら少し拗ねているらしい。
天蓬は本を抱え込んだままくすりと笑みをこぼした。

「軍の予科の図書館から借り出してくるんですよ。あそこの司書は大層有能で、手に入れられない本はないんです。
過去に出版された本はもちろん、世界に1冊しかない本やら、未来に出版される本やら。」
「未来? うそつけ!」
「本当ですよ。そこは神様ですから。」
「借りたモンなら返せよ…。」
「いいんですよ。彼女の手に入れられない本はないんですから。実際僕は、本の返却を迫られたことなど1度もありません。そしてこの本は…。」

腕に抱えたままの本をいとおしそうに撫でる。

「僕がリクエストしたんです。ありえない実話を載せた本って。」
「ありえない実話?」
「…うーん、どこからお話したもんですかねえ。」

天蓬は人差し指で頬を抑え、夢見るように遠い目をした。



「昔は僕のこの顔は、どこかおかしいのだと思っていました。」
「…何をやぶから棒に…。」

少し上ずった声で捲廉は言う。言葉のけんつくな割には少し頬が赤らんでいる。動揺しているのかもしれない。

「本当に我こそはと思えるような美童でしたからね、僕は…。たいていの人は僕の顔を見ると息を飲んだものです。
漆黒の髪に雪のような肌、ばら色の頬、深い藍の瞳…。でも当時は、自分の顔が人を引き付けることなど分かっていませんでしたから、僕の顔を見た後の大人達が急に優しくなったり、反ってつっけんどんになったりするのは、何か僕の顔に変な所があるせいと思っていたのです。
「でもじきに、そうでないことはわかりました。あからさまに僕の顔を褒め称える奴等が増えてきたからです。
僕は顔の造作を誉められるたびに、自分の顔が嫌いになっていきました。」

天蓬はつるりと頬を撫でた。柔らかい手のひらに伸びかけた髭がザリザリと当たる。
そろそろ身支度のことでまた捲廉に文句を言われる頃だとぼんやり考える。
あのクラスメートも自分のことのように天蓬の身支度について口やかましかった。



「…おまえが好きなんだ。」
「………。」

背の高い彼に壁に張り付けるようにされると、天蓬は身動きも叶わなかった。
天蓬の沈黙に焦れたのか、彼は更に言葉を繋ぐ。

「一目見たときから好きだった。おまえが笑いかけてくれるのが俺の何よりの喜びなんだ。」
「…やっぱり顔ですか。」
「え?」
「やっぱり僕の顔がお好みなんでしょう。」
「顔? 顔はもちろん好きだけど…。」
「結構です。顔を誉められても僕は何も嬉しくありません。」

強引に腕の間からすり抜けると、彼は愕然とした顔をした。
縋る手を払い除けると、今度は泣きそうな顔になった。br>
なにかまだ未練がましいことを呟いている彼を置き去りにしながら、天蓬はやりきれない思いをかみ締めていた。
一体何人目になるのだろう。また友人を失ってしまったようだ。まして親友だと思っていた男に愛を打ち明けられるなど最悪だ。

天蓬は顔を誉められるのが大嫌いだった。顔の造作など、何一つ自分の手柄ではない。
自分の顔を誉めてくれる人たちは、顔ばかり見て自分の内面など何も見てはくれない。
きれいな顔だと言われるたびに、鳥肌が立つ思いがした。
自分の顔を隠すために、髪を伸ばし伊達めがねを掛け、自分の肌に合わないと知りつつ軍隊の予科にまで入ったが、それでも顔を誉められる回数はいっかな減らなかった。それどころか反って増したかもしれない。
男ばかりの異様な環境の中では、天蓬のきれいな顔は男達の格好の慰めの的になるようだった。

「いっそこの頬に大きな傷でもつけるといいんでしょうか。それとも覆面でも被ってすごしましょうかねえ。」

ずらりと居並ぶ書架の間をさまよいながら、天蓬は呟いた。
嫌な事があるとここに逃げ込むのが天蓬の常だった。
滅多に利用者のいないこの図書館の、古い紙の匂いを嗅いでいると心が落ち着くようだった。

 あてどもなく歩いているうちに、カウンターの向こうの司書の姿が目に入った。
肌も頭髪も服装も真っ白な彼女は、いつも端然と座っていて、まだ未記入の日記を思わせた。
彼女はおよそ本に関する限り不可能という文字を知らないようだった。
天蓬が依頼する書籍はいつでも、あっという間に彼女の手元に現れた。
その彼女の取り澄ました表情を崩してみたい。ふと彼の胸に、そんないじわるな思いが湧いた。
わざと足音を高く立てて歩くと、彼女は顔を上げて軽く天蓬を睨んだ。天蓬はそのままカウンターに肘を着いた。

