望まない君




第一話


かすかな声がいつも俺を呼んでいる。

耳障りな声だった。助けを求めているのに、切羽詰ったところのない、ただ惰性で俺を呼んでいるような、やけに緩慢な悲鳴だった。

だから俺は、そいつを助けに行ったんじゃない。俺をいらつかせる、そいつの顔を拝んでやろうとしただけだ。一つぶん殴ってやれればそれでいいと思っていた。おざなりに俺を呼ぶだけなら、二度と呼べないように口を塞いでやってもいいとさえ思っていた。

真っ青な空を突きぬくようにそびえ立った岩山の天辺に、奴はいた。
あんなに俺を悩ませたくせに、小さく丸まった奴は、今にも消え入りそうに見えた。近寄る俺の足音に気付いて顔を上げた奴は、酷く間の抜けた表情で俺を見上げた。黄金の瞳が俺に向けられた途端、心臓がズクンと竦むのを感じた。

俺はこの黄金を、確かに知っている。

「俺をうるさく呼んだのは…お前だろう。」
「俺…誰も呼んでないよ。」
「いいや、呼んだね。」

言いながら俺は、胸がざわめくのを止められない。長い睫を伏せ加減にしてぼそぼそ喋るサルみたいな少年は、俺の中の何かを、じりじり焼くみたいにいらつかせ

「連れてってやるよ…しょうがねえから。」

手を差し伸べる。少年はぼんやりと俺を仰ぎ見、のろのろと手を取った。少年が俺の手を取った途端、魔法のように戒めが解け落ち、堅牢な檻が崩れ去った。

「……名前は。」
「悟空。」

呼びかければ素直に答える。手を伸ばせばおとなしく掴む。そのくせそのサルは、なかなか腰を上げようとしなかった。俺は苛立って、力任せにその小さな手を握った。冷たい爪が、俺を責めるように掌に食い込んだ。

「どうした、立てよ。連れてってやるって言ってるだろうが。」
「これもきっと…夢なんだ。」
「夢?」

サルは顔を上げた。大きな黄金の目が俺を真正面からひたと捉える。だがその瞳はあまりにも透明すぎて、俺の姿はどこにも映し出されない。

「何度も見た。この檻が壊れて自由になれる夢。だけど目を覚ますとやっぱり檻はそこにあって、俺はいつでも一人きりなんだ。だからきっとこれも夢なんだ。期待しなければ裏切られることもない。だから俺は…なんにも望まない。」
「なにも望まない…だと?」

酷く傷つけられた気分になった。確かに俺の手を握り締めているガキが、俺の存在を否定するのだ。この気分はすでに苛立ちでなく、突き放された痛みだった。

「なにも望まないなら、なぜこの手を取った。」

俺は脅しつけるように唸った。親指で相手の手の甲を押さえつけ、掌を反らすようにしてそのまま握りこむと、強い苦痛を与えることができる。そうしてガキの小さな手をひしゃげさせると、悟空はびくりと体を竦ませた。

「答えろ! なんで俺に縋った!」
「なんで…? なんでだろ…。」
「痛えだろうが。ちゃんと顔を上げて俺を見ろ! これは現実だ。どんなにお前が嫌でもな!」

ぎりぎりと握り締めた手に力を込める。それでも悟空は顔を歪ませただけだった。力を緩めると、するりと俺の手から滑り落ち、また顔を伏せる。自分の身の回りのもの総てを拒絶するような頑なな態度が、俺の中の何かをぶち切った。

「こっちを向け!」

襟元を両手で掴む。悟空は初めて俺に気付いたように目を見張った。長い年月を経てきた粗末な衣類は、ちょっと力を込めると簡単に裂けて悟空の素肌を晒した。

「目を背けるな! これは現実だ!」

真っ白な肌だった。陽光に晒されない長い年月が作り上げた陶器のような滑らかさが、俺の中の凶暴な何かを猛らせる。擦り切れだらけのズボンに手を掛けると、細い腕が弱々しく抗い、俺の頬を引っかいた。ちりっとするだけの痛みが、俺を高揚させる。暗い喜びが俺を満たした。

手を上げる。思い切り打ち下ろす。乾いた高い音で悟空の頬が鳴り、長い髪がバラリと舞った。抵抗が緩んだところでベルトを毟り取る。どれだけの歳月がこのサルの上に降りたのだろう。皮のベルトさえ、もろくも引き千切れる。ズボンを引き剥がすと、華奢な下半身が浮いた。

驚くほどに軽い体だった。黄金の瞳と同じく、体まで虚ろなのだ。腕も足首も、簡単に掴みきれる。逃げ回る両足を捕らえて、引き裂くように開かせた。子供の体だ。下ばえさえ見られない。太腿の間に体をこじ入れ、片手だけで両手首を頭上に押さえつける。少年のシンボルをぎゅっと握ってやると、初めて悲鳴が漏れた。

