第二話


燃えるようなほっぺたに、冷たいものがそっと押し当てられた。優しいその手は、ゆっくりと俺の頬をなぞった後、首筋の方まで降りていった。べたついていた肌が、それですっきりとし、俺は思わず安堵のため息を付いたようだ。

なんだか眩しかった。いつものように、日の射すほうから逃れるように寝返りを打とうとすると、全身がみしみし痛む。そんなに苦労してからだの向きを変えたのに、眩しさはちっとも変わらなかった。

「う…。」

顔の左側が痛くて、思わず声が上がった。その声も、小さくかすれていて、俺の声じゃないみたいだった。左目はくっついたみたいに開かない。何とか右目をこじ開けると、そこは真っ白い布の海だった。俺はしばらくぼんやりそれを眺めていた。そんなことあるわけない。きっともう一度目をつぶって開ければ、そこはいつもの薄暗い岩牢で、俺は固すぎる寝床でぎしぎしになった関節に閉口しながら起き上がるんだ。

だけどもう一度目を開けても、目の前の白は変わらなかった。

俺はそうっと手を伸ばして、布をなでた。体のだるさも変わらず、布のやさしい手触りと温かさは反って俺を不安な気分にさせた。

「よう。」

いきなり声がかけられた。まったく予期してなかった俺はびくんと肩をすくめた。

「ずいぶん長いお休みだったじゃねえか。さぞかしいい夢が見られたろう。」

俺は恐る恐る顔を上げた。

眩いばかりの黄金が、俺を見下ろしていた。俺は思わず目を見張った。

俺は確かにこの黄金を知っている。

「あ…。」

切なくなるほどの懐かしさに思わず上げかけた声を俺は引っ込めていた。そいつが側に寄ってきた途端に、俺はこいつが何をしたか思い出したからだ。

俺の全身が痛いのはこいつのせいだ。両手首には指の形が痣になって残っている。

俺が用心深く睨むと、そいつは鼻先で笑った。

「ここは…どこだよ。」
「俺の部屋だ。わざわざ抱いて運び込んでやったんだぜ。」

ちっとも嬉しくない。俺は後退りながら、その室内を見回した。眩しいのも道理だ。三方の壁に大きな窓がある。だがそれらにはすべて太い格子が入っていて、意匠を凝らしたものかもしれないけど、檻には代わりない。扉には大きな閂。きっと外にも同じ物が付いているのに違いない。

だけど俺はそんなには落胆しなかった。わかっていたんだ。俺は大罪を犯した者だから、そう簡単に許されやしないんだ。場所が変わったのだって、新たな罰が与えられるだけに違いない。

そう、俺は何も望まない。望まなければ裏切られることもない。いつかの小鳥のようにひとときの優しさに甘えると、その後何十倍にもなって悲しみが襲ってくるだけなんだ。

俺が視線を落とすと、急に目の前の男が獰猛な顔になった。俺との距離を一跨ぎで縮めると、男は俺の顎を掴んだ。きゅっと言うような声が無理矢理すぼめられた唇から漏れた。顔が痛い。口の中に鉄臭い匂いが広がっていく。無様に歪められた顔から男の手を放そうともがいて、俺は自分の顔半分が見事なくらい腫れ上がっているのに気付いた。

「死んだ魚みたいな目をするな。」

男は言った。あまりに顔が痛くて、開かない目から涙がぼろぼろ落ちた。自分で殴ったくせに。そう言ってやりたくても、口も開かなかった。

「俺は、おまえを…。」

何か言いかけて、不意に男は口をつぐんだ。俺の顔を見て、鼻先で笑う。

「そうだ、その目をしていろ。おまえに空虚な目は似合わない。」

俺はやっと開く右目で男を睨み付けていた。俺の顎を離さない男の手に爪を立て、必死に片目だけで睨み付ける。情けないけど、それが今の俺にできる精一杯だった。

不意に突き飛ばされた。うつ伏せに倒れた俺の背中に、男が馬乗りになってくる。しゅっと衣擦れの音がした。男が帯を抜いたのだと気付かされたのは、俺の両腕を背後に取られて縛り上げられたからだ。男は、必死にもがく俺をいともやすやすと裏返した。男の胸は、痩せているくせにきれいに筋肉が敷き詰められていた。肩を押さえられると、俺は身動きもかなわなかった。なにより、この男には適わない…いや、逆らえないと、俺の中の何かが囁くのだ。俺にはこの男の意に背いて、彼を傷つけてしまうことなどできないようになっているのだ。