「ここにはない本が読みたいんですけれど。」
「…例えばどんな?」

彼女の声を聞いたのはこれが初めてだった。天蓬は軽い驚きを覚えつつ、思案にふけるふりをした。

「…そうですねえ。ありえない実話なんてどうです。」

彼女は僅かに眉をひそめた。見据えられると心の奥底を探られた気分になる。
たじろぐ天蓬をそのままに、彼女はすっと手を伸ばして―マニキュアまで白だった―書架の一角を指差した。

「貴方にはあの赤い表紙の本がいいでしょう。でも、お気をつけなさい。」

それだけを告げると、また手元に視線を落としてしまう。内心拍子抜けしながらも、天蓬は教えられた書架へと足を運んだ。



 彼女の言う、赤い表紙の本はすぐに分かった。なぜかその本だけが強く自分を呼んでいるような気がしたからだ。
ぱらぱらとめくってみる。旅の僧と3人のお供が苦難を乗り越えつつ西へと向かう話だ。
特にありえないこともなく、むしろありふれた話だ。
異彩を放つのは、生き生きと描かれた挿絵ぐらいだろうか。天蓬は少しがっかりした。

 だが、やがて天蓬の頁をめくる手が止まった。
本の中ほど、乾いた景色を風景に目を細めて笑う赤い髪の男に、視線が吸い寄せられた。
逞しい胸を寛げ、タバコを唇の端に引っ掛けて、その男は妙に少年じみた笑顔をしている。
訳もなく天蓬の胸が躍る。

「………!」

天蓬は慌てて本を閉じた。重い表紙の本は勢いよく閉じられてパタンと大きな音を立てる。
赤い髪の男の、紅玉の瞳がきょろりと動いて自分を見つめた気がしたのだ。
そんな馬鹿なことがあるはずがない。
天蓬はその本を胸に抱きしめたまま、しばらく立ち尽くしていた。

「そんな事…、ただの絵なのに…。」

天蓬はそろそろともう一度本を開いてみた。
先ほどの挿絵は容易に見つかった。目を凝らしてみても、今度は瞳が動くわけもない。
ゆっくりとその頁を撫でてみる。何一つ変哲もないただの紙だ。
だが、指が彼の顔に掛かった途端に、天蓬はもう一度びくんと肩を跳ね上げた。

 彼の唇に触れていた人差し指に痛みが走ったのだ。

 慌てて手を離すと、指先にぽつりとビーズのように血が盛り上がっていた。
天蓬は呆然とその血を見つめた。まるで噛み付かれたようだ。

「紙が…ささくれていたんですね、きっと…。」

天蓬は自分を納得させるように呟くと、今度こそその本を書架にしまった。
そうしないといつまでも彼を見つめてしまいそうで、自分が恐かったのだ。



 静かにドアを閉めたつもりだったのに、やはり司書は顔を上げた。
天蓬の顔を認めると、黙って手元の本に目を落とす。天蓬はほんの少し恥ずかしい思いでいつもの書架の前に立った。
まるで人目をしのんでの恋人との逢瀬を盗み見されている気分になる。
ここのところ毎日のように、天蓬は図書館に通っていた。例の赤い表紙の本を見るためだ。
いつものようにその本を手に取ると、当然のように赤い髪の男の頁が開いた。
毎日その頁ばかりを開いているから、癖がついてしまったのかもしれない。だがそればかりではないように思える。
赤い髪の男―悟浄という名だ―が天蓬の訪れを待っている気がするのだ。

 実際、天蓬はなぜ自分がこんなにも悟浄のことが気になるの分からなかった。
悟浄の生い立ちの章は、暗記するほど読んだ。
赤い髪と瞳が禁忌とされていることも知った。その上で悠然と髪を伸ばし、倣岸に笑う彼の強さに胸が空くのかもしれない。
あるいは、自分の存在を拒絶された証の頬の傷跡をさらけ出す強さに。

「…おや?…」

天蓬は眉をひそめた。違和感を覚えたのだ。
初めて彼を見たときには、彼はもっと横を向いてはいなかったか。
今は上半身をひねり、軽くこちらに向かって手を差し伸べている。天蓬は我知らずどぎまぎとした。
悟浄の紅玉の瞳がまっすぐに天蓬を見据えている。視線は間違いなく天蓬を捕らえている。

「そんな…馬鹿な。」

気のせいだと思った。だが、どうしても視線が外せない。
思わずごくりと生唾を飲み込んでいた。
ノド仏が妙にゆっくりと上下すると、絵の中の悟浄がふ、と笑った気がした。

