いつか会える日まで




淋しいって言葉を教えてくれたのは、一人の時間じゃなくて大勢の人たちだった。

日だまりには俺と同じぐらいの年の小坊主たちが遊んでいる。今はジユウジカンなのだ。
今日も三蔵は仕事で忙しくて俺には構ってくれない。俺はドキドキしながらその子達を見た。三蔵について山を下りてきてから半月。俺はずうっと一人で遊んでいる。
三蔵はみんなと適当に仲良くしろって言うけど、みんな俺の顔を見ると急に忙しくなっちゃうんだ。だけどきっと今なら大丈夫。だってみんなあんなに楽しそうに遊んでいるんだから。俺は思い切って足を踏み出した。

「なあ。なにしてんの? 俺もまぜてよ。」

声を掛けると、何人かがすっと立ち上がる。側に立てかけていた竹箒をわざとらしく手にするのを見て、俺はがっかりする。やっぱりみんな忙しいらしい。

「…いいぜ。遊んでやろうか。」

一番体の大きい子がそう言った。俺は嬉しくなって思わずぴょんと飛び跳ねた。他の子達はびっくりしたようにそいつを見てる。だけど俺は一緒に遊んでもらえる事が嬉しくて、そんな事はどうでもいい。

「うん! なにするの!」
「かくれんぼならしてやる。お前が鬼だぜ。」
「うん、いいよ! それってどうするの?」
「かくれんぼも知らないのかよ。」

聞いた事のない遊びだったけど、俺は勢いよく頷いた。その子は呆れたような顔をして、鼻先で笑った。

「いいか、お前は鬼だからな、まずあの木の下まで行くんだ。」

その子が指差したのは、東の山の天辺に立っている杉の木だった。ちょっと遠いけど、行けない事もない。

「そうしたらな、その木の下で目を瞑って三百数えるんだ。その間に俺たちがそこまで行って、その辺りに隠れるからな。鬼はそれを探すんだ。」
「うん。三百…、三百って?」

俺は両手の指をもじもじさせた。この間三蔵がとりあえずって教えてくれたのは、両手の指で数えられる十までだった。
その子は可笑しそうに顔を歪めた。「つくづくバカザル。」って呟くのが聞こえた。

「いいか、十が十個で百だ。百が三つで三百だ。足の指も使えよ。百数えられるだろ。」
「ふ…、うん。」

足の指も十個だ。十数えたら、一つ印をつければいいんだな。それを三回か。ちゃんと数えられるかな。

「俺たちはこれを片づけたらすぐに行く。全員見つけるまで帰ってきちゃ行けないんだぞ。ほら、行けよ。」
「うん、わかった! じゃ、待ってるからなっ!」

俺は東の山めがけて勢いよく走り出した。



生き物は苦手だ。飼うつもりなんかさらさらなかった。

俺は薄闇に暮れだした山を見上げた。大きく首を回すとごきごき言う。大僧正の部屋から、俺の執務室に戻る途中の廊下に俺はいる。書類仕事は面倒くさくて嫌いだが、だからといってじじいの茶飲み話に突き合わされるのもごめんだった。
せっかく今日は少しは早く仕事が終わると思ったのに、大僧正のじじいに今まで付き合わされたのだ。益体もない世間話を聞かされるより、新しく飼ったサルに躾でも仕込んでいた方が幾分かマシだった。

そう言えば、今日はサルが遊びにこない。

いつも何かしら理由をつけて、あのサルは俺の仕事を邪魔しにやってくる。暇だ、つまらないと騒ぐのも、もっともだとは思う。
もともと寺の奴等にサルの飼育の手伝いなど期待してはいなかったが、それにしても奴等の態度はあんまり冷淡すぎる。サルは、俺とじじい以外の誰とも口を聞いてはいないのではないだろうか。

裏庭は広く、そのまま畑に繋がって山になる。その泥道を、小坊主たちがやかましく喋りながら歩いている。俺は聞くともなしに耳を傾けた。

「あいつ、まだ数を数えてるのかなあ。」

いっせいに笑い声が上がる。何がそんなに可笑しいのだろう。俺は足を止めた。
p 「無理無理。あいつに三百なんか数えられるわけないって。」
「たとえ数え終わっても、誰も見つけられっこないしな。」