「執着しろ。」

男は低い声でいった。むしろ囁いているような優しい声にも聞こえた。

「痛みでも、快感でも、…俺に対する憎しみでもかまわない。執着しろ。
そしていつか…俺を殺しにこい。その燃えるような目をしてな。」

男の顔が迫ってきた。俺は必死に顔を背けた。こいつに唇を奪われるのだけは嫌だった。

男は小ばかにしたように笑うと、俺の胸に顔を埋めた。熱い舌が首筋を這い、胸の突起をまさぐって臍へと降りていく。体中におぞましくて鳥肌が立つ。俺は悲鳴を上げないように唇をかみ締めていた。割れた唇から新たに血が溢れ出て、歯列を縫って口の中に流れ込んでくる。がたがた言う左半分の奥歯は、噛み締めると頭痛さえ引き起こした。

「なにやせ我慢してんだ。泣き喚け。この前みたいによ。」

男の声が、どんどん下腹部へと降りていく。俺は男の言いなりになるのが嫌で、さらに歯を食いしばった。だが、俺の意地も長くは続かなかった。

「ひっ…! や…あっ!」

男の手が、俺の中心をもぎ取るように掴んだ。俺が思わず悲鳴をもらすと、その手はやわやわと動きを変えた。

「あんまりおまえが硬くなってると、こっちもキツイんだよ。」
「やっ、やだ…あっ。」
「だから、よくしてやろうって言うんだよ。オラ、もっと足開けよ!」

開かされた膝の間に男が潜り込んでくる。男の手が離れていったと思ったら、ぬめりと暖かいものが俺を包み込んだ。俺は信じられないものを見た。男が俺の股間に顔を埋めて、俺のを根元まで咥えているのだ。

「う…あ…。」

男はわざとぴちゃぴちゃ音を立てて俺を苛んでいる。断じて気持ちよくなんかない。だけどてっぺんを舌先でこじ開けられるようにされると、腰から脳髄まで痺れに似た感覚が走るのは確かだ。背中から一面に鳥肌が立つ。この男は俺を根本から変えてしまう。

「やだあ…っ、いやっ、やあああ――――っ!」

もう我慢ができなかった。俺は必死に身もがいた。後ろ手に縛られた手がぎしぎし言い、熱い液でぬめるのを感じる。縛った布が皮膚を破ったのだ。だけどその痛みよりもおぞましさのほうが強かった。

俺が暴れ始めると、反って男は嬉しそうだった。

「叫べ叫べ。ここは離れだ。誰にも聞こえやしねえ。よしんば聞こえたところで、…三蔵様のすることに口出しする勇気のある馬鹿は一人もいねえがな。」

男は初めて名乗った。だが、すでにそれはどうでもいいことだった。無駄だと聞かされても、俺は声を限りに叫んだ。縛られてのしかかられて、自由になるのは声と涙を流す目だけだったからだ。呼気が尽きて荒い息をつくと、さっきから尻を探っていた指が、ぬるりと差し込まれるのを感じた。この男─三蔵は、俺が大きく息を吐き出すのを待っていたのだ。俺はあまりの気色悪さに思わず息を詰めて三蔵の指を締め上げてしまう。敏感な粘膜は、三蔵の指の、節の形まで俺に伝えた。それでも三蔵は侵入を諦めなかった。

俺の中を切り裂きながら進んだ指は、しばらく内部を探りまわった後、ある一点を見つけた。そこは俺に初めて味わう感覚をもたらした。急激に排尿感がきて、三蔵の口の中に含まれたままの俺を大きく膨らます感じがするのだ。

「や…、やあ…っ。」

俺は押さえつけられた体をよじった。内側から自分を抉り取られていきそうな気がした。だが、もちろん三蔵の下から逃れることはできず、ただ全身が痙攣したように震えるだけだ。三蔵は俺の反応を嘲笑った。

「カラダは正直だな。ここを刺激してやれば、どんな朴念仁でもたまらないってわけだ。」
「やだあ…っ、離してよう…っ。」

泣きたくなるほどの排尿感は高まるばかりで、俺に甲高い悲鳴を上げさせた。

「気持ちいいんだろう。もっと泣いてみせろよ。」
「き…、気持ち良くなんか…ない…っ。」

実際俺は、全身に鳥肌を立てていた。侵略される。三蔵に塗りつぶされる。そんな思いが俺を恐怖させ、だがそれをどこかで待ちわびている自分の存在が俺を戦かせるのだ。

三蔵は俺の答えを聞くと顔を引き締めた。急に目が冷たい色になった。怒っているというよりは…まるで絶望しているような目だった。

「ひいっ!」

からかうように俺の中で緩慢に動いていた指が、強く内部を抉った。俺を追い詰めていた感覚は簡単に結界を破った。感じたくもない鼓動が一つ、ドクンと、俺の下半身を揺るがした。圧倒的な排出感はたった一度。俺は呆然と事の成り行きを見守った。三蔵がゆっくりと俺のから顔を引き剥がすと、そのきれいな口元から生々しい白い糸が引いた。