「………えっ?」

驚いて息を飲むと、悟浄が何事か呟いたように見えた。
気のせいか指先までひらひらと、天蓬を誘って踊っているように見える。
気のせいに違いないのだろう。だってこれはただの絵なのだ。
だが、天蓬は自分の頭の中に響く、聞いたことのない声に気づいてしまった。その声はこう囁いている。

「…俺の名を呼んでみろよ。」

心地よく耳に残る声だ。天蓬はくらりと目が回るのを感じた。
少し黄ばんだ紙に、妙に鮮やかに描かれた悟浄は今度こそはっきりと微笑んで見せた。自信に充ちた瞳が挑発するように天蓬を見つめる。

「悟…浄。」

うなじの毛がちりちりと逆立っていた。胸の奥に熱い塊が生じたようで、思わず答えていた。彼の返事が聞きたかったのだ。

答えた途端、視界が歪んだ。
ぐんにゃりと床が蕩けていき、全身の骨が崩れ落ちるような感触。
その中で、悟浄が確実に腕を伸ばしたのだけが目に焼きついた。



深い水底から一息に浮上するとこんな感じだろうか。
全身を締め付ける圧迫感から急に解き放たれて、天蓬はつんのめった。
大きく傾く体を、たくましい腕が支えてくれる。目の前に赤い髪がなびき、天蓬ははっと目を見開いた。

「よう。」

耳元で甘い声がする。顔を上げると、そこには本で見慣れた悟浄の笑顔があった。
日に焼けた浅黒い顔を少し歪めるようにするのが妙に少年ぽい。

「! ここは…。」

天蓬は慌ててあたりを見回した。
たった今まで図書館の人工的な青白い光の中にいたはずなのに、いつのまにか西日の強くさす荒れ地に立っている。
雨の少ない土地なのか、風が吹くと赤い砂埃を巻き上げた。

「俺のこと見てただろ、あんた。ひりひりするような視線で。やけどしそうでたまんなかったぜ。」

悟浄は天蓬の胸に回していた手をするりと解いた。

「呼んだだろ、俺のこと。だから、会いに来てやったぜ。」

会いに来てやったというより、引きずり込んだのではないか。天蓬は呆然としたまま考えた。
緑の少ない乾いた大地に、自分の薄汚れた白衣とサンダルは酷く不釣合いだった。
悟浄を見上げると―癪なことに見上げなければならない背の高さだ―何が嬉しいのか、得意そうに鼻の下を擦ってへへと笑う。こんな図体をして、やはり少年めいた仕草だ。
だが、夕日を背にした悟浄の髪は、燃え盛る炎のような見事な赤さで、思わず天蓬は憤るのも忘れて見とれてしまった。

「なにきょとんとしてんだよ。行こうぜ、天蓬。」

悟浄はさも当たり前のように背を向けた。ついてこいと言わんばかりに2本の指に挟んだタバコを振ってみせる。
天蓬はいらいらしながらもついていくしかなった。
まもなく日の落ちる見知らぬ土地ではどこにも動きようがなかったし、悟浄以外には頼る人間も見当たらなかったからだ。
どうしてこんなところに迷い込んでしまったのだろう。なによりも、この男はどうしてこんなに気安く自分の名前を呼ぶのだろう。
悟浄の後ろ姿を小走りに追いかけながら、天蓬はぶつけようのない苛立ちを持て余していた。



「あんたさあ、意外ととろいんだな。あんなところでこけるかよ、普通。」
「仕方ないじゃないですか、サンダルじゃ、岩場は歩きにくいんですっ。」

天蓬は悟浄の、「来てやった」という言葉を、町に入るまでに身を持って実感していた。
悟浄と出会った場所から町までは結構な距離があった。途中に足場の悪い所もあり、天蓬はすっかり閉口させられた。
悟浄は天蓬の足取りに気付くとぶつくさ言いながらも立ち止まってくれ、時には手を引いてくれたりもした。
何度かふざけ半分の応酬があったおかげで、天蓬は少し悟浄の事が分かった気分になっていた。
要は照れ屋なのだ。天蓬が感じた笑顔そのままに、自分の感情を素直に表に出すことが多いに照れくさいらしい。

町に入ると、悟浄の背中が心持ち伸びたようだ。なんだか無理に肩で風を切っているように見える。
町を行き交う人々の、悟浄を見る目が三々五々なのにも天蓬は気付いた。
あからさまに目を背ける人のほうが圧倒的に多い。
天蓬の目には人々が悟浄の赤い髪を避けている様子がよくわかった。
だが若者にとっては、悟浄は忌避の対象にはならないらしい。
悟浄の姿を認めた若者が側によってきた。まだ日が落ちて間もないというのに、すでに真っ赤に酒に焼けた顔をしている。