またひとしきり笑い声が上がる。そして、一番大柄な小坊主が言った。

「サル妖怪なんか、帰って来なくてせいせいするさ。」
「おいっ。」

考えるより先に、言葉が出ていた。小坊主たちは身を竦ませ、振り返ってあからさまにしまったという顔をした。

「さ、三蔵様…。」
「サル妖怪ってのは悟空のことだな。あいつはどこへ行った。」

睨み付けると、お互いを肘で小突きあって躊躇する。いらつく態度だ。俺は額に青筋が浮かびあがるのを感じた。

「俺には言えないようだな。」
「かっ、かくれんぼをしようって彼が言い出して…それで…。」

一番大きな小坊主が上ずった声で言う。俺の顔色を窺うような嫌な目付きだ。

「東の山のてっぺんの、一本杉の下で待ってるからって…一人で飛び出していってしまって…。」
「ほう。」

俺は腕を組んで奴等を見下ろした。落ち着きなく踏み変える足。おどおどと定まらない視点。どう見ても正直に話しているとは思えない。まあいい。とりあえずサルの居所はわかった。

「悟空にも聞いてみるが…、お前ら自分の言った言葉に責任持てよ。」

そう言ってやると明らかにすくみ上がる。これぐらいは脅してやらなければ気が済まない。

しかし、東の山か。俺はチッと舌を打ち鳴らした。
面倒くさいが、サルを回収しに行かなければなるまい。お人好しのサルは、誰かが迎えに行くまで何年でもアホ面を晒して待っているだろう。

だから生き物を飼うのは嫌なんだ。余計な手間が掛かる。俺は荒々しく足を踏み出した。



三百数えるのはうんと大変だった。杉の下にはたくさんの小石が落ちていたから、俺はそれを拾い集めて足の指の周りに置いた。
あの子は目を瞑ってって言っていたけど、目を瞑っちゃうとすぐに分からなくなっちゃう。だから俺は薄目を開いて、足指の周りに数えた小石を置いていった。
両手の指を開いて折って、小石を一つ置く。だけど結構難しくて、俺は多分百を十個くらい数えた。

顔を上げると、空はピンク色になっていた。もうじき日が暮れる。
みんなを探さなきゃ。俺は立ち上がって辺りを見た。みんな、どこに隠れているんだろう。見事なくらい人気がない。俺はあちこちの茂みを覗き、木に登り、一抱えもある岩をひっくり返しもした。だけど誰も見つからない。すごいなあ。みんな、こんなに見事に隠れるんだ。

ちらりと小さな疑いが俺の胸を掠める。本当は、誰もここには来なかったんじゃないのだろうか。俺はまたこの場所で、誰にも忘れ去られて過ごさなくちゃいけないんじゃないのだろうか。
俺はすぐに首を振る。そんな事はない。みんな先に行っててって言ったんだから。俺が待っているのを知っているんだから。

小さな茂みががさがさ揺れた。俺は喜び勇んでそこを覗いた。だけどそこには誰もいなくて、斑点のある大きな猫が俺の顔を見てふーっと背中を逆立てた。

「なあんだ、猫か。…あれっ?」

猫の、お腹の辺りがもぞもぞ動いてニーニー声がした。俺が顔を近づけると、猫はますます恐い顔でうなる。猫のお腹の辺りが波打って、小さな顔が二つ覗いた。

「仔猫だ! うわあ!」

小さな頭が押し合いへしあいしながら親猫のお腹を押し上げる。俺は思わず手を伸ばした。むくむくした可愛い仔猫。抱っこしてみたかったんだ。

「あいてっ。」

だけど親猫は俺が仔猫に触れるのを許してくれなかった。ふぎゃっと叫んで、俺の手に爪を走らせる。綺麗に三本ならんだ赤い筋は、たちまち赤い血をビーズみたいに浮き上がらせた。

「ちぇ、わかったよ。見てるだけならいいだろ。」

俺は少しふくれながら親猫に話しかけた。相変わらずふーふー唸るので、仕方なく身を伏せて、茂みの隙間から猫たちを見つめるだけにした。
だけど、親猫はそれでも気に入らなかったらしい。俺を睨み付けながら立ち上がると、もじもじ動く仔猫の首筋をゆっくり咥えた。