「…青いな。」

三蔵の喉仏が動いて、何かを嚥下したのを俺はぼんやりと見ていた。それが俺の体から離れたもので、そうして俺は三蔵に侵食されていくのだと思い知らされていた。だって俺はそういう風にできているんだ。何百年も昔から。

だから俺は、三蔵が口元から指先に受けた僅かばかりの白いものを尻に塗り込められても、両の膝が鼻先にぶつかるくらい足を折り曲げられても、どうしても動けなかった。二つに折り曲げた俺の体に乗り上げてくる三蔵は、薄らと笑っている。俺を手に入れる目前で、だがどうしてそんなに辛そうに笑うのだろう。

「そのでかい目を見開いてよぉく見ろよ。これがおまえを犯す男の顔だぜ。」

俺は目を瞬いた。三蔵が言いたいのはそんなことじゃないような気がした。

柔らかい肌に、滾るものが押し当てられた。次の瞬間にはそれは、情け容赦なく俺を割り裂いていた。

「──────────っ……!」

身体中の空気がいっぺんに叩き出されてしまったような衝撃。大きく開いた口からは、あまりの痛みに声さえでない。三蔵は俺を弄ぶことで十分にその意図を遂げたのだ。あの岩牢でのときよりもっと深い所まで、三蔵は一息に俺を壊していた。俺の意志とは関係なく胸がひくひくのたうって、うまく空気が入ってこない。視界が急速に暗くなる。安らかな失神へと向かいかけた俺を、三蔵は簡単に容赦してはくれなかった。前髪を捕まれて、頭を叩き付けられる。柔らかいベッドの上でも、ひどい責め苦を受けている俺の頭には雷が轟くような耳鳴りが響いた。

「まだ寝るんじゃねえよ。お楽しみはこれからだっての。」

三蔵は俺の頭を抱えるようにして、優しい声で残酷な言葉を囁いた。

三蔵に脅されるようにして、俺は息を吸った。思うように吸い込めない空気は何度も俺の胸を喘がせて、そのたびにひゅうひゅうと不吉な音を立てた。息は吸うのも吐くのもままならないのに、涙だけが馬鹿みたいに後から後から溢れて耳の中に溜まった。

「よし、…いい子だ。」

三蔵が喉を鳴らしている。三蔵に従うしかない俺を嘲笑っているのだろうか。それにしては悲しげに聞こえる声ではあったのだけれども。

俺を押さえつける三蔵の手に力がこもった。ぐちゅ、と湿り気を帯びた音がした。

「あ! …あ…っ、あ…っ、あ…っ…。」

俺は目を限界まで見開いてのけぞった。激しい痛みで指一本動かせない俺の中で、三蔵が動き始めていた。灼熱で俺の中をかき回す三蔵の動きは、俺を強直させた。めりめり音がして、肉が引き裂かれていくのが分かる。暖かい液体が肌を伝って三蔵の動きを次第に滑らかにさせる。それが血だというのも、溢れ返る鉄の臭いでわかった。三蔵が動くたびに内臓がせり上がって口からはみ出そうになる。押し出される悲鳴は笑っちゃうほど小さい。まるで俺が三蔵に応えて喜んでいるように。

「空っぽのお前に俺の種を注ぎ込んで…、何が芽生えるんだろうな。」

三蔵に囁かれた言葉も理解できずに、俺は苦痛から逃れるためだけに首をめぐらせ、そして視界の端に濡れたタオルを見つけた。燃えるみたいだった俺の頬を冷やしてくれてたタオル。三蔵がそうしてくれた以外にありえない。俺は涙をこぼした。今までとは違う涙だった。

本当は、こんなに優しくできるのに。

三蔵が乗り上げた俺の上でうめいた。俺の中で三蔵が爆発したようなショックが襲い掛かってきた。俺はかすかに悲鳴を漏らすとそのまま意識を手放した。

今度は三蔵も俺を引きとめはしなかった。  



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