「よう、悟浄、今日はやってかないのか?」

若者の、指先だけを器用に動かす仕種とだらしなく笑み崩れた顔つきで、何かいかがわしい賭け事に誘っているのがわかる。
だが悟浄はあっさり首を振った。

「わりぃ。今夜は先約があるんだ。」
「この兄ちゃんか? へえー…。」

若者は天蓬のてっぺんから爪先まで、嘗め回すように眺め下ろした。
視線に探りまわられるようで、天蓬は思わず身を竦めた。

「…なかなかきれいな兄ちゃんじゃないの。今夜はお楽しみかい?」
「ちょっとぞくぞくするような美人だろ。指咥えて見てろよ。」

悟浄にいきなり肩を抱かれて、天蓬ははっと我に返った。すぐ側に悟浄のにやけた顔がある。
腕を振り払おうともがいてみたが、悟浄の腕は鋼のようで簡単には解けない。
悟浄は若者に合図を返すと、天蓬を腕に抱え込んだまま、強引に振り返った。するとそこには、肌の露出もあらわな女が二人立っていた。

「お見限りじゃないのぉ、悟浄。今夜は遊んでいってくれないの?」

胸の谷間を強調するために組んだ腕をわざとらしく持ち上げて、女達は婉然と笑った。悟浄と天蓬を等分に見比べて、値踏みでもしているかのようだ。
天蓬は頬にカッと血が上るのを感じた。女達に鼻先で笑われた気がしたのだ。
だが、悟浄はそんな天蓬の様子にまったく無頓着な様子だった。

「ああ。ごめん。また今度な。」
「待ってるわよ、悟浄、こないだの夜は素敵だったわ。」

嬌声が肩を組んだ天蓬と悟浄の後を追いかけてくる。天蓬は悟浄を睨み付けた。

「…ずいぶん人気があるんですね。」
「ああ?」
「ああいう女性たちと…親しくつきあっているのでしょう。」
「なんだ。…妬いてくれてんの?」

思ってもいなかった返事に、天蓬は思わず悟浄の顔を見た。間近で見る悟浄の紅玉の瞳が悪戯っぽく輝いている。

「やつらはただの飲み友達だし、彼女らはただのセフレ。割り切った大人のお友だちさ。」
「セフレって…、まさか…。」
「あれ? あんたってそういうの駄目な人? 不潔っとか言っちゃう人なワケ?」
「………。」
「おーおー、恐い顔しちゃって。セックスなんてただの粘膜の擦りあいだろ? そんな深い意味無いって。握手と一緒だよ。あーくーしゅ。」

にやけた声とともに、天蓬の目の前に悟浄の大きな手が差し出された。
いかにも余裕ぶった悟浄の表情が癪で、天蓬はその手を取り、途端にひゃっと悲鳴を上げた。
悟浄の右手は器用に中指が折りたたまれていて、手を握った瞬間に手のひらをぐりぐりと擦られたのだ。
いきなりの感触は妙に官能的で、無防備な体の奥を擦られたようにも感じ、天蓬は声を抑えることができなかった。
悟浄の手を振り解いて睨みつけると、彼はなんだか嬉しそうな顔をしている。
その表情にしてやったりという文字が浮かぶようで、天蓬はからかわれたのだと気付いた。更に頬に血が上る。
動揺を見せたのが悔しくて、ふいとそっぽを向いてやった。

「…あいつらは、篝火に飛び込む蛾とおんなじだよ。」

打って変わった静かな声に、天蓬は驚いてもう一度振り返った。
悟浄は相変らず微笑を浮べたまま、だがその顔がなんだか淋しそうに見える。

「この赤い髪が珍しいんだ。キケンだと分かっちゃいるけど、飛び込まずにはいられない。
どいつもこいつも、俺にタッチできることだけがステータスなのさ。だから決してそれ以上かかわっちゃ来ない。
わが身を焼き尽くされるのは恐いんだろうよ。」

天蓬は唖然としてその端正な横顔を見つめていた。
ほんの少し前までやんちゃな少年だった顔が、ほんの数秒の間に憂いを秘めた顔になっている。今にも泣き出しそうに思えて、思わず悟浄の服にすがり付いていた。
紅玉の瞳から流れ出るのは真っ赤な血のように思えたのだ。

「なーんて、な。」

おどけたように悟浄は言いたし、天蓬の頭を自分の胸に抱えてぽんぽんと軽く叩いた。
まるであやすような仕草が、実は悟浄自身を宥めているようで、天蓬はふと切なくなった。



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