「あ…。」

仔猫は首根っこを咥えられると急におとなしくなった。親猫はそれを咥え上げ、なんだか誇らしげに胸を反らし、すたすた歩いて別の茂みへ消えた。俺の事が本当に気に入らなかったらしい。
しばらくして戻ってくると、もう一匹も同じように咥え上げてどこかへと姿を消した。遠くの茂みががさがさ言って、それっきり静かになった。
だけど俺はじっと身を伏せたまま、そこでおとなしくしていた。だって、俺の目の前には斑点のある仔猫がもう一匹蹲っていたからだ。
他の二匹よりだいぶ小っちゃくて、なんだかぺしゃんと汚れた奴だった。ぷるぷる震えては親猫を呼ぶように口を開けるのだけれども、さっきの二匹のように元気な声は全然出ない。
俺はじっと待った。もうじき親猫がこの子を迎えに来る。こんなに震えて寒そうだから、飛び切り優しく咥えて暖めてあげるに決まってる。辺りがすっかり薄暗くなって、丸めた腰がみしみし言い出したけど、俺は静かに息を殺して待っていた。



「ちっ、全く手間の掛かる…。」

薮を漕いで前髪に張り付いた枯れ草を、俺は乱暴に払った。目的の一本杉は目前だ。
ほんの少し冷静になって考えれば、いくらサル頭でも小坊主たちが短い休憩時間にこんな所まで遊びに来やしないことなど簡単に思い付くはずだ。
確かに小坊主たちとも仲良くしろと言ったのは俺だが、それにしても単純すぎる。俺はいらいらと足元の石を蹴飛ばした。
いくら人恋しいとは言っても、ちっとは人を疑う事も覚えろ。

やっとたどり着くと、もうすっかり日が落ちていた。赤いインクを垂らしたみたいな夕暮れの中で、サルは妙な格好で蹲っていた。

「悟空!」

苛立ちが俺の声を荒くする。サルは振り返ってなんだか俺を責めるような目をした。

「何やってんだ。帰るぞ!」
「俺、待ってるんだ。」
「………。奴等ならとっくに帰って働いてる。待ってたって無駄だ。来い。」

騙されたんだと教えてやるのがなんとなく憚られて、俺はきつくそう言った。サルはパチパチと目を瞬いて、それからゆっくりと背中を伸ばした。

「猫が来るんだ。」
「猫ぉ?」
「うん。親猫が、この子を迎えに来るんだ。」

俺はサルの蹲っている茂みを覗き込んだ。
へし折られた下ばえに、動物の毛が絡まっていて、そこが何かの巣だったことがわかる。サルの指差す先には、貧弱な山猫の子がぐったりと伸びていた。

「山猫の巣じゃないか。」
「うん。俺が覗いたから、親猫が怒っちゃって、他の子達はつれて行っちゃったんだ。だけどこの子だけ、まだ迎えに来ないんだよ。…もうずいぶん待っているのに。」

サルはそうっと手を伸ばして、その仔猫を掬い上げた。力なくくたりと垂れる頭をおっかなびっくり支えて、俺のほうをじっと見る。

「…どうして迎えに来ないんだろう。」
「……山猫にだって、都合はあるんだろうさ。」

サルの縋るような視線が痛くて、俺は本当の事が言えない。自分自身、捨てられた仔猫みたいな目をして、サルは俺の顔をじっと見る。俺は目を逸らした。

「もう帰るぞ。日が落ちる。」
「この子…、一緒につれて帰ったらダメ? 明日親猫が来る前に、ちゃんと戻しに来るから。もう寒いのに、この子一人じゃ可哀相だよ。」

サルは後生大事に山猫の子を抱えていて、ダメだとでも言おうものなら、きっと自分もそこで夜明かしするに違いない。俺はため息を付いた。

だから生き物を飼うのは嫌なんだ。



すっかり日の落ちた山裾を、空のビンを抱えて俺は走る。早く帰ってあの子にミルクをあげなくちゃ。寺の坊さんはいじわるだったけど、三蔵があそこに行けばいいって教えてくれた。
本当はちょっぴり怖くて足がひけちゃうけれども、俺は仔猫のぺたんこのお腹を思い出して自分を奮い立たせた。