「痛えだろう…。どうだ。」
「いやっ、…痛い! やだあ…っ!」
「夢なんかじゃこの痛みは味わえないだろう。」

細い肩が浮き上がり、必死に俺の下から逃れようと身をもがく。硬い岩に打ち付けられて、滑らかな肌に血が滲む。空虚な体にも血は通っているらしい。俺は悟空の肘から流れる血を舌で拭った。もぎ取ったばかりの果実みたいに甘い。

「放せよ…っ、痛いってば…っ!」

大きな瞳にかすかに光が宿った。潤んだその目は、憎しみを湛えて俺を睨みつけている。ぞくぞくと快感が俺の背中を駆け上った。

「遠慮すんなよ。…もっと現実を味あわせてやるからよ。」

俺の手に揉みしだかれていたシンボルは、痛みの方が強いためか立ち上がってはこない。構わずに俺は手を滑らせた。もっと奥へ、隠された秘密の場所へ。

硬くしまった入り口を撫でると、悟空は息を飲んだ。体を硬くすれば苦痛が増すばかりなのに、ばかな奴。つつましい肉の襞が強く俺を拒んでいる。十分に予想された固さだった。俺は二本の指先に力を込めると、一息に突き上げた。

「ひっ! やぁっ!」

白い喉が反り返った。押さえつけた腕がビクビクと震え、もう少しで俺の手を振りほどきそうになった。突き崩した肉の襞は、すぐにぬるりと滑った。かすかに鉄の匂いがする。

「痛えだろうが…現実はよ…。」

内側で鉤型に曲げた指を捻った。がっちりと指を咥えこんで放さない肉壁が、よじられて軋む感触が伝わってくる。悟空は痙攣するように高く顎を上げると、不意に俺を睨みつけた。

丸い頬に、涙が幾筋も伝い落ちている。見開かれた眦から透き通った涙が零れ落ちるたび、俺は息が踊るような喜びを感じていた。もっと泣かせたい。もっと、もっと。

だが同時に、胸の奥が冷たくなるように重いのはどうしてだろう。

俺は唇をかみ締めた。迷いを断ちきるように手に力を込めた。押し込んだ指を無理矢理開くと、きつい弾力を持つ肉襞がめりめり音を立てるのが伝わってきた。手首を放して片足を抱え上げる。多少無様に怒張を引き出すと、ワンテンポ遅れて、小さな拳が俺の胸を打った。もう遅い。そんな些細な抵抗など、何の障害にもならない。いまだ逃れようともがく細い足をしっかり抱え込み、俺は力いっぱい腰を突き入れた。

「きゃあああああああっ…!」

金属を切り裂くような悲鳴。予想していたよりずっと強い締め付けが、俺の肉茎を痛めつける。悟空の顔が蒼白になった。俺の額にもいやな汗が浮いている。双方の体に負担をかけるだけで、快感などかけらも感じさせない交歓は、それでも確かに現実を思い知るためには一番手っ取り早かっただろう。悟空にとってだけではない、俺にとっても。

「…ひ…っ、ひぐ…っ、ぅあ…っ。」
「…っ、力、抜けよ、こいつ…っ。」

あまりの痛みに、俺は再び手を上げていた。打ち下ろしたのが硬く握った拳だったのに気付いたのは、悟空の唇が割れたからだ。蒼白な顔色に鮮血はやけに目立って、俺は胸が潰れるほどの罪悪感を味わった。こいつのほうが数段痛いはずなのに。そう思ったら、さっきまでの猛々しい気持ちがうそのように引いていくのが分かった。

「…ちっ。」

やる気が失せた。こいつの体が俺を阻みすぎて、食いちぎられてしまいそうに思えたからばかりではない。殴ったとたんに抵抗しなくなり、不吉な浅い呼吸を繰り返す悟空が少しばかり気になったからだ。半分ほどしか挿入できなかった肉茎は、引き出すだけでも一苦労だった。狭すぎる穴ががっちり俺をくわえ込んで離さないのだ。

「…おい。」

ぐったりした腕をつかんで引き上げた。唇まで紫色に染めて、悟空はあえいだ。

「約束したからな、連れてってやるよ。」

殴り付けたときに脳震盪でも起こしたのかもしれない。悟空はされるままおとなしく、抱き上げた俺の腕の中に収まった。

「…おまえにとっては檻が変わっただけのことかもしれないがな。」

初めて抱いたはずの体は、妙にしっくりきた。それを疑問に思うことなく、当然だと思える自分が不思議だった。捜し求めていたものに巡り合った気がするのだ。

俺はすっかりおとなしくなってしまった悟空を胸に、慎重に一歩を踏み出した。  



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