町外れの山裾に、妖怪のおばあちゃんが住んでいる。初めて俺が三蔵に連れられてこの町に入ったとき、一番に通ったのがこの家の前だ。
おばあちゃんは、ヤギをたくさん飼っていて、そのお乳を俺と三蔵に分けてくれた。とんでもなく大きな鼻と灰色の目を持つおばあちゃんは、俺と三蔵にミルクの入ったコップを渡してくれながら、俺を上から下までじろじろ見た。
山から下りてきたばかりの俺は、ガラスのコップなんか知らなくて、つい力いっぱい握ってしまった。パシャンって悲鳴みたいな音を立ててコップは砕け、床は一面ミルクで白く濡れた。おばあちゃんは飛び出しそうな目を見開いて、ああって、でっかい声を出した。
そのおばあちゃんの顔がものすごく怖かったから、俺は慌てて飛び出してしまったんだ。あとからゆっくり出てきた三蔵が、お前のせいで婆さんに怒られたって言うから、俺はますます怖くなってしまった。

あんなことをした俺に、おばあちゃんはミルクを分けてくれるのかな。
俺は大きく息を吸って、思い切っておばあちゃんの家の戸を叩いた。

「おや、あんた…。」

おばあちゃんは俺の顔を見ると、目玉をぎょろぎょろさせた。俺が準備していた言葉を言う前に、おばあちゃんの手が俺の手を掴んだ。

「見せてごらん、コップなんか握りつぶして! 危ないったらありゃしない!」
「う…、おばあちゃん、あの…。」
「よかった、傷はついてないようだね。全く、元気がいいのも考えもんだよ。おや、なにをびくついているんだい?」

おばあちゃんは俺の両手を検めて、安心したようにため息を付いた。
なんか三蔵の話と感じが違うぞ? 俺はちょっと首を傾げた。

「おばあちゃん、こないだはコップ壊しちゃってゴメンナサイ。三蔵が怒られたって言ってたから、俺…。」
「三蔵様が怒られた? そりゃそうだよ、こっちはあんたの事情なんか知らないんだ。もっと三蔵様が気をつけてやらなけりゃ、今に大怪我させちまうってたっぷり叱りつけたからね。
だけど別にコップのことなんか怒っちゃいないさ。そんなもの、いつかは必ず割れるんだ。で、今時分、何の用だい?」

どうも怒られたのは俺じゃなかったらしい。俺はあのときの三蔵のニヤニヤした顔を思い出した。なんか三蔵は妙に嬉しそうだった。

「あの…ね、仔猫にミルクを分けて欲しいんだ。」
「仔猫? 仔猫が飲む分くらい、毎朝たっぷりお寺にお布施してるだろうに。」
「ん…、庫裏の坊さんはね、妖怪にやる余分なミルクなんかないって。」

俺がそう言うと、みるみるおばあちゃんの顔が赤くなった。俺は今度こそ怒られるかもしれないと、小さく首を竦めた。

「まったく…、人間なんてバカばっかりだね。」

おばあちゃんは、俺に着いて来いって手招きした。おばあちゃんの家と繋がっているヤギの小屋へ入る。そこには、赤ちゃんを抱いたヤギが数頭、清潔な敷き藁の上に寝そべっていた。

「エラいって言われてる人間に比べりゃ、ヤギのほうが数段高級だよ。」

おばあちゃんは、一番近くにいたヤギのお母さんのお乳を搾る。ひょろひょろ歩く子ヤギが、お母さんのおっぱいを取られてメエメエ鳴いた。

「ヤギは自分の子に飲ますお乳を、みんなに分けてくれる。人間だろうが妖怪だろうが仔猫だろうが、分け隔てなくね。命の有り難さをちゃんと知っているんだよ。」

あっという間にビンは一杯になった。おばあちゃんは俺にそれを渡してくれると、ちょっと淋しそうな顔をした。
その時になって、俺はおばあちゃんの大きい灰色の目が、とても優しい色をしていることに気がついた。

「さ、早くもって帰っておやり。また遊びにおいで。」
「うん、おばあちゃん、ありがとう!」

まだ生暖かいビンを抱えて、俺はおばあちゃんに大きな声でお礼を言った。
今度、きれいな花を摘んで、おばあちゃんに持っていこう。きっと喜んでくれる。そう思いながら、俺はお寺に向かって走った。



戻る次へ